カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

おおきなカブ、むつかしいアボカド

2011-11-04 | 読書
おおきなカブ、むつかしいアボカド(村上ラジオ2)/村上春樹著(マガジンハウス)

 村上春樹の文体というのは悪魔的なところがあって、はまってしまうとどういう訳か頭の中のつぶやきまで支配してしまう。だからと言って特にどうしようもないのだけれど。ぶつぶつ(という感じになってしまう訳だ)。これが嫌な人にはどうにもダメらしいのだが、時には僕もそのような気分も良く分かりはするものの、しかしやはり愛おしいような、そんな感じのする特別さがある。
 エッセイの方は小説とはやはり違って、少し遊び風にふざけてみたり、そうして時には思想のようなものを押し出したりすることがある。そうであるから魅力的なのだけれど、しかし一見何の変哲もないように見せかけているところがまた、村上流(龍だと違う人だ)という感じはした。当たり前だが構成が上手くて、思わずなるほどと唸ってしまう。たとえ話も一見かけ離れた、むしろ遠い話のようでいて、しかし密接に感覚として絡んでいるのである。当たり前だけれど、それなりに吟味しつつ書きあげているのだろうな、と想像するのだった。まったく違うかもしれないけど。
 又、アンチ村上が煙たがるちょっとだけスノッブだったり、実は独りよがりだったりというところも随所に見られて、まあ、昔ながらのファンならこれもそれなりにいいとしか言いようがない。実をいうと彼のような世代間の言論には僕は思想的に与しないのだけれど、まあ、村上さんならいいじゃん、と思ってしまう訳だ。
 今となっては第二村上世代の作家の作品の方がよっぽどムラカミハルキ的な世界観で、なおかつお話も面白かったりするわけだけど、やはりオリジナル・ムラカミの力はそれなりに強力で、分量が少なくてスラスラページがめくれていくのが、やはり惜しいのだった。
 しかしながらあんまり影響を受け過ぎると、日頃考えているペースというか、感覚のようなものがちょっとだけねじれていくような気がする。息抜きのために読んでいてこれでは、ちょっと困るような困らないような…。
 世間ではノーベル何とか賞を取って欲しいという欲求の方が強力なようだけれど(それにひょっとすると本人もまんざらではないかもしれないが)、でもやっぱりそういうものとは無縁の方がいいような気がする人であるのも確かだ。もっと人気の無い人に譲ってやったらいいのである。
 このようなエッセイや考えを読むにつけ、もっと小説の方でもたいしたことない作品を書いてくれるといいのにな、とも思うのであった。まあ、ものすごい作品だってたまに書いてくれても、何の文句もありませんけどね。
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