ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

評価はしっかりと

2018年03月13日 23時33分09秒 | Weblog
毎年この時期になると、誰の、何のためなのか良く分からない、後先も
あまり考えてなさそうな物事が立ったり決まったりする。
個人的に、その多くは予算のためであるとか、査定のためであるとか、
そういう至極目先のアレコレのために起きているようにしか思えず、
年度末という会社社会における節目の風物詩とも感じている。

それらの物事がしっかり維持、管理、運営、広報されていれば良いので
あるが、往々にしてそれらは短期間で手放し運転になり、忘れ去られ、
来年の年末あたりに『誰だコレ決めたヤツ…』と恨み節のタネにされる
までが一セットとという印象がある。

その所属団体や、長である人の裁量もあるが、会社や学校、その他の
共同体的な枠組みの中にあって、ただ単に何かを"成した"人を評価の
対象としてしまう傾向があり、それはつまり維持や管理、洗練化や収束
など、ケツを持つ人が顧みられにくいことでもあり、それが結局
上で挙げたような"やった感"あふれる試みの氾濫の元なのではないかと
考える。

ついでに言うと、大体そういうやった感を評価対象にしてしまうような
環境は、そもそも評価についての考え方がどんぶり勘定だったり、気分で
決めるお天気評価だったりというような、ろくでもないものが多い気がする。

他人の評価の仕方とか、そういうものははっきり言って学校の生活や
授業では一切教わらない。学校でやってきたような感覚や感情を持ち
込んだら概ねアウトという感覚を知る上では大事ではあるが、現状その辺を
知らない、体育会系のノリで理不尽な評価を下してくる人達が多い。
しかしながら、そのような手合いを反面教師とした人たちが真っ当な
評価観を身につけつつあるような所も見受けられる。

親は無くとも子は育つ、ということなのかも知れないが、ともかく
真っ当な評価を行うということは、社会においてのかなり基本的な行い
の一つなのではなかろうかと思った次第である。
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