千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

中央公論文芸賞、ねじめ正一さんの「荒地の恋」

2008-08-30 10:37:36 | Book
第3回中央公論文芸賞(中央公論新社主催)の選考会が26日行われ、ねじめ正一さん(60)の「荒地の恋」(文芸春秋)に決まった。副賞100万円。
受賞作は、50歳を超えて親友の妻と恋に落ち猛烈に詩を書き始める詩人と、その仲間たちの奇妙な交友関係を、詩誌「荒地」の主要メンバーをモデルに描いた。
選考会では「男女の奔放で身勝手で生々しい恋愛関係にはとても迫力があり、一気に読ませた」などと高く評価された。贈賞式は10月17日午後6時、東京・丸の内のパレスホテルで。
(2008年8月26日読売新聞)

*****************************************************
昨年末、読んだねじめ正一さんの「荒地の恋」が、中央公論文芸賞を受賞した。
選考委員の「男女の奔放で身勝手で生々しい恋愛関係にはとても迫力があり」という評価があったが、そもそも恋とは奔放で勝手なもの。
そこに凡人が”迫力”を見るのは、分別盛りの男たちの”狂気”じみた感情と詩人という人種にゆるされた情熱である。本書が優れているのは、そこにひそむ登場人物たちのアイロニーが漂う滑稽さであろうか。

なにはともあれ、本書が評価され、次々と優れた本が消費されて忘れ去られていく中で、受賞という記念で本書とふたりの詩人の名前が残ることは喜ばしい。
そんなわけで、以前の感想を再掲載。

-----------------------------------------------------

プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」は、詩人が主人公である。
パリの貧しい屋根裏に住む詩人ロドルフォは、寒い部屋を暖めるために自虐的に役に立たない詩を書いた原稿を燃やして暖をとる。詩人の暮らしは、古今東西を問わずいつもぎりぎりである。

詩人が恋をした。53歳の詩人が、中学時代からの親友の詩人の妻に恋をした。
全身を不思議な幸福感が貫いて、詩人は女性に伝える。「どうやら僕は、恋に落ちたようだ」
そして長年勤務していた新聞社の定年を前に、仕事も家庭も生活もすべて捨てて、不慮の事故で亡くした最初の妻と同じ名前をもつ友人の妻を奪った。それは、たしかに、スィートな、スィートな終わりのない旅のはじまりで、詩人達の猛る哀しい情熱に、運命の如く「荒地」を踏みすすむ断崖を歩くような道だった。

北村太郎は、詩人としての才能をもちながら朝日新聞の校閲部に勤務する。華やかな記者生活ではなく、地道に他人の記事をただひたすら校閲する仕事だ。仕事に見合ったように、郊外に建てた自宅の借金は退職金で完済予定。内職でしている翻訳の仕事で、なんとか定年後も無事に穏やかに暮らせそうだ。”詩人にとっては”絵に書いたような幸福な家庭と人生。そんな彼と対象的なのが、中学生の頃からの親友の田村隆一である。友人の妹と、祝儀欲しさに、ただそれだけで結婚し、幾度も結婚と離婚を繰り返し、酒に溺れ、女性に溺れ、ただ詩を書くためだけに生きている男。
「言葉なんか覚えるんじゃなかった」
そう詠った詩人は、覚えてしまった言葉を金色の唾液で紡ぎながら、身を削りながら、ただひたすら美しい詩を織り上げる。
「僕と死ぬまでつきあってくれませんか」
そんな殺し文句で今度の妻もくどき、妻の資産で建てた鎌倉の家で妻と友人と詩を相手に暮らしている。
しかし、田村にとっては女は殺し文句でつるだけで、愛する存在ではない。うまく利用して、面倒になったら逃げ出す。言葉だけを大事にする詩人には、自分すらどうでもよいのだ。そんな詩人の夫との生活に疲れ果て、また何度も繰り返される夫の浮気に神経を病んだ明子は、いつも甘えて同じように田村から利用されていた友人の北村と夏の盛りに会った。まるで脳みそが焼かれるような炎天下に、泣く明子を目の前にして、北村は24年前の事故で亡くした妻と長男を焼く窯の熱さを思い出していた。ふたりはためらうことなく、恋に落ちた。

自らも詩を書いてきた著者による本書は、渾身の一作と言ってもよい。詩人として、全く異なるタイプの現代詩を代表するふたりの詩人に魂を寄せて、彼らの魅力をひきたたせる文書力に、読んでいる者までが彼らの濃厚な接吻を受けるような感すらある。北村は、友人の妻を奪って妻子を捨てたことへのひきかえに、誠実に妻へ生活費を送金を続けて自分は亡くなるまで赤貧の暮らしに身を落としていく。北村と明子をめぐり、平凡だが生活とプライドを維持していくために”妻”の座に固執して精神が壊れていく妻の治子や、そんな友と妻を許し甘えて自由奔放に生きていきながら、決してふたりを手離さない寂しがりやでいい男の田村。このエゴイストな田村のねじめ氏の描写が、実に官能的でダンディズムと男の色気が漂う。そして自由に生きることの見返りに、なんと苦しく重い十字架を背負わなければいけないことなのか。
また、あれほどすべてを犠牲にしてまでえた明子を病んだ田村の生活を立て直すために手離し、出会ったばかりの若い娘と簡単に肉体関係にすすむ北村。「荒地」の同人だった鮎川信夫も含めて、彼ら詩人たちの人生は、哀しくも滑稽である。
たったこれだけか、最初の結婚で妻と愛息を失って取り戻した平穏な生活でなんとか帳尻をつけたつもりだった寡作の詩人は、「言葉」を奪い返すようになった。

「朝の水が一滴、ほそい剃刀の
 刃のうえに光って、落ちる―
 それが一生というものか。残酷だ。」
                       -「朝の鏡」北村太郎詩集より

■別館時代のアーカイブ
・「荒地の恋」ねじめ正一著



最新の画像もっと見る

コメントを投稿