カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ウルトラマンの時代は良かったな

2023-03-19 | ことば

 ちょっと前から気づいてはいたが、メールやラインのやり取りなどで、相手が「承知しました」とか「かしこまりました」などと書いてくる場合が増えている。それなりにつきあいの長い顔見知りや、完全に友達ならそれは当然あり得ないが、いわば仕事上のやり取りをしている人に、ぼつぼつそういう人がいるようだ。ほとんどが若い人だが、なかには僕の世代の人なんかもいるんで、会社なり、組織なりの決まり事にでもなったのだろうか、といぶかっていた。
 ところがなんとなく眺めていたネットの記事に、ビジネス・マナーのようなことを教えてくれるところがあって、そこでは上司や仕事先への了承の言葉遣いとして、「承知しました」が正しいと書いてあるのだった。「了解しました」は目上の人が、目下の報告などの際に使うもので、目下のものがそれを使うのは不適切なのだという。パラパラ見ていくと、そこだけでなく結構複数の記事にそうあるので、何かの陰謀を考える「正しい」ビジネス講座の組織があるのだろう。
 またしても日本語の乱れを発見したわけだが、その不適切だという感覚が、かなり威圧的な間違いであろう。ほとんどバカなのかな、とも思うが、実際バカな人間だから思いつく感覚なのであろう。まあ、丁寧なものいいかもしれないが、相手から承知されたりしたくないのが、普通の感覚であり人情である。そこまで前時代的に接せられると、はっきり言って気持ち悪いのである。
 しかしまあ、堂々とそう書く人がいると、やはり相手に失礼のないように接したいと考える人には、それなりの影響があるだろう。こういうのが害悪というのである。僕の若い頃には、「いつもお世話になっております」と言うと怒る年配の人がいたものだが(お前のお世話なんかした覚えはない、という訳だ)、いつの間にかこれもビジネス的には定着した(僕も残念ながら使うようになった)。他に適当な言いようが無く便利なんで、いいまわし的に席巻したのである。言葉にはそういう恐ろしいところがあるので、皆が承知しましたと合唱すると、それが正しくなっていくだろう。(間違った)敬語というのは、民主的な世の中を破壊していくのである。
 しかしまあ、そこまでして相手に気を遣うのは、知らないからというのがまずはあるのは確かだろうけれど、失礼のない接し方ということに、何か大きな価値観のようなものがあるためではあるまいか。それは相手のためであるという前に、自分への保身があるのではないか。ふつうに接して問題の無いものであっても、それを逆手にとって優位に立つような嫌な奴が増えたとか、芸能人のたわごとのようなお客様が神様であるというような神話であるとか、結局は事なかれ主義でその場だけ逃げ切ればよいという短絡さもあるのではないか。それが失礼だと言い出されると、確かに過剰な丁寧表現をやろうと思えば(このように)できるのであって、そちらへ最初から配慮しておくことで間違いなさを担保したい、ということにもなるのだろうか。そんな些細なことで引っかかって議論するよりも、過剰に丁寧にしてやり過ごす方が、落ち度が少なくリスクも少ない、ということにつながるのだろうか。
 やはりいくら言っても悲しい限りで、「了解しました」程度の了解度のあるつきあいを心がけるべきなのであろう。それにはやはり時間がかかる面倒も、これからは覚悟しなければならなくなるのだろうか。いや、すでにそんなことも気づかなくなってもいい年頃になってのかもしれなくて、相手にされない問題に過ぎないのかもしれない。
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