顕本法華宗 京都市左京区北門前町469
はじめは、上京区室町出水(京都御所の西)にあったが、
その後 寺町二条に移転し 宝永5年(1708)に今の地に移った
天正の頃、開山日淵上人の弟子に日海(算砂)と囲碁に優れた僧がいて、
塔頭本因坊に住んでいたので、本因坊と呼ばれた。
算砂は信長から名人の名を贈られ、
秀吉からは四石を賜り、棋士の俸禄制を残した。
家康からは将軍家の指南や全国棋士の昇進査定などを行った。
また、毎年3月ごろに、江戸に行き、江戸城で碁を行い、
金銀を賜って帰洛したといわれている。
1623年に64歳で亡くなったが当寺の住職は囲碁に通ずるものであった。
昭和14年(1939)に21世秀哉のとき世襲制から、
試合に勝った実力者が本因坊を襲名することになった。
墓地には本因坊算砂、2世算悦、3世道悦、
4世道策、5世道知の墓がある。
大正12年の建立 京都三宅安兵衛建之
鐘楼 後ろは 本堂
本堂の扁額
ムクゲ
平成27年7月21日 撮影
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