千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「五嶋みどり+R・マクドナルド」デュオ・リサイタル

2005-01-15 16:23:08 | Classic
・・・らしい。
けれどもあのオペラシティで、ヴァイオリンとピアノのデュオを聴きにきたという意識のあった聴衆は少ないのではないか。五嶋みどりのヴァイオリン・リサイタルのつもりで真冬にあしを運んだ、という方たちばかりなのでは。決してマクドナルドさんの力不足というのではない。それほど、五嶋みどりは稀有なヴァイオリニストであり、音楽家なのである。

ベートーベン「スプリング・ソナタ」のはじまりの数小節を聴いただけで、そこにあるのはベートーベンの音楽というよりも、五嶋みどりの音楽が始まるのである。純粋で美しい音だけれど、理性的に計算された解釈の基に構築された世界。しかも比類のない彼女だけの音楽。彼女のあまりにも個性的な様式にあわないものも当然いるであろう。しかし、そこに共感できるものにとっては、実に生きている幸福を味わえる時間。

天才というのは、そもそもデビューしたばかりの10代の頃から、その音楽は成熟しているものである。そこから心身の成長とともに、自らの独自の音楽の世界を築いていく。あるものは純粋に音楽の喜びを聴衆とわかちあうスタイルへ、また優れた現代曲をとりあげてその分野へと導くものもいる。その中でも五嶋みどりは、最初から驚くほど成熟したヴァイオリニストとして登場し、尚且つ成熟したまま進化していく驚異的な音楽家である。彼女が欧米で大変人気が高いのも当然であろう。


私は今回Aプロを選択したが、オール現代曲をとりあげたBプロも聴きたかったと残念である。プログラムのそんな意欲をわかせるようなみどり自身による解説は読む価値がある。そしてアンコールで弾いたエンゲル「海の貝がら」は、見事なテクニックを披露しつつも、繊細に紡ぎ出された真珠のような音はまるで夢のような海の中への旅をした時間でもあった。

余談であるが、1992年からスタートした「みどり教育財団」での活動やニュヨーク大学で心理学とジェンダーを学び、修士課程に進んでいるという姿に、彼女の見ている視点の高さがうかがえる。

************** <プログラムA> *************** 05/1/14 オペラシティ**********

ベートーベン:ピアノとヴィオリンのためのソナタ 第5番 ヘ長調 作品24 「春」

ヤナーテェク:ヴィオリンとピアノのためのソナタ

ドビュッシー:ヴィオリンとピアノのためのソナタ

ブラームス:ヴィオリンとピアノのためのソナタ 第3番 ニ短調 作品108

*アンコール 

エンゲル:「海の貝がら」
クライスラー:「愛の喜び」


続報:スレイブ中村さん怒る

2005-01-13 23:50:19 | Nonsense
~日々是好日~の管理人さまより

>当初の報奨金である「社長賞」が2万円。これはいかがなものでしょう
と私のコメントへの上記のレスがついていたが。「社長賞」2万円。まさにスレイブな金額だ。

日亜化学というところは、今でこそ全国区の仲間入りをしているが、元々の出自は四国の田舎の中小企業。それに当時の日本社会においては、ソニーなどの一流企業でも、社員の優れた発明に対する報奨金はアッパー100万円程度だったような記憶がある。今回の訴訟で慌てて報奨金制度を見直しして金額をひきあげた企業も多いが、日本的な企業と従業員の関係は欧米諸国ほどスマートととはいえない。
それに、そもそも熱心で集中力はあるが、変人で扱いにくい社員が掘り起こした成果がノーベル賞に近くとてつもない金鉱だったと、理解できる役員もいなかったのではないか。

江崎玲於奈さんのお話しであったが、たとえば米国というのは、優れた成果をだしたとしても、乗ったタクシーの運転手よりもお客の研究者の報酬が低かったら運転手よりも評価されない社会だと。
これは、大リーグの野球選手の契約金と実力が比例するという簡単な図式をあてはめるとわかりやすい。それもどうなのかと、清貧を尊しとする日本人には疑問に感じる部分もあるが、(実際、選手への高額な年棒のために経営難になった野球チームもあるから)かの国でそういう感性が肌にあった中村修二さんにとっては、本来あるべき社会と映るのも納得する。

