カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

障害はわがままなのだろうか?   こんな夜更けにバナナかよ

2018-12-16 | 読書

こんな夜更けにバナナかよ/渡辺一史著(北海道新聞社)

 副題「筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」。最近映画化(ノベライズもあるらしい)されて話題にはなっているようだが、買ったのはずいぶん前のことだ。それというのも何かの雑誌だったかと思うのだが、滝川クリステルがお勧めの本として紹介していたので興味を持ったからだ。ちなみに滝川がアナウンサーだとは知ってはいたが、彼女のニュースを一本まとめて見たことはない。そうではなくて、この本と「べてるの家」の本も同時に紹介していて、おやっと思ったからなのである。福祉のことはもちろんなのだが、滝川自身がジャーナリストとしてこれらの本を勧めていることになんとなく興味を覚えたのである。手に取ってパラパラ読んだが、なるほど骨太なレポートで、べてると共に感心したのを覚えている。
 当時はちゃんと読んでないところがあって、この度再読した。それというのも職業柄のことで、ものすごくむつかしい利用者さんがいて、職員ともども日々困惑しており、そういえば、と思い出したからだ。
 内容は、筋ジストロフィーという難病に侵された重度の障害者である鹿野が、在宅で暮らすために多くのボランティアたちと格闘する日々を描いたドキュメンタリー作品である。数々の賞を受賞しており、その筋では有名な本だけれど、この度この話が映画化されたことで、また脚光を浴びることになるのは良いことだと思う。
 大変に重たい内容も伴っているし、多少まとまりに欠けて冗長なところはあるのだが(そこが読み物として良いところでもあるが)、結構読ませるし純粋に面白い。僕の場合は仕事が福祉だからだろうか、啓発されて考えさせられるということではないのだが、僕みたいな仕事以外の人には、当然ぜひ読んでもらえないかという内容である。日頃考えていることがほとんどまんべんなく披露されているようなところがあって、改めてこのように文章化されていることにありがたさを感じる。僕の場合はこれで食っているところがあるので、僕の立場から文章化することは少しむつかしい面はあるのだけど、本当に素晴らしい内容なのではなかろうか。
 障害者という立場は、僕らのように障害のない立場の側からすると、やはり特殊なものである。だから法律で保護の対象になっているわけで、障害がなければそもそもそんなことにはならない。しかしながら同時に障害があるからと言って、特別に偉いとか偉くないとかいう人間性の問題になると、かなりあいまいな立ち位置にいることは間違いない。誤解を恐れずに言うと、偉い人もいるしくだらない人間だっているだろう。それはごく当たり前のことのはずだが、あたりまえでいられるかどうかはよくわからない。僕らからよく知られていない立場のせいで、誤解されているし、また、勝手に神格化のようなこともされている。ウチの利用者さんによく笑う人がいるのだが、そうすると見学に来た人がむやみに感動して、障害があるから純粋なのだろう、というような感想を言う人なんかがある。その度に何だか、うーんと考え込んでしまうような気分になるのだが、これを説明するのには少しややこしいのである。要するにこの本を読んでくれ、という話になるのかもしれない。
 ただし、このような重度の障害を持ちながら、鹿野のように生きることは、ものすごくまれなことである。これは日本の現状であることは間違いなくて、そうして海外であっても、やはりまたそんなに簡単なことではないだろう。だからこそ国民議論として考える必要のある問題なのであることは間違いない。しかし、まあ、読んでみてください。簡単ではないのですから。
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