タクシーの自動ドアは日本人にとっては当たり前すぎるので気にしている人は無いだろうが、海外ではほとんど見られないのだそうだ。64年の東京オリンピックの時に一気に全国的に普及し定着したのだという。外国人のお客を迎えるために、いわばサービス精神がそうさせたのではなかろうかということだった。発案者は、雨の日に荷物を持って車に乗るのが困難だった経験から開発を思いついたのだとか。
そういうこともあって、外国人が日本に来ると、このタクシーの自動ドアにそれなりに違和感を持つものらしい。面白がる人もいるようだけれど、なんで自動でなきゃならないのだろうと疑問に思ったりするようだ(西洋人は特に保守的だからね)。最初は外国人のためのサービスだったのに、やはりこれは日本人向けのサービスという感じもする。何故日本では自動なのかということを考えるとき、日本人は清潔好きでドアに触れるのを嫌うためではないか、などと考察している人もいた。そういう考え方に嫌なものを感じている様子だった。つまり日本特有の行き過ぎ感ということだろうか。日本のガラパゴス化は、過剰さである場合が多いので、既に彼らには理解不能ということなのかもしれない。まあ、同じアジア人にはウケそうだとは思うけど…。
日本のタクシー会社の中でも、あえて運転手がドアを開けに行くサービスを売りにしているところもあるそうだが、今となっては、自動で無い車に当たることの方が困難であると考えられる。僕はたまに歩道の反対側に回って自動で無いドアを開けて乗ったりするので運転手に驚かれることがあるけれど、普通の日本人は、たぶんそんなことはしないだろう。僕としても中で席を詰めるのがめんどうで、そうするだけのことだけど。
そういう訳で日本人が潔癖だから自動ドアになったのでは無かろうし、自動ドアが普及したから、さらに自動でなければならなくなったということになるんだろう。もとはサービス精神だったから、タクシー会社各社がサービス競争をやった結果だとはいえるかもしれない。
さてしかし、自動化が進んだ理由の背景には、やはり周りの交通への配慮という観点もあるようにも思う。すばやく乗車してもらって出来るだけ交通の妨げを防ぐという配慮もあるのではないか。乗客の方もそういう感覚は当然持っていて、自分のために他の車に迷惑をかけたくないという心理が働くような気もする。そういう周りに対する配慮の感覚は、恐らく諸外国の人々には分かりにくいものではあるまいか。
ところで若いころに香港の友人とよく遊んでいたのだけれど、彼らがタクシーを停める情熱のようなものに圧倒された思い出がある。特に女性がその場にいるときは、男たちは車道へ走って必死に車を停めようとする。そうしておもむろに後から歩いてくる女の人をエスコートして、車に大仰に招き入れるのである。これには日本人の男たちはただただ呆然と無能さをさらけ出す感じだった。日本女性が彼らとすぐに付き合うようになるのは、悔しいけれど、まあ、当たり前かな、とも思ったものである。
文化の違いに過ぎないのだけれど、日本の男は間違いなく日本の国内だから女性とつきあえる可能性もあるのかもしれない。そういう意味では日本の男社会のために、自動ドアというものが受け入れられたのかもしれないと、ちょっとだけ思うのであった。