「実力にある研究者はアメリカへ来い!」

自分に自信があり、野望と大志を抱く若者は太平洋を渡れ、、、と私も応援したい。

それにしても中村さん、全くの無名のいち社員時代から、言いたいことを言い、やりたいことをやり、スレイブナカムラと揶揄されても魂までは決してスレイブではなかった!

http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/web/200209/


クラシックを聴く人は紅茶党

2005-01-12 23:12:02 | Classic
今日、仕事の帰りに立ち寄った銀座のブティックで店員さんからおもしろい話を聞いた。
コンサートに着ていくための白いジャケットを試着していたのだが、お相手してくれた店員さんが学生時代NHKホールのサンドイッチ売り場でアルバイトをしていた時、公演内容によって売れスジの飲み物が全然違っていたという。ポップジャムの時はコーラ、レッツゴーヤングの時はソフトクリーム等、けれどもN響の定演の時はだんぜん珈琲よりも紅茶、紅茶が売れたそうだ。

スタバの隆盛をみても、世の中紅茶よりも珈琲を愛飲している者の方が多いと思う。それにもかかわらず演奏会の中間の休憩時間に紅茶をたしなむ善良なクラシック音楽愛好家の姿、なんとなくうなずける。つまり、ちょっと上品に紅茶の繊細な香りとつかのまの流れる時間、オフタイムを楽しむ行為の優雅さと音楽に耳をかたむける行為は近いものがあるのではないだろうか。
その一方で、実際は珈琲よりも紅茶の方がカフェインが多いのも、クラシック音楽を好むものに酒好きが多いというあまり世間には知られていない、知られたくない噂にちょっぴり信憑性を与える。私は大酒は呑まないが、演奏会の前はマチネーでもワイングラスをかたむけ、休憩時間には後半の音楽を期待しながらたった今まで鳴り響いていた音の余韻とともに珈琲を飲んでいる。

ついでに、デザイナー(独身!イイ男だ)の方が「週刊AERA」の表紙を飾ったこのブティックは、音楽家のお客さまが多いそうだ。

昨日の続報:中村修二さんが記者会見で「日本の司法制度はくさっている」と独演会を開いたそうだ。
こちらの演奏会も生で聞いてみたかった・・・。

スレイブ中村さんは勝ったのか、負けたのか

2005-01-11 23:26:22 | Nonsense
本日、一番ホットな話題はこれでしょう。

<青色発光ダイオード>和解成立 日亜化学が中村修二さんに8億4000万円の支払い

発明の対価はその発明者か、給料をあげて生活の保障と研究の場を与えた企業にあるのか、さまざまな議論をよび、また次々と報われなかった発明者の訴訟を起こすきっかけとなった裁判が今日決着した。

【中村さんのコメント】和解額には全く納得していないが、弁護士の助言に従って勧告を受け入れることにした。問題のバトンを後続のランナーに引き継ぎ、本来の研究開発の世界に戻る

【日亜化学】当社の主張をほぼ裁判所に理解して頂けた。特に青色LED発明が1人ではなく、多くの人々の努力・工夫の賜物(たまもの)とご理解頂けた点は大きな成果と考える


中村さんにとっては、和解金額としては当初の200億円を大きく下回るということを正当な評価と受け入れにくく納得はしていない。しかし、そもそもは売られたケンカで自身の発明まで封じ込めようとした日亜化学の行為に端をなしたわけで、和解を受け入れて今後は研究活動に専念したいというのはもっともだろう。
ひるがえって日亜化学は、発明が多くの人々の努力の成果という理解が判決に反映されたといっているがどうであろうか。東京高裁の指摘は、日亜化学の経営を考慮した日本的な財界人たちもほっと胸をなでおろせるラインにソフトランディングしたという見方もできるのではないか。

【弁護側】当初の2万円のご褒美からすると国内史上の最高額を支払われることから成功した

弁護士としては、中村さんの胸中はともかくとして、これだけの話題性充分、金額も大きい訴訟でこのような結果に至ったことは充分成果があったと満足できるだろう。知名度もあがり、知的所有権を争う訴訟依頼も増えるかもしれない。もしかしたら一番の勝利者は行列ができるかもしれない弁護軍団だったのだろうか。

ノーベル賞に近い研究者と言われる中村修二さんの発明した青色発光ダイオードが、半永久的な光源をもたらすということで画期的で莫大な利益をもたらすことは事実。
そして大企業の優秀なチームが見向きもしなかった別の方法で、たった一人で、会社の行事も欠席し、変人扱いされ、装置から手作りして生み出したブレイクスルー。それは報奨金のあつさだけでは量れない素晴らしい研究の成果である。

