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まち歩き滋賀0213  琵琶湖疏水 第1トンネル 東口  伊藤博文の扁額 

2016年10月27日 06時20分13秒 | まち歩き

 

第1トンネル東口

琵琶湖疏水は、大津市三保が関で取水し、三井寺の山下を通り、京都市蹴上へと流れる人工の水路です。延長約9キロメートル。京都市の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために立案されました。

第1疎水は明治18年(1885)、青年技師田邉朔朗の指導のもとに着工、同23年に開通。第2疎水は明治45年(1912)に完成。工事が国家的レベルの事業であったことを示すように、隧道の各洞門には伊藤博文を始めとする著名人が揮毫した扁額が掲げられています。桜シーズンに見られる水と桜による美しい風景が評判です。

 

第1トンネル入口部の扁額

文字 氣象萬千(きしょうばんせん)

揮毫者 伊藤博文

意味  様々に変化する風光はすばらしい

扁額の上部には゛SAKURO TANABE DR ENG ENGINEER-IN-CHIEF WORK COMMENCED AUGUST  1885 COMPLETED APRIL 1890゛(主任技師の田邉朔朗工学博士によって、1885年8月~1890年4月の工事で完成したものである)の文字が刻まれています。

琵琶湖疏水は、明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して、明治18年(1885)に建設を始め、明治23年(1890)に第1疎水が完成しました。

疎水の水は、水車動力、舟運、灌漑、防火などに使われ、さらに日本初の事業用水力発電に用いられました。生み出された電力によって、工業が発達し、日本初の電気鉄道が走るなど、京都はにぎやかさを取り戻していきました。琵琶湖の豊かな水を引いたことは、京都の発展をもたらしたのです。

多くの恵みを京都にもたらした琵琶湖疏水は、今も水道や発電などの水として、市民の生活を支える源となっています。

建設当初3つのトンネルがあり、各出入口には明治の元勲が文字をかいた扁額が掲げられています。

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今日の川柳

友来るおいしい酒をぶら下げて  /成田

 

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