カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

私の本当に欲しいものは   あのこは貴族

2022-11-12 | 映画

あのこは貴族/岨手由貴子監督

 原作の小説があるらしい。良家の生まれのいわゆるお嬢さんである華子は、しかし結婚を考えていた男性にフラれ、急に適齢期の結婚に焦りを覚えている。そうして言われるままに、見合いや合コンを繰り返すが、何かしっくりした相手に出会えないでいる。そういう中だったが、さらに階級が上の良家の出である弁護士の男・幸一郎と見合いで一目惚れし、トントンと結婚という運びとなる。一方、富山出身で猛勉強で東京の名門大学に合格した美紀は、親の事情で学費が払えなくなり、キャバクラのバイトでしのごうをするが、あえて退学。そのままキャバ嬢で働いているところに同級生だった幸一郎が客として現れ、そのまま付き合いが始まったのだった。
 幸一郎と結婚後、華子は美紀の存在を知り、友人を通じて二人は会うことになる。そうして二人は、この妙な縁で友情のようなものが生まれるのだった。
普通ならお互いに居心地の悪い関係になりそうなのだが、そうならないところがこの映画大きな特徴である。良家の生まれながら純粋に相手に激しい恋心を持っている華子だったが、相手の幸一郎は、良家の出である女性なら結婚相手として申し分が無く、流れだから受け入れているだけだということに傷ついている。その上で、幸一郎がそういうことと関係なく付き合っていた女である美紀のことを、純粋に知りたいと思うのである。
 現代にありながら、裕福な貴族的な階級社会にある中での女性の生き方の問題や、対照的に地方の出で下の階級でのし上がることの困難な女性の生き方が、交錯する構図にもなっている。そういう中にあって、自分らしさというのはいったい何なのだろう。最終的には華子の生き方の大きな疑問が、この物語の大きなクライマックスを占めていると言えるだろう。
 東京地方の階級のことは、縁がないのでわかりえないが、まあそういう人もいるのかな、という程度か。地方にもそんな人たちは居るんだが、だからと言ってそんな特権が苦しいものであるのは、個人にとってはよくあることだろう。金が無いのも困るが、収まりが悪いのも困るものだ。政治家一家がそういうものなのかはさらにわかりえないが、一定の圧力下で生きざるを得ない人は、確かにいるとは思う。逃げられないのだから受け入れているわけで、その中で生きられない女性が、このような純粋さで居るというのは、確かに一種の発見だった。楽しい物語では無いけれど、女の人の強さのようなものを改めて感じさせられたのだった。
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