【北城恪太郎経済同友会代表幹事】発明対価は、企業と従業員の間の合理性を持った事前の合意によって決められるべきだ

今後は企業も研究者との事前のお約束は必要だ。まるで結婚するときに離婚したときの条件をかわすハリウッドのように。

マクロとミクロ

2005-01-10 22:01:18 | Book
「パラサイト・イヴ」というサイエンス・ホラーの1冊で、ビジネスマンからこどもまで多くの読者をつかんだ瀬名秀明さんが、18人の研究者(米国ではscientistという)と、今の日本の科学研究の最前線でどういうことがおこなわれているか、また研究者がそこにたどり付いたきっかけや何を考えているか、対談したものをまとめた著書を読んでいる最中である。

「科学の最前線で研究者は何を見ているか」日本経済新聞社

おもしろいのである。しかも読んでいるとなんだか胸がわくわくするのである。
採り上げたのが広範囲であり、「日経サイエンス」の連載をまとめたためか、このての本の先輩である立花隆さんの著書に比較して浅い内容ではあるが、科学知識にうとい人間にはかえって読みやすく、日頃興味の全くなかったような分野にもふれることができる。
瀬名さんのリードも上手であり、編集者の力量もあると思うが、登場する研究者のお話が必要簡潔にして非常に洗練されているのである。研究者というのは、学会発表や論文作成でいかにひとの興味をひきつけるかということを常に念頭においているためであろうか。それぞれに思わず膝をたたいてしまうようなお話しがあり、日常生活から一歩進み、視野が広がったような気までしてくる。

ブログで内容の一部を備忘録のように記録しておきたいが、コピーは当然ながら出版社の許可が必要なので少しずつ自分のなかで変換して残していこうと思う。

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毛利衛さんがスペースシャトルの中で細胞培養の実験中に、ふと窓の外を見ると丸く輝く地球を眺めた時、顕微鏡の中の細胞によく似ていることに強く心を動かされた。その経験からマクロとミクロなものに類似点を見ることによって新しい発想や見方を獲得する、「ユニバソロジ」という考え方を提唱している。
このお話しは興味深かった。
その後登場する関実さんの「机の上で実現する化学プラント」でも、石油化学工業では、実験室で考えた合成プロセスを巨大なシステムで実現するかが研究だったのに、、巨大化する方法はいかに小さくするかということと殆ど同じであることから、マイクロ流体デバイスというミクロの小さなものづくりに取り組んでいるということだ。これが実現化するとほんのわずかな血液から数十項目の検査が可能になるらしい。

これは世の中の経済にも言えるのではないだろうか。
あるファンドマネージャーが私に言った言葉だが、経済はミクロだ。確かに。(._.)
学生時代、ゼミで「マクロ経済モデル」をほんのわずかにかじった者として、マクロ経済はミクロの集合体であるということを最近感じている。何年か前流行した複雑系がまさにそれを証明している。
小さな要素の集合体が全体のうねりを形成していく理論は、従来のマクロからの視点だけでは見えないということだ。
木を見て森を見ないいう格言があるが、一本の木が雄弁に森を語るという現象もあるのではないか。
マクロとミクロ、そのあい反するギャップもおもしろいではないか。

「ベルリンフィルと子どもたち」

2005-01-09 16:45:48 | Movie
カメラが無機質で個性もなく、むくもりも感じられない今のベルリンの街の素顔を映していく。そこへいきなりヒップポップの音楽が重なる。漂流しているかのような寒々とした光景に、ヒップポップ音楽の明るさが逆に暗澹とさせられる。そんな冒頭のシーンからはじまり、やがて静かにクラシック音楽が鳴り響き、にぎやかなヒップポップ音楽に違和感なく見事に融合していく。ラストでも繰り返されるこの場面と音楽は、映画の中で指揮者のサイモン・ラトルが語る「音楽にできることは、人々を分断するのでなく、一つにすることだ」という信念を象徴している。

この映画はベルリン・フィルの芸術監督でもあるサイモン・ラトルが始めた教育プログラム、音楽的な素養もダンスの経験も殆どない250人の子供たちが、あの格式の高いベルリン・フィルが演奏するストラヴィンスキー「春の祭典」をダンスで共演するというプロジェクトのドキュメンタリーである。
映画はサイモン・ラトルや振付師のロイストン・マルドゥームらのインタビュー、こどもたちへのインタビューを交え、オケのリハーサルや6週間の練習風景がすすんでいく。
クラシック音楽好きな方には、オケのリハーサルだけでも充分に楽しめる。
(ビオラ奏者の清水直子さんも映り、花を添えているのが日本人としては嬉しいではないか。)

