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石碑山0172  山階寺跡(推定地)  五条別れで

2018年08月08日 05時21分26秒 | 石碑

 

山階寺は7世紀後半、藤原鎌足により創建された寺院。中大兄皇子(天智天皇)と共に大化改新を成し遂げた鎌足の「山階陶原家」附属の持仏堂が始まりと推定される。

奈良時代の興福寺に関する史料には、「鎌足は改新の成功を祈って、釈迦三尊像・四天王像を造ることを発願した。事が成就した後、山階の地で造像を行った。やがて重病になり、妻の鏡女王の勧めで伽藍を建て仏像を安置した。これが山階寺の始まりである」と記されている。

その所在地は大宅廃寺せつ中臣遺跡説もあるが、山科駅西南、御陵大津畑町を中心とした地域にあったとする説が有力である。付近から有力な遺跡は見つかっていないが、この辺りは大槻里と呼ばれ、西隣の陶田里にかけてが陶原であったらしい。鎌足の子の不比等が育った「山科の田辺史大隅らの家」も近くにあった。山階寺はその後、大和に移り厩坂寺と呼ばれ、更に平城京に移り興福寺となる。このため興福寺は山階寺とも呼ばれた。天智天皇の腹心であり、藤原氏の始祖となる鎌足は、山科と深い関係があったのである。

石碑 前回の記事 ➡ 石碑北0171  大田子屋敷

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