アートプラス京めぐり

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まち歩き西0117  大枝・大原野の柿園

2016年06月28日 22時11分48秒 | まち歩き

 

秋を待っています

この日、手入れの作業中でした  平成28年6月4日

 

まち歩き前回の記事 ➡ 

   まち歩き西0116  ここに灯籠が 九社神社とあるが 神社は見当たらない

 


まち歩き西0116  ここに灯籠が 九社神社とあるが 神社は見当たらない

2016年06月28日 18時46分20秒 | まち歩き

 

 

九社神社は どこにあるのか

 

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   まち歩き西0115  玄関に大きな敷石  大枝 山陰街道沿い   


陵墓西010  大枝陵  高野新笠 桓武天皇の母

2016年06月28日 08時31分53秒 | 陵墓

桓武天皇御母御陵参道

 

大阪皇陵巡拝會

 

大枝陵道 敷地 と書かれています

 

ようやく 着きそうです

 

 父   高野乙継 

母    大枝真妹

夫  光仁天皇

子  桓武天皇

 

 

光仁天皇夫人 贈太皇太后

天高知日之子姫尊 

大枝陵

 

光仁天皇夫人高野新笠を埋葬した陵墓。父は高野乙継といい、百済系大和の後裔、母は土師氏一族の大枝真妹という。光仁天皇が東宮のときに入妃し、桓武天皇が生まれた。延暦8年(789)12月28日崩御。年齢不詳。翌9年1月15日この地に埋葬された。明治13年(1880)12月、現在のところに治定された。

 

陵より南を見るが 木々だけです

 

 


関連記事 ➡  桓武天皇 柏原陵  散歩に訪れる人も多い 

         まとめ042  陵墓

陵墓 前回の記事 ➡ 陵墓西009  宇波多陵  桓武天皇の夫人  

 

 


神社西0051  大枝神社

2016年06月28日 07時30分20秒 | 神社

 

 

 

 社号標  題字は 梅原猛 とあります

 

 

 

石鳥居の 扁額

 

石鳥居  享保16年(1731)の建立

 

 

拝殿とその奥の本殿

 

 

大枝神社

康保4年(967)施行の『延喜式』には神社の名前として「乙訓郡大井神社」と記載されている。現在の氏神は高美計神である。この地の先住民である大枝氏の祭祀神といわれている。しかし、はじめは聖徳太子の幼児の像が祀られていたところから千児明神と称していた。現在、児子神社はこれより東方、大枝塚原町の地にある。

境内には享保8年(1723)と記された石燈籠があり、江戸時代にはさかえた様がうかがわれる。神紋は双葉葵である。

明治6年(1873)村社に公定される。現在、沓掛町の氏神として人々に親しまれている。

境内地2反4畝16歩(736坪 約2433㎡)

大礼祭は5月21日(近年は21日の直前日曜日)

大枝神社奉賛会

 

 

狛犬

 

享保8年(1723)  建立の 灯籠 

 

 末社  左は 天満宮

 

末社  不動明王 

関連記事 ➡   神社西0050  兒子神社 

      梅原 猛 書の石碑  石碑2  八ツ橋 発祥之地  熊野神社内 

神社 前回の記事  ➡   神社西0050  兒子神社