なかでも気になったのがたった一人、黒人である少年だ。
難民や家庭環境に恵まれないためであろうか、落ち着きなくふざけてばかりいる生徒たちの中で、妙に物静かで穏やかな好奇心に満ちた表情が印象に残るそんな少年だ。後の彼のインタビューを聞いたらそのわけもわかる。
彼の名前はオラインカ。16歳。
母国のナイジェリアで政治紛争のために両親を殺され、ドイツにたった一人でやってきたばかり。
決してなめらかでない英語で、友人がいないこと、いろいろなことに挑戦したい、努力して勉強したい、そう語る彼のまだ幼さの残る顔に私は感動した。
そして後半で、祖国では祖父の代から歌は口伝えで伝わり、自然に音楽にあわせて踊っていた、だから文化的レベルはドイツの方が低いと言ったことに、経済的な豊かさと文化が比例するという自分のなかにあった思い込みを私は恥じた。そしてこのプロジェクトを通して、友人もでき、現在は情報科学を勉強しているという彼の幸福な前途を願うばかりである。

2500人もの観衆の前でアリーナの舞台にたち、力強くいきいきとした「春の祭典」の群舞は、音楽の可能性、こどもたちの可能性をも描いて舞っている。

音楽に限らず、芸術はひとの成長に必要だと思う。全く不要だという考えもあるかもしれないが、自然の美だけでなく、人間が描いた美しいもの、創造的なもの、そんなものに触れるということがどれだけ豊かな感性をもたらし、それが人生に幸福なあかるさをもたらすか。
長期的な視点でこの教育プログラムを支援していくドイツ銀行も、日頃のお仕事の罪ほろぼしのためか?けれどもえらいぞ、ドイツ銀行。

「この狂った時代、人々は芸術全般に生きる意味を見いだすだろう。人としての意義、存在する意義・・・素晴らしい音楽を聴けばわかるんだ。”自分はひとりじゃない、この思いを誰かとわかちあえるって。誰にでも音楽は必要なんだ」
               -by SIR SIMON RATTLE

ちなみに原題は”RHYTHM IS IT!”


むすめざかりをむだにするな?―「越冬つばめ」

2005-01-07 23:59:29 | Nonsense
森昌子という歌手は勿論知っている。
しかし、『越冬つばめ』という歌は知らなかったのである。

今日、勤務先のランチタイムで女性がまったく身なりに無関心というのはいかがなものかという話題から、森昌子の『越冬つばめ』に「むすめざかりをむだにするな」という歌詞があると教えられ仰天した。
むすめ・・・一般的なことばだ、むすめざかり・・・これはちょっと一昔前のおやぢ系の表現ではないか、
が、、むすめざかりをむだにするな・・・このアドバイスはすごい。すごくない?
もしもうっかりむすめさかりと覚えてしまったら、むすめ、さかりなのだから、つまり発情期をむだにしないという意味になってしまうではないかっ。

それじゃ、むすめざかりをむだにしなければどういう現象になるのか。おしゃれして、お化粧して、可愛くふるまって♂にモテモテか、確かにそれは悪くない。そして無駄の反対語として効率よく、理想に近い男性と結婚へとなだれこむことか。
はたまた女性であることのメリットを活かし、仕事などで自分の望むポジションや場をゲットすることか。
それとももっと他の意味があるのだろうか。

女性が品良く美しく装い、理性的な範囲のなかで華やかなのは誰から見ても好ましいであろう。けれどもそれはむすめざかりやおんなざかりをむだにしないためではないと思う。
確かに女性の一生で花が開いた時季というのは重要だ。けれども80歳をこえたおばあちゃんでも、美しい方は素適だ。

はて?、この歌詞の続きはどうなっているの?
とりあえず『越冬ツバメ』を一度ちゃんと聴いてみなくちゃ。


CM飛ばし

2005-01-05 22:48:17 | Nonsense
HDDレコーダー普及に伴い、所謂”CM飛ばし”というのが普及しているらしい。確かにドラマなどを録画する場合、CMスキップ機能がついているとありがたいのが実感だ。

