カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

じゃんけん

2010-01-03 | 雑記
国民的じゃんけん大会

 グーだったのか。応募しなかったけど、僕はチョキのつもりでした。残念。
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雑念だらけだけど

2010-01-03 | 雑記
 そういえば家族で初詣に行ってないな、と思ってなんともなしに誘いの話を出してみたら、あえなく却下されました。まあ、近所の神社って手もあるんですけどね。ご利益が違うという話もあんまり聞かないし、って態度だとどこ行っても一緒かな。
 でも実は僕は神頼みって好きじゃないみたいなんですよね。別に信心深くないという意味じゃなくて、神様になんかお願いしている自分が気恥ずかしいというか、嘘っぽいっていうか。お祈りしているときに、ふっと我に返るようなことがあるんですよ。俺なにやってるんだろうって言う気分になるんですよね。
 自分のご先祖様の墓参りなんかに行っても、線香あげながら、これは石だもんね、って思っちゃうんですよ。超現実主義者っていうか、どうしても気分に浸れない。墓の前で語りかけたりしている人を見ると、何やってるんだろうって不思議な気持ちになったりする。聞こえるわけないじゃん、って思っちゃうんですよ。お坊さんなんかのお経上げたりする商売する人は、ああいう嘘っぽいことを年中やらなくちゃならなくてつらいだろうなあ、と子供のころから同情してました。
 でもですね、最近は仏壇に手を合わせるようになってきたんですよ。いまだに人間は死んだら生まれる前の記憶が無いがごとく無に帰るんだっていう気持ちに変わりないですよ。でも、手を合わせて目をつぶってできるだけ無心になると、敬虔な気持ちになるっていうか、無駄ながら、人間はそんな生き物のひとつなんだっていう事がだんだん府に落ちてくるようになったというか…。
 なんでしょうね、そういう嘘っぽいことであっても、ちゃんとするって事が尊いっていうことが、いまさらながらいいことのように思えるようにやっとなってきたんですかね。別に手を合わせている人も、自分のためだけにそうしてるんじゃないのかもしれないって思えるようになってきたっていうか…。
 元日に職場の利用者の人たち数人を連れて神社にいったんですが、ある人が、みんなが健康でいられますようにって、大声でお願いしてるんですよね。彼女は純粋にそう思ってるんですよ。そんな姿を見ると、本当にそうなって欲しいって、胸がいっぱいになったんですよね。僕もそんな風に純粋に思えるようになりたいって、本当にそう思います。
 そういうわけで、今年はできるだけ自分のうちの仏壇に手を合わせるようにしようかなって思います。まだまだ我に返る自分がいるのは正直なところですが、できるだけ精進いたします。
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