カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人間のエゴは他人を利用すること   愚行録

2018-09-13 | 映画

愚行録/石川慶監督

 一年前のサラリーマン一家の惨殺事件を巡る取材のために、殺された人物と生前ゆかりのあった人への取材インタビューを試みる。この雑誌記者の妹にも何か精神的な問題があり、物語は重層的にことの真実に迫っていく。終始重苦しい空気の中、何か邪悪な人間の欲望のあらましが浮かび上がってくる。しあわせな一家が惨殺される理由となる人間関係が、その過去の学生時代の階級社会とも伴って、明らかにされていくのだった。
 大学生や若い人に階層や階級があるらしいというのは、少し分かる。仕事をやりだしてそのようなものが残るというのは分からないが、少なからず親の影響下にある人間には、そのような思いが残る場合はあるかもしれない。気になる人は、それが決定的に気になるというのだろうか。たぶん東京だけの現象だとは思うのだが、そういう階級社会が存在できるほど、人が多いという事なんじゃなかろうか。しかしながらこのような話の基礎になっている訳で、ホラー的なファンタジーじゃないかとも思った。
 会話があえてボソボソとなされて、字幕なしでは聞き取りにくい。演出なんだろうけど、映画館だと難しい作品ではなかろうか。リアルはあってもいいが、演劇としての基礎的な演出は、だから俳優には発声の訓練などがある訳で、字幕ではみないだろう日本映画ならではの問題点が気になった。物語はかなりいいのに残念である。
 席を譲る場面が二度あって、これがそれなりに妙な印象を残すことになる。主人公記者も、善人では無く問題があることが分かるし、しかしこの暗い救われなき物語の救いのような印象もある。また、何があっても日常に潜む暗部などは、変わりはしないということもいえる。決定的な何かを語る訳では無いが、見事ではなかろうか。
 ひとの感情を自分のエゴで利用する話が多いのだが、それは確かに許されていい問題では無い。このような残酷は、糾弾されてしかるべきだろう。しかし、なのである。それが理由になって人が殺されていい問題かは、やっぱりひどく引っかかるのである。激しい怒りを買うようなことをしている人でも、またその家族のその子供まで、殺されていいはずはない。基本はそのようなことで、事件が起こりうる最終的には、心を病んだ人の犯行であったにせよ、そこまで復讐できない人たちが、インタビューで語っていたはずなのである。さらに本当に心の傷を負う原因であったのは、殺された人達とは関係のない、もっと過去の話なのでは無かったか。殺された人は、そのかかわりを持ってしまった単に運の悪い人なのではないか。物語は、起こりうる背景は描いているが、そのことの責任は放棄してしまった。そういうホラー作品という事かもしれないが、何か日本的な感じもしないでは無い。モヤモヤはだから、観終わってもぬぐうことはできない。面白い作品だけれど、そこのあたりが人を選ぶところかもしれない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ひじ掛けは使わないが… | トップ | 古臭くなくハイボール »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。