カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

詩を書かなくていい時代

2020-01-11 | ことば

 若いころには割にやっていたのに、今はまったくやらなくなったものに、詩を書くというのがある。これはいわゆる曲を作っていたからで、詩もなんだけど、曲も作らなくなった。まあ、曲というのはギターか何かあれば今でもすぐに何かできるにはできるだろうとは思われるが、いわゆるメロディーができたとしても、それに詩をのせる気になれない。思いついた言葉を言ったとしても、センテンスとして意味を成すようなものを考えようという気になれない感じである。
 若いころの作詞方法は、ギターコードに合わせてだいたいのメロディを決めて、その上に詩を当てはめていくという感じだった。おそらく多くの人がそうすると思うのだが、ごろのいいと思われる言葉を、まるで俳句の575のような感じで当てはまりそうならば並べていく。うまくいくと詩のような感じになる。とりあえず当てはめておいた言葉も、後で何かと入れ替えたりする。だいたいのスジとして、「分かってくれないあいつのバカ野郎」のようなテーマがあったとして(それはテーマといえるのかは、とりあえずおいておいて)エピソードを交えて言葉を紡いでいく。時折ものすごく上手く言葉がハマることがあって、自分でも感動しながら(馬鹿である)詩を作っていた。何度か歌ってみて、再修正し(推敲のようなもの)、バンドのメンバーに聞かせて編曲をし直す、というような作業をした。僕よりどんどん曲を書く人が居たので、そういう役割は減ってはいったものの(どちらかというと人の作った曲の編曲に力が入るものなのだ)、やっぱり時々は自分も何か書きたくなるようなことがあったようで、自発的にぽつりぽつり書いたものである。今考えるとそれなりに言いたいことがあったのかもしれない。いや、ブログも書いているし、詩の方が面倒であるが。
 でもまあ、詩なんてものを書いていて平気なのは、若さの特権のようなもののようにも感じる。大人になっても詩を書いている人はいるんだろうけど、僕のような感じで書いているわけではないのではないか。その表現方法として自分なりにしっくりするから続けておられるのであろうから、僕のような若気の至りで詩になるということではないと想像する。
 また書きたくなるようなことが起こらないとは限らないが、とりあえず書きたくなくて平和である。平和でない発言もするにはするが、とりあえずやっぱり平和なのである。
コメント
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