カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

失われていく家族の強い愛

2020-08-07 | 感涙記

 事情があって祖母の介護をすることになった、若者兄弟のドキュメンタリーを見た。あちらのドキュメンタリーには多いが、アナウンスでの説明がない。だから時々映されている側が不自然に説明したりするだが、ともかく間違いなければ、何らかのトラブルがあって、祖母を三人の男の孫が介護しているという場面が続く。日本の介護のそれとは少し違うらしいことは、人的介護にあたっては、家族で見なければならないというのがあるのかもしれない。孫三兄弟は恐らく二十代前半くらいで、サーカスの曲芸なんかもやるような若者たちだ。おそらく一番下の弟が一番面倒見がよくて、いちいちおばあちゃんにキスをしながら手を引く。大事に大事に、いとおしく。
 そういう場面を見ている分には、微笑ましい介護の記録なのかと思いきや、他の孫たちはちょっと様子が違う。彼女を連れてやってくる兄は、面倒を見てないわけではないが、機械的で、さらに制度にも不満があり批判精神を持っている様子だ。確かにこんな状態がいつまでも続くわけはないだろう。そういう予感に、ついイライラしてしまう感じだ。さらにこういう状況になってしまったのは、父が不在の時に母がベッドから落ちてけがをして、大声で騒いでいるのを近所の人が通報したためらしい。事情はよく分からないが、父は母の介護に関して虐待をしているとみなされ、刑務所に入ってしまったようだ。そこで呼び出されて世話をするようになったのが、三兄弟だったというわけだ。
 おそらく二番目の兄は、以前のように歩けなくなってしまった祖母に対して、少し厳しい。少しでも歩けるように戻って欲しいという思いが強すぎるのか、祖母が嫌がっても強引に歩行訓練を続けようとする。そこは公園で、周りの人から結局は通報されてしまう。
 父親は虐待の容疑で捕まったわけで、家族もそのような状況であるということになれば、釈放にも影響があるだろうといわれる。皆困ってしまうが、制度なので仕方がないということなんだろうか。
 これはどうもメキシコの話らしく、ドキュメンタリーの撮り方自体を見ると一編の映画的で、うまく撮れてはいると思う。しかしながら制度そのものはよく分からないから、いったい誰が悪いのかさっぱり分からない。もちろん、このような状況に陥ってしまう可能性のある家族の在り方など、制度を含めた啓蒙の考えがあるのだろうことくらいは、考えてみると分かる。しかしよその国のことだし、実際に詳細にこの家族のことなど分かりえるはずが無い。文化の違いがあるのか、これが貧困なのかどうかも分からないし、あえて介護を受けない方針なのかもわからない。父は虐待で捕まって気の毒だが、近所の人から繰り返し通報されていたのかもしれないではないか。そういうことは一切分からないので、本当に同情していいのかさえよく分からない。結局おばあちゃんは数年後に亡くなったようだが、それはどうしてなのかも不明だった。ナレーションのないドキュメンタリーこそジャーナリズム映画だと思っている文化の作品は、なかなか面倒なのである。まあ、逆説的に日本のものは説明過剰なんであるが。いづれかに折半して作られることを切望するものである。
 それにしても日本の男孫が、おばあちゃんの下の世話までするようなことは、少し考えにくいとも思った。メキシコ人は、いやメキシコ人に限らず日本以外の国の人たちは、家族愛が深いと感じられる。もう戻らなくなった家族の姿を、記録したものなのであろう。
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