ベルリンが呼んでいる、というわけではないが「青い棘」は、萩尾望都や倉橋由美子に心酔する永遠の16歳にとっては、やはりはずすことのできない作品だ。
ほの暗い階段を容疑者の青年が、取調室に向かって登っていく。検察官に何が起こったのか、自殺クラブとはなんなのか、そう問われても口を閉ざす。鋭いまなざしとやつれた表情からのぞくのは、お前たちになにがわかるのか、といううつろで投げやりな刃である。
1927年6月28日早朝、ベルリンの屋敷の一室からピストルの銃声がこだまする。19歳のギュンター・シュラーが、同じ年の見習シェフのハンス・ステファンを射殺した後、自分の頭部に銃弾を打ち込んで死亡した。目撃者は、同じギナジウムの最上級生であり同級生のパウル・クランツ。締められたドアをあけようと廊下にたたずんでいたのが、ギュンターの妹のヒルデ(16歳)と友人のエリだった。
ギュンター・シュラー(アウグスト・ディール):上流階級出身だが、不勉強により成績は芳しくない。度々の無断欠席により、学校から保護者に手紙がくるが、両親は不在がちである。潔癖でデカダンスな彼は、湖畔の別荘でパーティを主催する。ダンス、音楽、アブサン、それらのすべてを享受するが、最もこころが魅了されているのが、拳銃である。狂乱めいた宴もたけなわ、そこへ妹と共有の恋人、招かざるハンスがパーティにやってくる。
パウル・クランツ(ダニエル・ブリュール):下層の労働者階級出身の彼が、唯一はいあがれるチャンスは、ギナジウムでの抜群の成績で大学に進学すること。両親の期待を担い、優等生で詩を愛する。内気な彼だが、気があうギュンターの妹、金髪で魅力的なヒルデに夢中になり、彼女に詩を捧げる。「想像の中だけの愛で何を得られるの」と奔放な恋愛経験をもつヒルデにとっては、友人以上にはならない。
ハンス・ステファン:自由な彼は、求められ、相手が美しければ、男性であろうと女性であろうと寝る。彼にとっては、情事は楽しい営みにすぎない。そこには魂も精神もなく、肉体の遊びがあるだけだが、ギュンターとヒルデの兄妹に愛される。ギュンターの「人には愛するタイプと、愛されるタイプがいる」という言葉どおりに、彼は常に愛される対象として存在している。
ヒルデ:裕福な娘につきまといがちな自堕落さと美しさをもっている。両親が不在がちなことをいいことに、放埓な生活を送っている。彼女は「自由きままに生きるの、両手いっぱいの男が欲しい」と簡単にいう。すべてをもっているヒルデは他者を思いやる気持ちに欠けるが、現在は身分違いのハンスがお気に入り。
エリ:「生涯ひとりの人だけに愛を捧げるの」輝くヒルデのかげでめだたなく大人しいエリだが、一途にパウルに想いを寄せているその気持ちは、16歳らしい純粋さに満ちている。パウルの気持ちには、ヒルデしか眼中にないことはわかっているが、パーティの途中で彼を森の奥へ誘う。結局、彼女は事件の後、生涯独身を貫くことになる。
「シュテークリッツ校の悲劇」として、世界中に衝撃を与えた実際の事件を、アヒム・フォン・ポリエス監督が裁判記録を読んで、3日間の出来事を映画化した。事件に対する饒舌さも行き過ぎた美化もなく、5人それぞれの輝く生の瞬間の記録である。若さとはあまりにも儚い生命だったことか。初夏の森の別荘に満ちている光り、蜂や虫たちの羽音、鳥のさえずり、草をわたる風の音、夜の森のざわめき、ふくろうの鳴き声、宴を楽しむ若者達のこだま・・・そのあまりにも美しく、限りある生命の小さな息遣いが、この映画ではもっとも重要な小道具といえよう。ギュンターが黄昏ていく部屋で、手にもっているピストルにとまった黒いアゲハ蝶の優美な羽のはばたきを、恍惚と眺めるシーンは映画史屈指の名場面であろう。
そして巨額な出演料が話題になるハリウッド映画では、決して味わえないキャスティングの妙。(ダニエル・ブリュール君の「グッバイ・レーニン」からの体重の上昇率が気にもなるが。)兄妹から愛される”象徴”であるハンスを主役にした、また別の作品も観たい。
「真の幸福は、一生に一度しかない。後は一生この思い出に縛られるのだ。僕等は一番美しい瞬間にこの世を去るべきではないか。」
ギュンターとパウルのこの若さゆえの完ぺき主義の誓いを、どこかで聴いた懐かしさに、思わず胸がしめつけられるような、ふとふりかえる秋の一日である。
ほの暗い階段を容疑者の青年が、取調室に向かって登っていく。検察官に何が起こったのか、自殺クラブとはなんなのか、そう問われても口を閉ざす。鋭いまなざしとやつれた表情からのぞくのは、お前たちになにがわかるのか、といううつろで投げやりな刃である。
1927年6月28日早朝、ベルリンの屋敷の一室からピストルの銃声がこだまする。19歳のギュンター・シュラーが、同じ年の見習シェフのハンス・ステファンを射殺した後、自分の頭部に銃弾を打ち込んで死亡した。目撃者は、同じギナジウムの最上級生であり同級生のパウル・クランツ。締められたドアをあけようと廊下にたたずんでいたのが、ギュンターの妹のヒルデ(16歳)と友人のエリだった。
ギュンター・シュラー(アウグスト・ディール):上流階級出身だが、不勉強により成績は芳しくない。度々の無断欠席により、学校から保護者に手紙がくるが、両親は不在がちである。潔癖でデカダンスな彼は、湖畔の別荘でパーティを主催する。ダンス、音楽、アブサン、それらのすべてを享受するが、最もこころが魅了されているのが、拳銃である。狂乱めいた宴もたけなわ、そこへ妹と共有の恋人、招かざるハンスがパーティにやってくる。
