千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『ジェーン・エア』

2012-05-06 15:01:08 | Movie
少女が乙女への階段をのぼる通過点のような物語。ジェーン・エアとは現代版のちょっと怖いハーレクイーン・ロマンスだと軽んじていたが、『闇の列車、光の旅』の監督キャリー・ジョージ・フクナガが、出版から165年目に何度目かの再映画化をしていた。その新作版の予告編でイギリスの美しい田園風景とクラシックな洋館、伝統的な衣装を観ていると、きっと自分は映画館でこの映画を観るだろうと確信めいたものが感じてくる。調べると、これまでも何度も映画化をされているのだが、本当にそれほど魅力あるストーリーなのだろうか。日本でも上下巻あわせて累計500万部をこえるベストセラーにしてロングセラー。そんなに売れてるのかっ!

今回DVDで鑑賞したのは、フランコ・ゼフィレッリ監督という大御所に、ジェーン・エアにはあの生意気シャルロット・ゲンズブール、ロチェスター卿を演じるのはあのウィリアム・ハート、そして妻役はあのマリア・シュナイダー。

・・・といずれも”あの”がついてしまう知名度抜群だがなんだか微妙なキャスティング?でも、思わず身をのりだしてしまった微妙ではなく”絶妙な”キャスティングは、”あの”官能的映画『ピアノ・レッスン』で娘のフローラを演じたアンナ・パキンが、少女時代のジェーン・エアを演じていることだった。両親亡き後に孤児となった彼女を養育してくれた伯父も亡くなり、その妻とこどもたちにどんなにいじめられて虐げられても意志が強く不屈な少女、厳しい規律の寄宿学校でも自由で清らかな心を持ち続けるジェーンに、アンナ・パキンはとてもはまり役である。

その後、病に倒れることもなく無事に成長したジェーンは、ソーンフィールド邸の当主・ロチェスターの長女のガヴァネスとして雇われる。アンナ・パキンの可愛らしくも賢そうなジェーンから、シャルロット・ゲンズブールにいきなり飛ぶのはいささかとまどいがある。どう見ても別人のジェーンだ。しかし、寡黙なジェーンの行動と会話には、やっぱり現代でも魅力を感じる。様々な意味で本当の自立をこころみたジェーンは、刊行された1847年当時の、女性の社会的地位が低く、住み込みの家庭教師からお屋敷の妻になるなどありえなかったこの時代では、センセーショナルで衝撃すらも与えたそうだ。

ところで、上野千鶴子さんがおもしろいことを言っていたのだが、「男に選ばれて婚活に成功すれば、女の指定席をゲットできる。ゲットできない女はどうやって生きたらいいかっていうと、ガヴァネス」と。
ガヴァネスとは中産階級の教育のある娘の、たった一つの職業だそうだ。しかし、上野さんによるとガヴァネスっていうのは、「愛人すれすれ」になる。そのガヴァネスから妻にのしあがったのがジェーン・エア。相手の男にハンディがあったからのしあがれたけれども、「妻がいれば、愛人ポスト」。 さすがに辛口姉御!ユーモラスで辛らつな分析だが、確かにっ、である。×イチのロチェスター氏の怪我とジェーンのころがりこんだ遺産で、この結婚も階級差をこえて最終的に概ねバランスがとれていく。しかも、気の毒な妻もいなくなった。

最後に、上野千鶴子さんの強烈な一言には、この作品が不朽の名作であり、再映画化されたのも納得するしかない。

「男が失明するって、女にとって、最後の解決、この人はもはや私なしには生きていけない。最終的な女の勝利ですよ」
女が勝利するからこの本は読み継がれていくのだった。かくして、これからも何度も映画化され、読み継がれていくのか・・・。女は強い。

原題:Jane Eyre (邦題では一般的な「ジェーン・エア」ではなく「ジェイン・エア」となっている)
監督:フランコ・ゼフィレッリ
1990年製作

『別離』

2012-05-04 15:13:16 | Movie
もう愛していないから別れよう。
欧米の恋愛事情では、別れる理由は愛情の喪失しかない。『ミラノ、愛に生きる』では、エンマは資産も家族も名誉もすべてを捨てて息子の友人の恋人の元に走っていった。人として正直に自分の人生を選んだエンマの行動に拍手。しかし、そこまで個人主義になれないのが日本人の私。

ある夫婦が家庭裁判所で離婚調停中である。
映画は、この夫婦、銀行員のナデール(ペイマン・モアディ)と英語教師のスィミン(レイラ・ハタミ)が観客に向かって、それぞれ離婚を申し立ている場面からはじまる。
妻は、一人娘の教育のために海外に移住するから夫が国内に留まるのならば別れたいと。
夫は、アルツハイマーを発症している父を残せないので、国内に留まりたいので別れたいと。
そして、どちらも娘は自分と一緒に生活すると主張して譲らない。

たたみこむようなセリフと”間”に、ドキュメンタリーを観ているようなリアル感がある。夫婦の容姿の端整さに、映画の中のお話だったと思い出さない限り。音楽もなく脚本が勝負のこの冒頭から、一気に集中していく。教育のために海外に移住したいという妻の願いもよく理解できるし、又、夫の老父を見捨てられない感情も当然だと思う。両者の申請は離婚理由にならないと一旦、却下される。

妻はスーツケースを片手にスカーフを軽やかになびかせて家を出て行く。日本の母だったら、多くはこどもを連れてということになるだろうが、イスラーム世界では夫の許可なく娘とともに実家に帰るという抗議はできないのだろう。夫婦の自宅からは、テヘランの合理的に西欧化しつつあるインテリの中産階級の暮らしぶりがうかがえる。

