カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

方向はほぼはっきりし、無言は続くけれど

2015-06-26 | 時事

 今年は敗戦から70年ということで、先の戦争の話題がいつになく多いという印象がある。戦争を知らない子供たちの方が圧倒的多数になっているだろうけれど、あえて反戦の機運のような声を荒らげるような人たちが居たりする。なんとなく不思議な風景に見えるが、そういう危機感があるような人々では実は違うらしいということもあって、さらに混乱を覚える。危機感のある人なら、今のタイミングで戦争反対などとは間違っても言うことは無いだろうからだ。
 日本が他国に戦争を仕掛けるようなことは、まずどう考えても現時点ではありえない話である。最大の理由は、その始める理由がまったく無いからである。集団的自衛権というのは、前にも内容を考えたことはあるから重複を避けてやめるけれど、敗戦国でない日本以外の国は、そもそも普通に最初から持っている権利らしい。日本は懲罰としてもあるが、なかったとする解釈が無理にあって、その上国際社会から責任上担うべきであるという背景があって、あえて議論になっているはずである。これを無視することはかえって軋轢を生むことになるし、議論さえしないということになると、単なる無責任であるだけだろう。確かに米国の顔色を見てやっているということはなんとなく気に入らないような気もするけれど、いつまでも安全上一方的に守ってやれないよ、という本音も分かるわけで、さらにいうと、地政学上、普通に必要なことであるということも考えると、粛々と進めるより無い話である。
 ところで面白いことに、これが憲法違反だとする学者の判断が話題になったりする。与党の証人なのに、こういう人選をしてしまったのは失態だったとはいえるが、しかしこれが反対派の機運を高めるということにもなったけれど、さらにやはりそれならば憲法自体をやっぱり変えるべきだという話にもなるわけだ。今の憲法には、まったく時代遅れの現実離れした欠陥が明らかだということを、あえて指摘されたにすぎないからだ。そんなことは誰でも承知していたことなんだけれど、仕方なくやりくりして、平たく言うと嘘をつきとおして、破綻しているということになる。しかし簡単に変えられないのも現実で、まったくの茶番のような感じになってしまった。時間的余裕もないから、あえて国会会期はどんどん延びて、まあ、そのまま押し切るより仕方がないことになったようだ。
 ところでそうなると、つまるところ米国へのアピールとしては、かえって憲法違反を押してまで、真摯に日本は取り組んでいく姿勢が明確になったといえるわけである。これは大変に好印象ということになるから、安倍首相にはまったくの迷いが消えたことだろう。議論をしっかりするという国内世論へのアピールを地道にやりながら、同時に同盟国へ恩を売ることができるわけだ。
 ところで、日本が安易に戦争に巻き込まれないようにすべきことを考えると、現実的にはやはり米国の傘の下にあるということが現在の安全だったわけだから、これを今の議論のように強固に守るという方向以外には選択が現実的には無い。逆の方法は中国との同盟を強めることになるわけだが、将来的にはそれは単に国として自ら呑み込まれることを意味することになるだろうし、米国に反旗を翻すことになるということにもなって、一気に危険度が増すことだろう。また出発点に戻ってしまったが、要するに今の議論は、そもそもいったいなんだろうという疑問の方が多いような気もする。平和を希求する前向きな方向を、誰が妨害していることになるんだろうか。
 日本に絞って考えると、日本の集団的自衛権や軍備の増強に対して、最も神経をとがらせて反対の立場をとろうとするのはどこだろうか。それは言わずと知れたことになるが、当然ながら日本人ではあるまい。なぜなら日本のためになることは、軍事的にはその周辺に不利になりうることだからである。たとえば北朝鮮だが、ただでさえ今でも怖いのに、存亡の危機に立たされることにもつながりかねない。自滅が明確そうに見えて、なかなかどうしてしぶとく生き残ってはいる訳だが、そういう寿命に対しても影響が及ぶかもしれない。
 ツイッターでは、日本寄りの中国人の漫画家による風刺画が話題になった。中国や北朝鮮という脅威がありながら、日本の世論では、その脅威の後押しを受けるようにして民衆が安倍首相を苦しめているという図である。中国人から見ても、日本の世論はかなり滑稽に見えるということである。もっとも、そういう世論というのは、対立をあおって遊んでいるマスコミや、方向性や政治的力を持たない一部の先鋭集団であるだけのことではあるのだけど。しかしほんとうの多数派は、特に大声は上げはしない。相変わらず遅々として進まない政治判断を、黙って見つめているだけということかもしれない。
 確かに大声で賛成という気分ではない。しかし現実は見えている訳で、仕方がないにせよやることはやるべきなのだ。地道に努力を積むことでしか、将来的な安全は保障されない。戦争をしたくない、巻き込まれたくないという意思の反映は、むしろ静かに表れているのではないだろうか。
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