カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本選びも面白読書

2021-10-01 | つぶやき

 コロナ禍もなんとなく日常になって、人によっての方向もいい感じの模索を行えるようになってきた。まあ、当たり前だが、当たり前になったというべきか。そうして僕の図書館利用も、また継続しながら進んでおります。やっぱり本は楽しいな。
 ということで利用経過報告である。僕の借りたい本の多くが在庫状況でありながら書架に見つからない原因が、閉架書架であることが前回分かった。それで係の人に聞いてみたら、なんと簡単に解決した。番号札を渡されて待っていると、それらの本を探して来てくれるのである。そうしてどのみち借りますよね、っていうことで、手続きも済んでいた。
 待っている間、検索機を使って別の本を探していると、探し出した本の情報が印刷できることも分かった。印刷するとレシートみたいな紙に、本当に驚くくらいあっという間に印字されて出てくる。これ、子供が知ったら絶対遊びまくるくらい瞬発で面白い。僕は小さいメモ帳を持ち歩いているので、前はこれを知らずに検索機に書いている書架の番号をメモ帳に控えていた。そういうアナログ作業は、それなりに面白くもあるんだが、しかしこの瞬殺印字に比べたら手間ではある。紙がもったいないのでエコではないが、この印字した紙を係の人が見て、必要ないなら捨ててくれる。もちろん持っておいてもいい。こういうのをノートに貼って記録を付けてもいいかもしれない。読書日記はブログに書いているようになんとなく別のノートにも付けているし、レパートリーが増えるのもいいかもしれない。
 ちょうど借りて読んでいる本に、読書の多様性やこだわりのようなことが書いてあって、読書というのは読んでいる前後の様々な事象も含めて、そういうひとまとめのものがいわゆる読書なのかな、ということなのである。本を選んだりすることも読書であるはずで、何故その本に行きつくのかということにも、さまざまなドラマがある。読んでいる本の関連の場合が一番多いが、いわゆる出会いというのは、何かの繋がりである。行き当たりばったりで衝突的に選択されるものもあるにはあるが、読んでいて実際に紹介されていたり、参考文献に記述があったり、原本に当たりたいなどがあったり、よく分からないために類書を読んだり、または類書に当たりたくなるくらいよく分かって面白さが広がったり、とにかく読むことによってつながっている本の網羅的な世界がそこにある。だから読んでいることで生まれる読書の延長に、選書ということが含まれる。そうして読む行為としての本との出会い自体が、面白くて止まらないことなのだ。図書館はその枝先の一部ではあるが、どういう訳か僕は長年近寄ってなかった。子供のころには、小学生の四年生くらいまでは、学校の図書館や地元の貧弱な以前の図書館に自転車こいで遊びに行っていたのだが、いつの間にかそれが本屋になって、所有して読むようになって、もう近づかなくなってしまった。そういう空白の年月が、ちょっと今となっては不思議である。でもやっぱりできれば所有しなきゃな、という思いも強くなっていて、読みながら不思議である。図書館の本に書き込みを入れていいというルールができると、もっと本が楽しく読めるのにね。
 ということでまた借りてきて読んでいる。閉架書庫の本というのはそれなりにボロボロになっているのもあるようで、借りている一冊は、開くだけでその自らの本の重みで破れそうになっている。そういう多くの人に触れられた本というのも、なかなか味があって読みごたえがあるものです。
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