カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします

2024-01-01 | 掲示板
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 年が明けることは分かり切っていたとはいえ、毎年それなりの感慨があるものである。なんなんだろうね、この区切り感は。日本人特有という人もいるが、今の時期に限らず考えると、そういう気分というのは人間的なものなのではないか。何かが終わって何かが始まる。そういう儀式的なものを自然の文化の中に見出し、そうしてそれなりの行動をしている。結果として気分的な区切りが明確になる。このような高揚感にあって何かを考えることは毎年危険だとしながらも、何か新しいことがやれるような期待感が自分自身にあるようにも思う。そうしてその他の人々に対しても。今年めぐって来るだろういくつかのトピックが既にある訳で、そういうものに対しても、真摯に向き合っていくことになるのだろう。残りの時間を頑張るものもあるし、これからの役どころを考えるものもある。準備しているものもあるし、これからのものもある。そういうものを順を追って片づけながら、前に進んでいくイメージでやっていくしかないのだろう。それなりに大変そうなものもあるけど、やりながら楽しめるものは楽しんでしまいたいものである。なんとなく自分自身の残りの時間が少なくなっていっているような感じもしてきた季節において、どれだけ余裕があるものかもわからなくなってきた。先輩方というのは、いったいこういう気分をどのように処してきたものであろう。聞いてみても仕方ないから、自分で考えるよりないのだろう。感覚というのは独自のものだろうから。
 そういう事であっても、実際のところそんなに変わりようもない事も薄々気づいてはいる。何しろこれまでもそうだったけれど、いつの間にかそれなりに結果的に変わってしまうものもある。変わってないけど変わってしまう。そういう事のために目の前のことがある。それを片づけていくと、自分が変化するのである。ちょっとずつなのだけれど。そういうことを期待している自分もいて、変わったことに瞬間的には気づきはしなかったものの、いつの間にか受け入れていた自分がいたのだろう。そういうことはなんとなく愛おしいものであり、しかしそれだけ失われた何かも含んでもいて、悲しさもちょっぴりということになるのだろうか。結局大局観はいらなくて、近視眼的な目の前のタスクだけを考えていくことにしよう。どのみちマルチに何かをこなすような器用さも無い訳だし。
 ということで、また新たに何かを刻みながら、毎日は数ミリでもよく、そういう感じでやっていこうと思います。まあ、後退したって、それはそれでそこからやり直します。
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