パウル・クランツ(ダニエル・ブリュール):下層の労働者階級出身の彼が、唯一はいあがれるチャンスは、ギナジウムでの抜群の成績で大学に進学すること。両親の期待を担い、優等生で詩を愛する。内気な彼だが、気があうギュンターの妹、金髪で魅力的なヒルデに夢中になり、彼女に詩を捧げる。「想像の中だけの愛で何を得られるの」と奔放な恋愛経験をもつヒルデにとっては、友人以上にはならない。
ハンス・ステファン:自由な彼は、求められ、相手が美しければ、男性であろうと女性であろうと寝る。彼にとっては、情事は楽しい営みにすぎない。そこには魂も精神もなく、肉体の遊びがあるだけだが、ギュンターとヒルデの兄妹に愛される。ギュンターの「人には愛するタイプと、愛されるタイプがいる」という言葉どおりに、彼は常に愛される対象として存在している。
ヒルデ:裕福な娘につきまといがちな自堕落さと美しさをもっている。両親が不在がちなことをいいことに、放埓な生活を送っている。彼女は「自由きままに生きるの、両手いっぱいの男が欲しい」と簡単にいう。すべてをもっているヒルデは他者を思いやる気持ちに欠けるが、現在は身分違いのハンスがお気に入り。
エリ:「生涯ひとりの人だけに愛を捧げるの」輝くヒルデのかげでめだたなく大人しいエリだが、一途にパウルに想いを寄せているその気持ちは、16歳らしい純粋さに満ちている。パウルの気持ちには、ヒルデしか眼中にないことはわかっているが、パーティの途中で彼を森の奥へ誘う。結局、彼女は事件の後、生涯独身を貫くことになる。
「シュテークリッツ校の悲劇」として、世界中に衝撃を与えた実際の事件を、アヒム・フォン・ポリエス監督が裁判記録を読んで、3日間の出来事を映画化した。事件に対する饒舌さも行き過ぎた美化もなく、5人それぞれの輝く生の瞬間の記録である。若さとはあまりにも儚い生命だったことか。初夏の森の別荘に満ちている光り、蜂や虫たちの羽音、鳥のさえずり、草をわたる風の音、夜の森のざわめき、ふくろうの鳴き声、宴を楽しむ若者達のこだま・・・そのあまりにも美しく、限りある生命の小さな息遣いが、この映画ではもっとも重要な小道具といえよう。ギュンターが黄昏ていく部屋で、手にもっているピストルにとまった黒いアゲハ蝶の優美な羽のはばたきを、恍惚と眺めるシーンは映画史屈指の名場面であろう。
そして巨額な出演料が話題になるハリウッド映画では、決して味わえないキャスティングの妙。(ダニエル・ブリュール君の「グッバイ・レーニン」からの体重の上昇率が気にもなるが。)兄妹から愛される”象徴”であるハンスを主役にした、また別の作品も観たい。
「真の幸福は、一生に一度しかない。後は一生この思い出に縛られるのだ。僕等は一番美しい瞬間にこの世を去るべきではないか。」
ギュンターとパウルのこの若さゆえの完ぺき主義の誓いを、どこかで聴いた懐かしさに、思わず胸がしめつけられるような、ふとふりかえる秋の一日である。
>湖の中で泳いでるシーン
ドイツの夏という印象が素適でしたね。私には、エリ役の女の子の方が可愛く見えました。生涯独身を貫いたというのも、当時としては厳しい選択だったと思います。
>早く元に戻って欲しいです
あれで、元に戻るのか???
39☆SMASHのマイコと申します。
先日はコメントありがとうございました。
トラックバックが出来なかったようで・・・(汗)
ホント申し訳なかったです!!
映像美は素晴らしかったですよね。
私は、ダニエルくんとアンナ・マリア・ヒューエちゃんが湖の中で泳いでるシーンが幻想的で好きでしたね。
ダニエルくんは、役作りでなのかは知らないけど、ホント太ってましたよね(笑)
髪型も手伝って、かなりのイモ野郎に見えました~。
早く元に戻って欲しいです!!
>ハッキリ描写する必要なんてないんですよね
私もそう思います。説明的な描写を加えたら、退廃的な美の雰囲気が損なわれます。
彼らの気持ちは、青春時代をふりかえれば、もしくは今その渦中にいるのであれば理解できるものです。昔からある思春期の危うさは、大なり小なり誰もが思い当たるところがあるのではないでしょうか。
>ああ、森の音たちも美しかったですね
私が一番気に入ったのが、そこなのです。”森の音たち”すごく素適な表現をありがとうございます。
映画の雰囲気は、CGという手法を全く想像させません。そうですか、偶然の産物だったのですか。素晴らしい場面でした。
非常に印象に残るシーンでしたね。
>アウグスト・ディールが全身で頽廃をかもしていて、すてきでした
パーティで、白いスカーフを首に巻いている姿を観て、「ディア・ハンター」のクリストファー・ウォーケンを思い出しました。本当にはまり役で素適でした。
>事件に対する饒舌さも行き過ぎた美化もなく、5人それぞれの輝く生の瞬間の記録
そうなんですよね。それで充分な作品でした。
"彼らの気持ちが描ききれていない、わからない"等のコメントも見かけたのですが、ハッキリ描写する必要なんてないんですよね。
私はただこの美しさにハマってしまいました。
ああ、森の音たちも美しかったですね。
黒アゲハのシーンは、パンフレットによれば、CGではなくて偶然の産物らしいですよ。