2月3日の節分の日に、ご近所のある方から恵方巻きを頂いた。下さった行為自体には感謝しているものの、この巻き寿司が好きなわけではない。それに特にこれの縁起にあやかって、商売繁盛を願うものではない。とはいえ、いただいた恵方巻きとは別の巻きずし(鉄火だったと思う)小さく切ってもらって、北北西の方角を向いて食べた。ああ、意味も無く俗で楽しいではないか。
ところですでに多くの人が指摘して知られている通りだと思うが、この風習はもともと怪しい。しかし、そうであっても、何故か爆発的にいつの間にか普及してしまった。その上、これから後も引き続き定着するものとも考えられる。ある意味で、人々の心をとらえる絶妙のものがあるのだろう。
不思議と言えば不思議なのだが、この恵方巻きというのを好きな人々というか、特にテレビのようなメディア関係なのだと思うが、恵方巻きで盛り上がっていいという図式の方が、流行ってしまった原因にあるように思える。流行らせた仕掛け人が居た可能性もあるけれど、むしろ乗っかって喜んでいいと飛びついた土台があったように思われる。基本的にはやらせの構造のようなものだと思うが、怪しいけど勢いがあるんでいいじゃないかということではないか。商売も繁盛で喜ばれるし。
節分と言えば豆まきだろうが、スタジオなどで豆まきをすると、あとで掃除が大変というのがあるかもしれない。恵方巻きだと食べてもらう絵としてもやりやすいというのがあるんだろうか。ともあれ、あれをまねしたいという関心を呼びやすかったのかもしれない。
気に食わないひとも一定以上いるとは思うけど、ともあれ完全に定着した行事となった。そのことについては別にいいんだけど、今の世の中多様性がどうだという割に、実際はこのような単一的なものを欲するというようなことがあることが面白いのかもしれない。得体の知れないものでありながら、信じたいという欲求の方が勝って、追及するのが野暮になってしまう。あんがい歴史や文化なんてものは、このような上塗りの張りぼてのものも結構あるのかもしれないな、と思うのであった。