カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

冬の散歩

2010-01-06 | 散歩
 流石に寒くて目覚めてすぐに散歩に出る気力がわかない。トイレから出てさっと服を着た瞬間に逡巡している自分がいることは知っているけれど、玄関から先は門までの距離しか歩かない。門に郵便受けがあって新聞を取るためである。杏月ちゃんが勢いよく外に駆けだして門の前で待っている。彼女も何となくそんな様子は了解していて、リードを首輪に付けるように足をばたつかせるいつものしぐさはしない。犬というのは賢いものだと改めて思うのだった。

 朝に歩けないのでせめて昼に歩こうと思い立ち、昼食をものの数分で片付け勢いよく外にでる。粉雪がほんの少しだけチラチラと舞って、いかにもゆく手に不安を暗示させる。職場の坂道はいきなり急で、猛烈に風が吹き上げてくる。ジャンバーのジッパーはしっかりとめて、手袋をはめても一気に体温を奪っていく。自然の木々のトンネルの中はさらに冷え込み、外に出たことを後悔させていく。ある程度坂を下りきってやっと道が枝分かれするところに差し掛かると、ちょっとだけ日差しが見えて、それだけでだいぶ暖かな気分になる。気分にはなるが暖かいわけではないが…。
 分かれ道を左に折れると民家があって、ちょうど若い夫人と子供が外出するところのようだ。小さい子供(恐らく4,5歳)が空に舞う雪を見つけて「わーい、雪だ」と大声ではしゃいでいる。母親は迷惑そうに早く車に乗るようにきつい口調で促している。やっぱり子供は偉大なんだな、と思いながら一人でクスクス笑ってしまう。
 後はだらだら坂道を登る。たいして早足ではないが段々と背中に汗が噴き出てくるのが分かる。手足は冷たくて感覚はないのだが、背中だけが熱くなっていく感じだ。できるだけゆっくり歩いて汗を抑えるようにする。この寒さで下手に汗をかくと、かえって冷えて風邪をこじらせかねないのである。ジャンバーを時折脱いで、シャツの前を開けてバタバタと胴体に風を送って冷やす。手足は凍えたままで体があたたかくて気持ちが悪い。こんな寒空の中でいったい何をやってるんだという感じだが、車が通るわけでもないし、気にする必要はない。もう少し気温が高ければTシャツに手袋姿になったりして忙しいのだが、流石に相当冷え込んでいるのだろう。風が通れば簡単に体温が奪われるようだ。
 このようなわけで、いくら寒い日でも職場周辺の散歩では薄手の方のジャンパーを羽織る程度で前半を我慢しなくてはならない。後半に手に上着をたくさん持ったまま歩くのは煩わしいし、上着を持っていない方の手が凍えるように冷えてしまうのである。
 職場に戻ってもしばらくは手がいうことをきかない。体は汗ばんでいるが手足は冷え切っていて、10分程度室内になじまなければ自分の体として働いてくれないようだ。冬の散歩はそういう苦労が多いのだが、暑ければ歩けないので、これはこれで気持ちがいいのである。
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よわっ

2010-01-06 | 時事
野良犬に負けて保護

 うーん、なんだかなあ、という感じ。まあ、本当に腹が減ってたのかもしれませんね。
 そういえば保護されているツシマヤマネコは見たことあるんだけど、正直どこがどう山猫なのか分からなかったので面白かったのを思い出した。別に強いからヤマネコはってるんじゃないということなんでしょう。
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八日目

2010-01-06 | 映画
八日目/ジャコ・ヴァン・ドルマル監督

Le huiti醇Pme jour



 誰かが誉めてたので見る気になったんだけど、それが誰だったかどうしても思い出せないんですよね。まあ、いい映画だったから大変ありがたかったわけですが…。

 多少ステレオタイプ的な解釈はあるように思うんですが、それがまあ一般的な理解なんでしょうし、仕方のない面はあるのかもしれませんね。しかしながら、このような感情は実によく理解できます。本当は自分自身で分かってはいるんですよ、きっと。だけどそれって本心じゃないし、聞き分けよく生きていくのも嫌なんですよね。そうして感情が爆発してしまう。
 自分の心象風景を見事に映像化しているのも必見だと思います。別に最新のCGなんて必要ないんですよね。あまりに見事で思わずうなってしまいました。こんな映画が増えるといいな、と正直に思います。

 僕は仕事人間自体はそんなに否定する気にはなれません。それはそれで頑張っている生き方には違いないからです。人間性の否定なんてことでもないし、むしろそれこそ人間らしいから犯してしまう悲しい性のようなものなのかもしれないとも思うからです。しかし、それ自体を正当化して誰かの犠牲を強いているのなら、それはやはり罪なのかもしれないとは思います。本心としたらそういう格好に対して罪の意識があるのかもしれない。贖罪の方法としてそれまでのスタイルを変えることができる方が、むしろ大変に難しい。そうすることによってこれまでの生活さえ失うことになるのですから…。しかし、すでに失ってしまっているのなら躊躇は必要ないのかもしれませんね。そのままでいいなんて言うことでもないのでしょうから。それだけ壊れてしまわないと、あえて再生ができないということも事実のように思えます。
 やっていることは無茶だけど、不思議な爽快感のあるいい映画を観た充実感を味わったのでありました。
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