現在HDDレコーダーを含めたDVDレコーダーの普及は全世帯の1割程度、更に実際CMを除いて視聴する世帯は1割らしいので、問題は表面化していないらしいがのんびりしてはいないか。やがては広告主、代理店や民放にとって深刻な問題になる日がくるのではないだろうか。なかでもCMを飛ばされて視聴されてしまったら、民放にとってはその存在自体が危うくなってしまうではないか。
そんな機能はつけないでくれと家電メーカーに申し入れしても、法的手段を講じない限りは応じるとは思えない。

それにしてもいつからCMが邪魔なものになったのだろうか。
以前はもっと質が高くて魅力的なCMが多かったように記憶する。
センスのよいユーモアが溢れていたり、或いは繊細に芸術的に描かれていたあの数十秒に凝縮された世界はいつのまにか消えていたということか。
あまりテレビを観ないのにもかかわらず、広告、その中でもCMが好きで大学時代所属していた広告研究会で、広告は文化か単なる風俗かと議論した日々も今では遠くなってしまった。

今夜は、38歳で自ら命を絶った当時売れっ子コピライターだった杉山登志さんの遺書を寂しくふりかえろうか。

『リッチでないのに
  リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに
  ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
  「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです。』




グッバイ・レーニン!

2005-01-04 17:47:40 | Movie
1961年旧東ドイツが建設したベルリンの壁が、89年に崩壊した当時の模様を或る家族を通してユーモラスに、ほろ苦く描いたこの映画は、家族の愛というよりも「社会主義」とはなんだったのかと考えさせられた。

主人公アレックスの憧れのヒーローだった元宇宙飛行士S.イェーンが、昏睡状態でベルリンの壁が崩壊したことを知らない母親に、東ドイツが続いている信じ込ませるためにした芝居でのメッセージが胸を打つ。

「社会主義は世界に扉を閉ざすことではない。
他者に手を差し伸べて共存することです。
夢の実現に向かって手助けをすることです。」

女性を追いかけて西ドイツに亡命して家族を捨てた父、そんな夫に捨てられたがために、熱心な社会主義者へ傾倒してしまった母を愛し、憐れむ姉とアレックス。わかりやすいと思えた母の心理の構図が最後にあかされた真相に、この映画の失った社会主義へのオマージュと理想がみえてくる。

マルクスが描いた社会主義とは本当はどのような国家だったのであろう。
それは決して旧ソ連や東ドイツ、今の中国ではない。
タクシー・ドライバーになった宇宙飛行士の姿でなく、
「車は夜を駆けた。宇宙を滑るように何光年のかなたへと」
勤勉な者に平等に幸福と夢を与える社会ではなかったのではないか。

http://www.gaga.ne.jp/lenin/top/




Gacktとマツケンサンバ

2005-01-01 15:31:38 | Gackt
やっぱり上手い、それに声が良い!
年末最後の私にとってのGackt納めになった紅白歌合戦での「君に逢いたくて」
他の歌手の様子はわからん、聴いていない、観ていない。
けれどもシンプルな歌詞にのせて切々と歌うGacktの声は、年末にふさわしく華があり、尚且つ厳かな雰囲気さえ漂っていた。

ひるがえってあの、噂の「マツケンサンバ」なるものを初めて観た。
時代劇の大御所感ぷんぷんの「松平健」という名前を、「マツケン」(小物B級タレント風)+「サンバ」というタイトル。歌詞も完全にのりのりラテン風、なのにあえてミスマッチなキンピカお代官装束で軽いステップ。この発想は既成概念を超えた勝利とも言える。これを政治の世界で応用できないのだろうか。
覚えやすい歌詞とメロディー、腰元も交えたステップとダンス、小学生からビジネスマンまでまきこんだブームになる要素は確かにある。日本の歌謡曲ここにあり。

売れる歌のひとつのトレンドラインは、かってのピンクレディがそうだったように、こどもまでもとりこめる歌なのである。宴会で歌える、カラオケでノレル、耳になじみやすい・・・そうなのであった。
歌に深い意味や複雑な暗示、気持ちをこめて、ディープで難解な世界観を構築していき、いつでも真剣勝負で歌うGacktとは別な次元の音楽ビジネスも存在するのである。
そんなことをあの、マツケンは腰のひねりで教えてくれた紅白歌合戦でもあった。

それにしてもGさんのあの爆発した髪型、ご愛嬌か。
はたまた髪が大火事になったのであろうか。