妻に家出をされて早速困ったナデールは、幼い娘を連れたラーズィエ(サレー・バヤト)という女性を家政婦として雇うことになる。ラージィエの存在は、美しく教養もあり、計画通りにカナダに移住したらさらりとスカーフを捨ててしまいそうなスィミンと対峙するように、信仰心が強く、黒く重いベールをまとっている旧来の伝統的な女であり妻として配置されている。彼女は名誉を重んじる失業中の夫に内緒で遠い自宅から2時間もかけて家政婦として働くために、他人の家にやってくる。そして、ある事件をきっかけに登場してくるのが、彼女の夫、すぐにきれるタイプのホッジャトだった。映画は、この二組の夫婦を中心に現代のイランが抱える介護、失業、貧富の差、教育、女性の社会進出、そしてイスラーム化政策がもたらす歪みと矛盾、不条理が次々とあらわれてくる。意外にも、日本社会とそれほど違いがないのではないかと共鳴していく。

しかし、貧富の差とは関係なく、そしていかなる社会で暮らそうとも、いつも最大な被害者はこどもたちである。2組の夫婦のそれぞれの娘の繊細な表情が、痛々しい。

監督のアスガル・ファルハーディー は、前作『彼女が消えた浜辺』で秘密と嘘からイランを描いた。本作も、秘密と嘘が事態をより複雑と混乱におとしている。しかも、その秘密と嘘からは、前作と同様にイラン社会が抱える不条理や混沌がうきあがってくる。脚本も演出も完璧。監督の娘も参加した俳優たちの演技も素晴らしかった。次々と事実があかるみにでて、ひとつひとつの謎があかされるが、すべての事実を知るのは観客のみ。しかし、最後の離婚調停の家庭裁判所のエンディングでは、娘の重要な選択はあかされずに、観客には裁判所での民衆の喧騒とともに秘密と謎が残されるという抜群のオチ。

本作はベルリン国際映画祭金熊賞をはじめ、数々の映画賞を受賞している。受賞も当然、実に密度が濃くて質が高い良い映画だった。

原題:Nader and Simin, A Separation
製作・監督・脚本:アスガル・ファルハーディー

■アーカイヴ
『彼女が消えた浜辺』

「残夢整理」多田富雄著

2012-05-02 22:51:30 | Book
本書は国際的な免疫学者・多田富雄氏の遺作となる。
多田さんは1934年、茨城県の何代も続いた開業医の息子として生まれる。千葉大学に進学し、内科医になって田舎の開業医になる前にモラトリアムな時間をつくるためと、変人と評判の教授の病理教室の門をたたいてそのまま世界的な免疫学者としての業績を残すとなことになった。趣味の能への造詣も深く、新作能までてがけている。そんな多田さんは、2001年脳梗塞に倒れ、声を失い、右半身不随となるが、最後の最後まで執筆活動を続けた。
平成22年2月18日。癌の転移によって、わずかに残った左手の機能まで失われて断筆となった。その2ヶ月後に、亡くなった。

さて、本書を手にしてずっと気になっていたのが、表紙の絵、真っ青な空にたなびく雲、白い包帯を巻いたような人物が草原に横たわり、そばに大砲があるシュールな油絵である。この50号の絵は「廃砲と廃兵」というタイトルだそうだ。画家は、永井俊作。昭和22年、県立水海道中学に進学した多田少年のかなり風変わりな同級生だった永井さんは、東京藝術大学に進学し、江藤淳らと同人雑誌を作っていた多田さんとは夢も重なり、生涯の友人となった。それは、永井さんが上顎癌になり端整な顔がみるも無残に醜く変形し、最後のその日まで、精神的ホモとまでからかわれたふたりの友情は続く。

早熟ゆえに才能をもてあました文学青年、破天荒な医学部の同窓の仲間、特攻隊の志願兵だった従兄、変人といわれた病理学の謹厳な恩師、そして能楽師。病に倒れた著者が、すでに逝った故人との交流と人物像をうきあがらせ、又、去っていった昭和の青春の記録でもある。

多田さんは文章がとてもうまいのだが、それもそのはず”跳ね上がり”江藤淳氏と本気で同人雑誌を作っていたそうだ。
本書でも大好きだった年上の従兄の肉体に第二次性徴を見て嫌悪感を感じる文章は、どきどきするくらい秀逸だった。しかし、大事なことは文章の巧みさを読むことではなく、彼が後世に残してくれた昭和の残夢である。

多田さんはたくさんの名誉ある肩書きと経歴、受賞暦もある。そこから考えるとと一般の人よりもかなり多くの交流関係があるかと想像される。すでに鬼籍に入られた親しかった方の中には、著名人もいるだろう。しかし、多田さんの夢にあらわれるのは、世間的にはそれほど知られているほどでもなく、無名でむしろ不運で不遇だった人たちである。もっと器用に、それなりに世間をうまく泳げばよいのに、彼らの人生にそんな私はいくつかの哀しみをみる。それはまぎれもなく、昭和に落とした悲しみとそれゆえの美しさかもしれない。多田さんの感性がひきよせる交流でもあろう。変人の恩師・岡林篤氏が推薦してくれて渡米した時の回想記「ダウンタウンに時は流れて」と同じである。

■こんな残夢も
「ダウンタウンに時は流れて」
「免疫の意味論」
世界的な免疫学者の多田富雄さんが亡くなる