カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

揖令

2007-06-24 | 雑記
 一泊研修セミナーの中で、「揖令」という言葉が出てきた。淳ちゃん先生も言葉に詰まっていたが、ユウレイとでも読むのだろうか。よく分からん。
 電波法の話で出てきたのだが、そのほかにも非常通信を「頼信する際には「ヒゼウ」の表示をして差出すよう定められている」などとの表現もあった。なんとなくユーモラスに感じる。こちらは分かるが非常時なのに分からん人も居るだろう。腕白相撲で両国に行った際に、みんなで「どぜう」を食った。大して旨くはなかったが、満足できた。そういう場合なら楽しいが、こういうものを見直さないというのは、つまり非常時のことはあまり見直されていない題材かもしれないと思った。

 しかしながらセミナー自体は大変有意義ではあったし、それなりに面白かった。
僕も仕事柄というか立場柄というか、今の時代の流行というか、リスクマネジメントの研修などにはよく顔を出させられる。面白い場合もあるが、セミナーを受けてもさらに疑問に思うことも少なくない。緊急時の最大の課題は、想定外という事態ではないか。しかしそうして範囲を広げてもきりがないのである。
 北朝鮮がミサイルを打つという可能性はゼロではない。ではその可能性に対応して核シェルターを作るところがどれだけあるか。意味がないとはいえないが、本当にとるべき行動であるかというのは疑問がある。つまるところ最大のリスク回避のためには、そういうことも考えておけということさえいいかねない人もいてかえって危険である。
 やはりあるセミナーで聞いた話だが、会社などの非常時を後から検証すると、不思議なことにある一定の傾向のある人が活躍することが多いのだという。一定の傾向というのは、普段はむしろ不良といえる問題社員だというのだ。仕事はサボりがちだし、上司の命令も時々無視したりする。しかしながらひとたび不祥事などの問題が生じたときは、開き直るというか、落ち着いて自体を打開する働きをしたりするというのである。結果的にそういう人がいなければ、事態はもっと大変なことになっていたというようなことは枚挙に暇がないといっていた。
 そのために不良を会社に取り込むということにはならないのかもしれないが、組織というのは、一枚看板だからいいのだということではないのであろう。平時には活躍できないが、非常時なら活躍するような人材を抱えられるほど懐の深い組織こそ、どのような場合にも自在に対応できるということなのではないか。一定方向にバイアスがかかりすぎるより、結局はバランス問題かもしれない。
 もちろん、小さい段階で芽を摘むことができるなり、致命的な状態にならないような行いこそが、一番のリスク管理だろうとは思う。
 さて、自分のことを棚に上げているが、僕のような人間を抱えるリスクを組織はどのように考えるのだろうか。
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