カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

友達の数は何人?

2011-08-24 | 読書
友達の数は何人?/ロビン・ダンバー著(インターシフト)

 Facebook解説本みたいな題名だが、副題は「ダンバー数とつながりの進化心理学」というもの。科学読み物なのだ。話題は多岐にわたっているし、このような本独特のユーモアのセンスにもあふれており、読みやすくためになる、という代表的な見本とも言えるだろう。多少勇み足かな、みたいな話もあるが、まあ、飲んで話題にするくらいなら害も無いだろう。それに可能性としては今後を待てばいいだけの話だし、大筋でその方面の理解を深めるにはむしろ興味を広げることにもつながっていくだろう。人間の仕組みや習性を科学的に紐解くと、このような面白い世界が見えてくるのだから。
 人間的なつながりに限界があることは理解できる。それが150人程度というのも、まあ、そんな感じだ。そのようなつながりの意味から、男女の違いや、家族や、社会集団に至る優位性などへ展開していく。更には言語や宗教まで、人間の持つ習性やその科学的根拠への言及が面白くないわけがない。じゃあ具体的にあの人は…、などと考えを巡らせることも出てきて、楽しい読書体験となることだろう。
 トピックで面白かったのは今流行りの功利主義的哲学への回答であった。日本でもサンデル教授の授業で話題になったが、例えば古典的例題である「トロッコ問題」がある。コントロールが利かなくなったトロッコの先に二手に分かれた路線がある。一つは5人の作業員が居て、片方は一人だ。功利的な哲学の回答としては、最大多数に最大幸福のためにより少ない犠牲の選択もやむを得ないということになる。しかし哲学的選択と正義はともかく、人間は必ずしもそう合理的な行動を取るとは限らない。たとえば自分は線路を見下ろす橋の上にいるとする。そこに暴走トロッコがやってくる。さらに隣に大男が居るとして、彼を線路につき落とせば5人の作業員の命を救える。同じ一人の犠牲で済むにもかかわらず、しかしそういう場合に実際に大男をつき落そうとする人なんてほとんど居ないらしい。これも当然の話のように思えるが、脳卒中で前頭葉を損傷した人で同じような思考実験を行うと、大男をつき落とす選択をしてしまうのだそうだ。つまり共感の感情の損失にモラルが関係あるらしい。当たり前だが、哲学や正義を扱うような問題においては、人間の新しい脳の機能が大いに関係があるらしい。哲学的に人間が考えて答えを出しているようで、実は人間は習性的に答えを作り出しているのではあるまいか。
 あとは本書を読んでもらって、同じように各自思考実験を楽しむことお勧めする。人間は合理的に物事を考えて社会を形成しているように見えて、実際には人間の持つ自然の習性のようなもので物事を判断し、そして自ら持つその習性の規制を受けながら生きているのではないかということを、いろいろと考えさせられることになるだろう。もちろん他の疑問が膨らむことにもなるかもしれないが、そのことにより新たな発見の芽も芽生えていくのかもしれない。少なくとも僕らは、そのような好奇心を養うことによって、これまでもこれからも生きていくことには変わりは無いのだから。
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