14時46分発~パンドラの函を開けて

3・11以来、自分の中で変わってしまった何かと向き合いながら短歌を作り、書きつづる。それが今の自分にできること。

中年プーの正念場

2010-06-27 10:56:42 | 3.11震災以前(芝居・映画)
MISHIMAプロジェクトの同窓会以来、立て続けに
芝居をみている。
みたのは次の4作品。

移動         桃唄309
いくつもの時間    文学座アトリエ公演
お岩幽霊~ぶえのすあいれす   流山児★事務所
太夫さん         MAロッキーズ(明治座アカデミー6期生)

それぞれに味があり、驚きもし、いい作品だった。

個人的な好みでいえば
別役実の「移動」が一番フィットした。というか身につまされた。
昭和46年の書下ろしというが、ぜんぜん古くない。むしろ斬新ですらある。

舞台には一本の白い道と、脇を挟む電柱。
今にして思えばこの白い道は、ベルトコンベアーに見える。
日常という反復される時間の象徴だろうか。
あるいは、現代を生きることの無意味性の象徴か。

登場するのは、荷車に家財道具の一切を積んで、
日常から逃れて旅に出た一家。赤ん坊以外は、みな黒い服。
そして電柱の発する熱の轟音に、いつも急かされるように進むのは、妻。
この妻こそ、日常を背負い込んでいる。
おとといのビスケットとお茶、洗濯物、赤ちゃんのミルクとオムツ、
話題にのぼるのは、隣の鈴木さんや中村さんや、病院の先生ばかり……

いくら逃れても、繰り返されるのは、かつての日常の再演でしかない。
日常(生活)から逃れ得ない悲哀がそこにある。

しかも、この家族には、仕事がない。移動そのものが、仕事なのである。
生きることそのもが剥き出しにされ、ここに、問われている。

つまり、生きるとは、生き続けること。
日常を生きること。
ベルトコンベアーの上をとどまらず、死ぬまで、移動し続けること。
そこに、花は咲くのだろうか。咲かせることはできるのか。
喜怒哀楽の心の花を。

仕事をやめた中年プーターローにとっての正念場、なのだ。



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