カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

普通の良さ加減

2012-02-12 | ことば

 若い人が「普通」という場合は、それなりに良いという意味だというのは知っている。知ってはいるが違和感は消えていない。美味しいかという問いにぶっきらぼうに「普通」では、まずいに聞こえる方が普通であろう。結構(まずくなく)食えるとか、割合いけるくらいまで幅があるという説明も聞いたことがあるが、じゃあそういう風に言って欲しいものである。まあ、彼ら同士ではそれで分かるから支障が無いという意味なんだろうが、そういう機微が分かる間柄がいつまでも続くと思ったら大間違いだと思う。
 しかしながら一方で、旨いというのは過剰な方に行き過ぎている感じもしないではない。先日テレビを見ていたら、食うタレントさんが順番に「ウマーっ」と大音量で絶叫していた。そうまでして言われると、絶対に買収されているに違いないという疑問の方が大きくなる。ただでさえ超だとか激だとかいう形容がつく場合が多く、いったいどこまで激しく旨くなくてはならないのかという気がしてくる。
 これは別に近年になってからのことではないらしいのは、例えば鰻などを見てみると感じられる。並というと最下級で、上のみならず特上などというものがあったりする。並を注文する方が何となく勇気がいって、それでいて下だというのが何より気に食わないのである。寿司屋の出前などは、並なんですがいいですか、などと卑屈になって注文したりする人もいたりする。気持ちは分かるが、特上だといくらか上段にかまえて威張るに違いなくて、小市民の悲しさを感じる。
 ところがこの普通というのは、女の人の容姿の場合だと少しばかりニュアンスが違うようだ。普通というと言下にそれなりの美人らしいという感じが何となく伝わる。見られる程度には支障が無いというか、場合によっては美人だというか。悪い場合はもう少し積極的に何か言うはずであるという感じもするし、あえて言わないということはやはり欠点が無いということなのだろうか。それに美人と積極的に言うにはかえって勇気が必要な場合があって、オイオイそんなでも無いぞと思われると自分の価値まで下がってしまうような恐怖があるのかもしれない。
 ひょっとするとこの容姿を形容する語感と同じように、食べ物のことを言っている可能性があるのかもしれないと思った訳である。旨いと積極的に言うほど、自分の味覚に自信が持てない。かと言ってまずいと思っている訳ではないので、普通と言ってしまうのではなかろうか。だから何だという話には違いないが、そういうことなら若いという状態の人が使わざるを得ない形容ということであるのだろう。
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