カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

新鮮さの差ではないらしい

2016-03-05 | 

 テレビ見てたら、生食用の牡蠣と加熱用の牡蠣の違いを説明していた。違いは水質の差で、要するに沿岸の栄養豊富な水域で養殖された牡蠣は加熱用に、比較的沖合の栄養価の少ない水域で養殖されたり、一定の除菌というか事実上の絶食状態にする水槽に何日か移されたようなものが、生食用として出荷できるということらしい。
 そうであるから鮮度という点ではまったくどちらにも違いは無いが、値段の上では生食用がいくらか高めではあるらしい。鮮度や味の問題ではなく、燃料代や手間がかかるということか。
 僕も勘違いをしていたが、消費者の多くはこの事実を知らないために、生食用がより安全という思いで買っている人も多いということだ。さらに残念なのは、生食用を生で食べる分には安全のためにそれでいいとは思うが、鮮度の問題と思って生食用をフライにしたり蒸したりして加熱処理して食べたとすると、加熱用の牡蠣より数段味が落ちてしまうということだ。栄養価が少ないために味の方も幾分淡白であるせいで、あくまで味が落ちても生で食べるというリスクと安全性のためにあえて生食用に生産しているということで、絶対生でなければ美味しくないと思っている人なら仕方がないが、生だから牡蠣が美味しいということでは無いということになるんだろうか。
 さらに生食をする習慣は欧米から伝わったもので、恐らく水質の差などがあるのかもしれないが、日本の厳しい基準からすると、そもそも生食はあえて新しく生産し直す体制を作ってきたとも考えられる。まあ、漁師さんなどは以前から生で食べるようなことはしていたかもしれないが、習慣としては新しすぎることなのかもしれない。
 また、加熱して食べることにあまり熱心じゃなかった可能性もある。実際に日本では古くから加熱して食べる方法がいくつもある。ダシとしても濃厚な美味しさがあるので、そのような素材として重宝していたということもあるだろう。
 また、料理の歴史が当然長い中国においても、最初から生で食べる習慣はまったく無い。干して戻したり、さらに揚げたりする調理法は、ずいぶんたくさんあるようだ。よくは知らないけれど欧州においても、恐らく加熱調理の仕方はそれなりに多いのではあるまいか。
 結局推測にすぎないが、生で食べるような方法というのが、多少酔狂として楽しいということもあろうし、またヨーロッパのワインと一緒に食べるということにも、面白さと美味しさがあったということかもしれない。牡蠣の品種も違うことだろうし。
 確かに個人的には、酢牡蠣も好きだが、酒蒸しも好きである。単純に焼いても美味しいけど、いつまでも食べていたら多少は飽きる。中国で食べた牡蠣の卵とじもそれなりに旨かったし、やっぱり広島のカキフライは立派でごちそうだった。小長井のトイレが無い牡蠣焼き小屋で、若いころに食べた牡蠣というのはそれなりに楽しい思い出である。何度かあたって苦しい思いもしてきたが、人間ががめついのか、また牡蠣を食べてしまう。縁が切れない食べものということなんだろう。
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