千の天使がバスケットボールする

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「不思議の薬」鳩飼きい子著

2005-09-15 23:37:41 | Book
なんという不思議!
著者でなくても、こう叫ぶたくなるのではないか。
1960年代、安全で自然な睡眠をよび残留感のない睡眠薬として開発・販売されていたのがサリドマイド剤だった。ところが後に妊娠初期の妊婦が使用した場合、催奇形性の障害のある新生児が次々に生まれ、戦後この国でも初めてとも言える薬害事件を引き起こし封印されていた「悪魔の薬」が、今世紀に入り、難病の治療薬「福音の薬」として復活していた。その不思議な科学的なからくりと、皮肉なこの薬のその後を追いたくて、本書を手にとったというわけだが。

この著者は、不眠症から当時大日本製薬から発売されていた「イソミン」を、妊娠中たった1粒服用したため、難聴の伴う耳介の奇形をもつサリドマイド児を出産した。初めての待望の長男の耳の奇形を知った時の衝撃や悩み、その原因追求とその後の薬禍裁判、障害者への差別と偏見を綴った語りと、、私が知りたかった内容に乏しいことから読むのをやめようかとも思った。けれどもそのひとり息子も独立し、70代に入った老いた母が、改めて筆をもち忌まわしい薬にまつわる記憶を語らずにはいられない経緯を感じるに及び、一気に読み終えていた。

或る日のこと、鳩飼さんがテレビのニュースを見ていたらあの人がいたのだ。
それは和解となったHIV感染訴訟で原告が、激しく被告に謝罪を求めている席だった。かって同様にサリドマイド訴訟和解の席で、厚生省からの代表として薬務局長として列席していた上品な容貌のMさん(著書の中では実名)。あの時、延々と弁解やらお詫びやら約束を繰り返していた彼は、その後厚生省を無事に定年退職して、まさにHIV感染の種を撒いていた時にミドリ十字の社長として君臨していた。しかもミドリ十字に天下った直後、フルオゾールDAという人口血液を開発し、安全確認をしないままがん患者に使用し、記者会見で頭を下げたばかりだったのに。
さらに悪魔の薬だったサリドマイド剤が、今度はHIV感染、ハンセン病、ベーチェット病、癌(がん)、リューマチなどの難病に画期的な効果をもたらすと、アメリカをはじめ海外で復活していた皮肉な事実。

勿論、サリドマイド事件をM氏個人に責任を求めるわけではない。ただ米国では、新米医務官だったフランシス・ケルシーの危険な副作用がありそうだということで、迫害をおしのけ断固として認可しなかったために、悲劇が避けられたことを考えると、日本の厚生省のお役人のお仕事ぶりが覗えるというものだ。
そして鳩飼さんが出会ったのは、彼だけではない。出産後奇形児を産んだために冷たい対応をした病院、治療の相談に放浪した病院での医師のこころない言葉、差別や偏見の視線と空気。同じ被害者の親との裁判における対立。けれどもそんなことよりも、もっと大事なことは、薬に対する疑問を書いた鳩飼さんの投書を新聞で大きくとりあげ、励ましとあたたかい言葉で応援する手紙を書いてきた毎日新聞の社会部記者、学会の多忙なあいまをぬって診断してくれた医師、事務所が傾きかけたくらい全力をそそいで裁判の提訴をして闘った弁護団の方達、裁判で来日して真摯に証言するレンツ博士、そして同じ境遇の父や母・・・、そこには多くの、通常の人生では体験できない人と人の出合いがあったのである。本来は社交的でよく笑う鳩飼さんだったが、長男を産んでから一度も大声で笑ったことがないという。
それでもこうした出合いが豊かな人生をもたらしたという述懐に、私は祈る気持ちである。

平成10年8月9日、「薬害根絶フォーラム」でサリドマイド被害者K君が、薬復活の報道をとりあげ、厳重に差し止め一度抹殺されてものを復活するのは断固反対と演説をした。その隣に同じパネラーとして座っていたのが、HIV感染者のH君だった。当時のHIV感染者にとっては、救いの神になるかもしれないサリドマイド剤。この薬に藁にでもすがりたい心情があったのではと推測されるが、静かにうつむきかげんにじっとK君の発言に聞き入っていたという。
そんな彼らの姿を、どう受けとめたらよいのだろうか。。。

サリドマイド被害について
未承認治療と患者

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4 コメント

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お名前がステキですね^^ (blue)
2005-09-16 10:36:29
昔サリドマイド児の問題がありましたね・・・思い出しました。

睡眠薬が原因だったのですか・・・

しかも丁度私たちが生まれた頃の話・・・他人事ではないです。

昭和の時代、いろんな薬の害が発表されましたね。

クロマイも散々小児科で使ったあとで禁止になったり・・しょっちゅう飲んでましたよ(怒)

