逸酒創伝 ぬるかん日記♪~東京の老舗酒問屋「コンタツ」 若手社員奮闘中~

熱すぎず、冷たすぎず。
リラックスできる「ぬる燗」のような関係を、あなたと。

あの日から1年が経ちました。

2012年03月12日 | コンタツ社員

こんにちは。

営業統括部のマツダイラです。

 

あの、かつて経験したこともない大震災の日から、昨日で一年が経ちました。

忘れもしない金曜日の午後、ビル8階にあるオフィスで、明らかに今まで体験したことのないほどの余震に続いての本震。

とっさに、オフィスの脇に出荷を前に積んであった商品を押さえに行った覚えがあります。

どうしていいか解らず、とりあえずフロアの社員と一緒にビルの外に非常階段で避難し、しばらくしてエレベーターが止まっていたので階段でオフィスに戻り、気もそぞろのままデスクに戻って仕事を再開したら再び大きな揺れが・・・。

社員も帰宅しようにも交通機関はストップ。

クルマは大渋滞。

あの日、ホントにたまたま自転車で会社に来ていた私は、帰宅できなくなっている社の仲間の当面の身の振り方を確認してから、帰宅しました。

 

翌々日からはオーストラリア~香港出張でした。

いつも以上にガランとした成田空港から出発し、当地では連日大震災のニュースが流れていて、現地の皆さんから温かい励ましの言葉を頂きました。

私が出発した翌日から、成田空港が出国パニックになったのも現地の新聞で知りました。

香港では、得意先から60歳以上の元原子力技師や消防員が100人ほどで決死隊を組み、原発の収拾に向かったというニュースを聞き、こみ上げてくる涙を止められませんでした。

1週間の海外出張を経て、帰国の途での飛行機もガラガラ、成田空港も入国側は閑散としてました。

あの時期、日本に来る人なんてほとんどいなかったんですね。

 

あれから1年の昨日。

皆さんは、どんなことをして過ごされたのでしょうか。

 

私は、春の陽気に誘われて、友人達と自転車で浅草散策をしてました。

美味しい鰻を食べて、完成した東京スカイツリーを見て、下町情緒あふれる飲み屋さんで一杯ひっかけてました。

確かに、不謹慎だったかもしれません。

私も、あの日の出来事は決して忘れることはできないし、震災で大事な方を失った方々の事を思うと、胸が痛みます。

でも一方で、忘れなくてはいけないこともあるのではと思うことも正直あります。

ちょうど10年前に母を亡くしたとき、こんな悲しい出来事は今後二度とないと思うくらい、失意のどん底に落ちましたが、今は悲しいという感情ではなく、母が存在したということが今の自分の大きな支えになっています。

それは、今でも真相はよく解りませんが、おそらく「時」というものが悲しみを和らげてくれたという実感は、確かにあります。

 

被災地の復興には、まだまだ長い年月がかかります。

その長い年月が、関係するすべての方々に重く重くのしかかるんだと思います。

でも、きっと、必ず、希望の光は見えてきます。

そんな日が全ての方に訪れることを強く信じたいと、昨日春の青空にそびえるスカイツリーを見ながら思ったのでした。

 


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