カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

真実を残したいからこそ落とし穴がある   未来からの遺言

2020-01-20 | 読書

未来からの遺言/伊藤明彦著(岩波書店)

 副題は「ある被爆者体験の伝記」。著者は千人を超える原爆被害者の、生の声を録音記録して歩いたという。そういう中にあって、特に長崎で被爆した吉野さん(仮名)という人の証言に心打たれる。しかしながら、その証言の中には、よくできていると思われる謎も含まれていたのだった。
 被爆者の声を後世に残すということの意義は、たいへんに重たく深く、そうして貴重なものである。多くの人がその時に犠牲になり、実際に語ることが許されていない中、後遺症などに苦しみながらも生き永らえ、戦後も生活苦にあえぎながら生きてきた人たちの証言は、ドキュメンタリーとしてだけでなく、人間の生きる根源的なものを考えることにつながっている。そういう貴重な作業を、まさに自分の生活をなげうってまでも果たそうする著者が、吉野さんという、ある意味で被爆の肉声を語るにふさわしい逸材を発掘したというところから、そのミステリアスな現実が隠されている事に気づかされ、そうしてさらに深く苦悩の底に沈んでいくようになってしまう。被爆者の個人の声というだけでなく、その総体としての声を伝えることと、より正確な記録としての、資料としての残し方やあり方について、幾重にも悩み続けながら取り組んでいくのである。結果的に人間的なあり方としての考え方に行きつくわけだが、これだけの苦悩の上に壮絶な記録が残されたということにこそ、大変な価値があると思うとともに、やはりその残酷さの中に、非常に難しい人間のサガのようなことをも考えざるを得ないのである。
 この記録の中には、著者の素直な心情が語られている中に、おそらくそういうことを支えてきた思想というものも含まれていると考えられる。ジャーナリストとして、誰かを糾弾するためにやっているわけでもない中で、しかし、おそらく個人を著しく辱め、苦しめることになるだろうことに躊躇し悩みぬくのである。そこには、本来は必要である検証を、あえて阻む人間的な情緒があると思われる。だからこそ著者は人間的ではあるのだが、同時に吉野さんという人間の闇を、生きている間には覗き見ることに、あえて失敗してしまっているように見える。しかし、そうであっても、それが戦争の被害であることは確かなのである。
 なんという記録が残されていたことか。僕は長崎にいながらこのようなことはまったく知らなかった。多くの人が犠牲になり苦しんだことで、そのことを本当に伝えたいからこそ難しい問題に突き当たってしまう。もちろん、もう一人の僕は、それではいけないものがあるとは思うものの、そういう人間としての残忍さが、やはり反戦の思想の中にも必要ではないかと思うのである。そうして、実際に戦争を語る上では知っておくべき態度なのではないだろうか。
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