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平安宮001  朝堂院跡  大極殿がよみがえった

2015年07月29日 00時22分20秒 | 平安宮

 朝堂院とは大内裏の正庁で,即位等の国家的儀礼や諸政を行う場であった。

大極殿と14棟の殿舎から構成されていた

朱雀門の正面,内裏の南西に位置する。

応天門の変(866)で創建後初めて炎上し,その後も再三の被災で修復再建が繰り返されたが,

安元3(1177)年の大火で焼失して以降,再建されなかった

 

 西向き

 

北向き

 

 

平安宮朝堂院跡

朝堂院は八省院とも呼ばれ、天皇の即位や外国使節の謁見などさまざまな儀礼や国事の行われるところで、朝政の中心の場であった。宮域の正面の朱雀門を入った所に位置し、北は中和院、西は豊楽院、東は太政官や民部省などの官衙に接していた。

その規模は、東西約60(180)南北約150(450)で、全体が回廊で囲まれていた。正面には応天門があり、両翼に栖鳳・翔鸞の二楼が建ち、応天門を入ると左右に朝集堂があった。さらに会昌門を入ると、大礼の際に諸司宮人の列した十二堂が建ち並び、正面の一段高い龍尾壇の上には左右に蒼龍・白虎の二楼を従えて、朝堂院の正殿である大極殿がその威容を誇っていた。東西11間・南北4間の規模を有する大極殿は、緑彩の瓦で葺かれた大屋根の下に朱塗りの柱の並ぶ華やかな殿堂であった。

朝堂院は、平安京造都開始の翌年の延暦14(795)にはまず大極殿が造営され、次々に整備されていった。その後数度の火災に会いながらもそのたびに再建されてきたが、安元3(1177)の大火で全焼し、以後再び建てられることはなかった。

現在のこの地は、ほぼ大極殿の西端ないしその西側の回廊付近にあたり、昭和50年に平安博物館が発掘調査を行った。後世の攪乱が著しく、遺構を確認することはできなかったが、大極殿に関係すると思われる多量の瓦類や緑彩の鵄尾(しび)の破片などが出土した。 平安博物館

 

 

 

平安宮と 現代を 地図で重ねると  赤丸が 石碑のある所になります

 

 

大極殿は 平安神宮に 5/8の大きさで復元されています

この建物が 1200年前にあったということです

 

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