千の天使がバスケットボールする

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「日本の原爆」保阪正康著

2012-07-21 19:51:08 | Book
1955年、反核運動をはじめた原子物理学者たちによる、彼らの”良心”ともいうべき「ラッセル=アインシュタイン宣言」が発表された。
日本の湯川秀樹も署名しているこの宣言では、核兵器が世界の人類を抹殺するかもしれないと訴えている。宣言のおよそ20年前にさかのぼること、1938年、ドイツの科学者オットー・ハーン、フリッツ・ストラスマンは、中性子をウラン235の原子核に当てると原子核が分裂して巨大なエネルギーを生むことを発見した。この科学的発見は、科学者の手から離れ、戦争という有事に軍事に利用され、原子爆弾という大量殺戮兵器となり、アメリカは巨額の経費と人員を投入した成果を、ヒロシマ、そして更にプラトニウム型原子爆弾をナガサキに投下することで確認した。

日本は世界唯一の被爆国だ。この原爆投下という人類史の汚点においては、日本は被害者である。しかし、原爆製造を試みたのは、アメリカだけではなかった。日本でも理化学研究所の仁科芳雄研究室では、2000万円以上(現在に換算すると300億円)の研究費を支給されて製造を軍や政府から要請されていたのだった。

「マッチ箱ひと箱の大きさで大都市が吹き飛ぶ」

当時の日本には、こんな噂がささやかれていたそうだ。戦局が厳しくなり、疲弊しきった日本人には、この噂、つまり大量殺戮兵器がひそやかに期待されつつあり、一方、陸軍将校達はこの噂を本物にすべく、研究室を訪問しては仁科博士を矢のように督促をしていた。戦争という状況下においては、加害者、被害者ともに兵器が勝敗とは別に、人々にどのような結果をもたらすかの人間性の視点はなかったといえよう。不思議なことに、日本で可能な爆弾が、アメリカで先に製造されて吹き飛ぶのが東京になる、という考えは生まれていなかった。

しかし、肝心のウラン鉱石が入手できないことや、設備面など、仁科博士は当初より完成は無理だと予想していた。著者によると、逆に成功しなかったことで、日本の科学者たちは20世紀の原子物理学者としての良心を守ることが出来たということになる。それでは、何故、仁科博士があえて原爆製造の「ニ号研究」に若い研究者をつかせていたのだろうか。まず、何よりも、貴重な人材を、兵士として戦場に送り、戦死させたくなかったからとみるべきだろう。そして、戦時研究という名のもとに多くの予算がつき研究活動が行えたことや、戦争が終わった後に、海外の学者たちから遅れていないように科学者としてのプライドもあった。そして、ひそやかに平和目的には、大きなエネルギーを貯えることができて月への旅行が夢ではなくなると考えていた。軍部との交渉は、自分ひとりが矢面に立ち、若い研究者をまきこむことはいっさいなかったという。親方と慕われた仁科博士の門下生から巣立った湯川秀樹、朝永振一郎氏はノーベル賞を受賞して華やかな表舞台にはばたいていった。

本書は、保坂氏が昭和50年代に日本の原爆製造に関心をもって関わった軍人、科学者、技術将校のインタビューをまとめた「あの戦争から何を学ぶのか」という著書の一部をほりおこしてあらたに執筆された経緯をもつ。その動機は、昨年の3月11日の震災による。著者は「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」と並列で語られることにおおいなる疑問をもち、本質的に歴史的な意味合いが違うことを理解するために、この本を世におくったそうだ。日本は、20世紀前半に原子爆弾の製造に挑み、後半は平和利用として原子力発電にとりくんできた。本来は人類の叡智である科学も、政治や軍事に翻弄され、これ以上にない悪夢にもなりうることを充分に知っている。いつでも、科学的発見の果実の使い分けを司るのは、国家なのだろうか。インタビューを受けた殆どの方たちが、すでに物故者となっていることを考えると全体的に読みどころがいくつもあり、それ故に焦点が拡散している感もあるが、今のこの時に、本書を刊行した意義はある。

冒頭の「ラッセル=アインシュタイン宣言」の2年後の科学会議に出席した朝永振一郎は、どういう使い方をすれば悪になるか、また善用がどれだけ好ましいものであり、悪用がどれだけ破壊的なものであるかの正しい評価は科学者が行いえるものであり、科学者の任務は法則の発見に終わるのではなく、善悪の影響の評価、結論を人々に発信し、正しい判断までみとどけなければいけないと呼びかけている。ポツダム会談の時、日本にはもう戦う力がないことは、チャーチルもトルーマン、スターリンも充分にお互いに認識していた。それにも関わらず、原爆がヒロシマに投下された。日本の息の根をとめるというよりも、戦後社会の枠組みを作るため、戦勝国として優位にたつためのショーの舞台がヒロシマになった。そして、続いてナガサキへも。

8月7日の夜、調査団の一員として広島に向かう前日、仁科博士は門弟に手紙を書いて送っている。そこに書かれている「米英の研究者は日本の研究者、即ち理研の49号館の研究者に対して大勝利を得たのである。これは、結局に於いて、米英の研究者の人格が49号館の研究者の人格を凌駕してゐるといふことに尽きる」という言葉から科学者のどのような煩悶を受けとめるか、それは日本の未来を占うと私は考える。


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2 コメント

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科学者とは (xtc4241)
2012-07-25 11:11:27
樹衣子さん、こんにちは(いま7月25日10:50頃です)
原爆にしても原発にしても、アインシュタインのE=MC2という公式から導き出されると言います。
それを「悪魔の記号」だと言う人もいるけど、
アインシュタインは後悔してるんだから、許されるという人が多いのでしょう。
いま、アインシュタインは真の天才として認められています。
それはそれを編み出したあとの警告を発し続けたからでしょう。

でも、並の研究者はそのものの意味を考えるのではなく、
そのものがどう動くのかに興味をもち、囚われてしまう。
突き詰めていったときになにかが見えてくる。
それは宗教的なことかもしれないし、哲学的なことかもしれません。
でも、そういった経験をもっと科学者はほんとうに少ないでしょうね。
ただ、人間は間違えることを前提にするかどうかで、大きな差になってくると思います。
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科学者とは② (樹衣子)
2012-07-28 16:03:15
コメントがすっかり遅くなり、ごめんなさい。
発明、発見は、科学者への道を選んだ者にとって、
当然の目標であり、究極の夢だと思います。

ただその使い方には、国や政府、企業が関与せざるをえないでしょう。
IT関連をのぞいて多くの研究者は、その研究資金を個人出資ではなく、
いろいろな機関からえているからです。

>それは宗教的なことかもしれないし、哲学的なことかもしれません

おっしゃるとおりに、まず科学者から考え、はばひろく社会の人々に向かって
発信する重要性があるのでしょうね。
その点でips細胞を発見した山中さんは優れた科学者だと思いますね。
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