カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

英語は必要ない言語

2019-08-18 | ことば

 日本人が英語ができないというのは事実である。何しろ、ほぼ全員といえる人々が、中学・高校と長い年月学んでいたにもかかわらず、出来るのはほんの一部、それもものすごく特殊な人のみだろう。できない人からするとものすごくできるようになっている人であっても、そんなに自信が無いという話も聞く。できる人でさえコンプレックスがあるようだ。それくらい英語は恐ろしく難しい言語のようだ。
 できない理由というのは、ほぼ決着がついていて、必要ないから。英語圏でなく英語ができる国の人々に共通するのは、英語が生活に結びついていること。収入に関係あることである。英語は生活必需になるとできるようになる能力なのだ(あたりまえだけど)。まあ、他の言語も同じだが。だから多くのアメリカ人は、当然ながら日本語ができない(勉強もしていないが)。何しろ日本語が必要ないから。日本語がうまくならない欧米人は多いが(特に米・英・豪)、彼らは傲慢なのもあるが、多言語を必要としない英語の利便性を享受しているからだ。日本も一億を超える人口や、国土も広く経済的にも豊かな大国であるために、日本語だけで一生完結して暮らしていくことができる。さらにほとんど内需でまかなえるために、一部の貿易にさえ頼ればいいという条件も、外国語を必要としない要件になっているのかもしれない。英語は必要になってから覚えたらいいことと、日本語のできる人を起用して事足りるということも、一般の人の能力を上げない理由かもしれない。
 また、今後は何といってもAIの時代である。同時通訳は、きわめて完成度の高い水準まで翻訳可能になっている。よっぽど才能のある人や、趣味的に楽しめる人を除いて、英語教育の必要はどんどん薄れていくだろう。また、出来ない身分としては、堂々とそうなってほしいという願望があるのは、確かなことだけれど…。
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