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寺院右0458 大龍院  妙心寺塔頭

2018年04月29日 06時09分07秒 | 寺院

 

慶長11年(1606)和泉国岸和田城主中村忠一が亡父一氏の菩提を弔うため、鉄山和尚を開山に請うて建立した塔頭。はじめ妙心寺北門を出たところにあったが、明治の中頃、太嶺院と合併し、現在の地に移った。太嶺院は天正3年(1575)管領斯波義近が建立した衡陽院を密宗和尚によって再興された寺である。

庭園(江戸時代・昭和)は太嶺院時代に作庭された妙心寺山内唯一の池泉回遊式庭園で、方丈の背後にある。正面中央に大きく築山を設け、東北隅に枯滝組をつくり、東西にのびた細長い池には土橋を架け、多くの立石を配して変化に富んでいる。古来藤村庸軒の作として、名庭であったが、明治維新後荒廃していた。昭和53年造園家重森完途氏により復興された。

関山石は方丈の背後にある。妙心寺の開山、関山慧玄は天龍寺の夢窓国師を歴訪の都度、嵯峨野の小川のほとりで脚をすすぎ、身を清めた。それを知った天龍寺の衆徒は小川の傍にこの石を置き、関山の便の供した。洗脚関山石ともいう。

境内墓地には、明治三詩人のひとり、勤王家・小野湖山の墓がある。

 

 

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