千の天使がバスケットボールする

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「娘時代」シモーヌ・ド・ボーヴォワール著

2012-01-22 11:21:49 | Book
哲学者として歴史に名を残したシモーヌ・ド・ボーヴォワール。
女性の首相も宇宙飛行士も珍しくなくなったこのご時勢、あまりにも有名な「 女は女として生まれるのではなく、女になるのだ」のこの一言とともに、ボーヴォワールを歴史上の哲学者としてこのまま終わらせてしまってもよいものだろうか。そんなことをつらつら考えたのも、先日鑑賞した映画『サルトルとボーヴォワール』で、私の好きな18禁場面は、別の面で彼女を復活させてくれたからだ。作家として、女として、サルトルと切り離したボーヴォワールはどういう人だったのか。そこで手にとったのが、ボーヴォワールの自叙伝「娘時代」だった。これは、大正解だった。本書は、フランス文学の最高峰の一冊と言っても過言ではない。

「私は、1908年1月9日の午前4時に、ラスパィユ街に面した白いエナメル塗りの家具のある寝室で生まれた」
こんな文章ではじまり、誕生からソルボンヌ大学でサルトルと出会い、親友の死の代償として自分の自由を勝ち得たと信じるまでの、恐ろしく頭脳がきれて鋭い感受性の少女が、ついに子供用の手袋を捨てて人生を歩むまでの回想録である。小さな字でびっしり綴られた340ページ二段組の長編だから、それなりに読むのに時間がかかるが、これぞフランス文学という読書の醍醐味を味わえる。これまでも数々の回想録や自叙伝を読んできたつもりだが、これほど精巧な美しさと、趣味のよさ、そしておしゃれな本もないだろう。女性としてこの本を読んでいなかったら、一生の不覚になってしまう。

妻をつくるのは夫で、妻を完成させるのは、夫の仕事と信じる父と彼に従うママン、妹とのフランスの典型的なブルジョワ階級の家庭の暮らし、自立するための勉学、彼女と並ぶ賢い親友との友情、裕福な同級生への同性愛、そして従兄への初恋と失恋。センスのよい言葉と知性的な文章は、少女のヰタ・セクスアリスまで、実に緻密に描かれている。本書を読みながら、この本の最大の読者こそはボーヴォワール自身で、言葉のひとつひとつにかくされた情熱と執筆の興奮が感じさせられる。

そして、ボーヴォワールは生まれながらにしてボーヴォワールだった。
思春期に「アドリーヌ・デジール免状」を授与される頃になると、様々な家庭の四角い窓のつらなりから、無限に繰り返される主婦の家事の向こうに単調な草原を見出し、結婚よりもひとつの仕事の方に希望を見出していく。猛勉強もしたが、それでいて、無防備に夜の街を呑み歩き、危ない目にもあったりする。少女のプライド、悩み、さまざまな疑問が、最強の哲学者の成長物語ともなっている。どこを切りとっても、名文となる文章から、私は率直さで綴られた自伝を芸術作品にまで仕立てたボーヴォワールの才能と生き方に敬服したい。

■アーカイヴ
映画『サルトルとボーヴォワール』