去年も止血剤でC型肝炎になる、という厚生省の発表があったり・・・

薬害は、数年経たないと因果関係がわからない・・・私たちは実験台と変りないですね。



>そんな彼らの姿を、どう受けとめたらよいのだろうか。。。

この言葉、感慨深いです。

かたや薬の禁止を訴える者、かたや存続を希望する者・・・

・・・心中察するとため息が出ます。
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現代人は薬漬けですよね (樹衣子)
2005-09-17 12:58:23
もしかしたらここから本編がはじまるのかもしれませんが、そもそも化学の知識が全くない私が、かって危険な副作用から”絶滅種”と思っていたサリドマイド剤が、難病に劇的な効果があると復活していた事実に対する、単なる化学的なメカニズムを知りたいという興味で読んだ本なのですが、いろいろ考えさせられました。



>睡眠薬が原因だったのですか

優しく効いて、寝起きが爽やかな「夢の薬」と宣伝して、簡単に薬局で手に入ったそうです。

だから睡眠薬は、病気のために併用される方もいらっしゃいますが、著者のきい子さん(←よい名前でしょ)も健康だったのにただ眠れないからと、呑んでしまったのです。

障害のあるお子さんを出産された場合、母親はまず自分を責めるものです。

また原因がわからなった頃、当時の地方では因習の残る周囲の目から、来訪者のいる間、押し入れにサリドマイド児を隠していた家庭、産まれなかったことにして母と子を単身でおいやり別居させていた旧家もあったそうです。どのような理由であろうとも、目にみえるカタチの障害児を早期に受け入れた家庭の方が、その後の子育てではよかったそうです。今ではこうした障害者への差別や偏見は、社会的に恥ずべき行為という認識が世間に広がっているとは思いますが、誰かひとがくる度に、自ら押し入れに隠れるようになったこどもの気持ちを考えるとたまらないです。

それにリンクしたサリドマイド福祉センター『いしずえ』の名簿にのっているサリドマイド児は、300人程度。実際に生まれたのは1300人というのに。残りの1000人、どこへ消えたのか、著者も恐ろしいことだとおっしゃています。



>私たちは実験台と変りないですね

薬の認可がおりるまで、ラットなどを使った動物実験、その後患者を使った治験と長い歳月がかかります。

でも、もし自分が難病になったら可能性を求めて自ら実験台になるかもしれません。化学の進歩の光りとともに、闇の部分が残るということはいずれなくなると思うのですが。



>かたや薬の禁止を訴える者、かたや存続を希望する者

薬自体の問題ではなく、使う側の人間の問題だと、著者は断言しております。全く同感です。及び腰で対応の遅れる行政の姿勢によって、あらたなる被害がでなければよいのですが。
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よく知りませんが (ペトロニウス)
2005-09-18 04:11:33
僕はよくこのことについて知らないのですが、一般の風邪薬でも、何万人に一人くらいの確率(だったとおもう)身体に合わずに劇的な拒否症状が出て確実に死ぬそうです。



が、毒性の世界は、確率です。



何百万人に薬が行き渡り、助けることを考えれば、ほんの0.何%の死は、無視するようです。このことを何かの番組で見て、戦慄したのを覚えています。



基本的に、医薬の世界は、人間をごく低い確立ではあっても(時には高い確率で)実験台にしているのですね。



薬害は論外ですが、、、、そうした矛盾というか両義性には、いつも言葉を失います。
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毒性の世界は確率・・・ですね (樹衣子)
2005-09-18 12:50:26
私もこの本を読むまでサリドマイド剤が睡眠薬だったという知識しかなかったのですが、



>百万人に薬が行き渡り、助けることを考えれば、ほんの0.何%の死は、無視するようです



”無視する”と言ってしまえば、倫理上それでよいのかと、考えざるをえないですね。でもほんのごくごくわずかな不適合だけで、多くの患者の治療を断念するのは合理的でないということでしょうか。



話しがそれますが、人の体も実に様々で、あまりよい表現ではないが、標準、規格とはちょっと違うタイプの方もいるのが自然の妙、または完璧がありえないということだと思います。たとえば、ある一定の確率で生まれる心臓が右にある方のように、自然科学では100%という絶対性はないのでしょう。そのようなわずかな規格外の多様性を残すことが、将来地球環境の激変でも種の保存に役立つかもしれません。



>そうした矛盾というか両義性には、いつも言葉を失います



そうなのですね。実験台という表現が適切なのかとどうかと考える部分もありますが、医療の発展と貢献にはこのような患者の方達が存在します。大事なことは、提供者の充分な情報開示と、最終的な選択肢を患者に委ねることだと思うのですが。

なかなか難しい話しです。。

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