千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『ミラノ、愛に生きる』

2012-01-18 23:07:50 | Movie
ロシア人のエンマ(ティルダ・スウィントン)は、イタリア・ミラノ在住のマダム。時々、奥様向けファッション雑誌で欧米のハイソなマダムが紹介されているが、エンマの場合はこうしたクラスによくある上流社会の子息と令嬢同志の結びつきではなく、故郷のロシアでたまたま仕事に来ていた繊維業界で隆盛を誇る一族の後継者、タンクレディに見初められて上流階級のマダムになったのだった。二人の息子と娘に恵まれ、夫とも円満、勿論、舅や姑との関係も良好にこなし、パーティの準備も完璧。重厚な邸宅では、厳かに、そして華やかにレッキ家のパーティが繰り広げられているところを、ひとりの青年が訪問してくる。戸外の薄暗い雪景色にとけこみそうな彼は、長男エドの友人で料理人のアントニオ(エドアルド・ガブリエリーニ)だった。ボートレースで、エドに完勝してしまったおわびのタルトを届けにきたとのこと。女性として円熟の美しさが匂うようなエンマと若く野生的なアントニオの出会いだったのだが・・・。

上流階級の人妻が息子の友人と恋に落ちた・・・。一言で言ってしまえば、それだけなのだが、それ以上のものを魅せつけて観客を幻惑させてくれるのがイタリア映画だ。それでは、この映画の何が、それだけでなくそれ以上だったのか。

1.音楽
映画は、ショスタコーヴィッチを彷彿させるジョン・アダムズの音楽とともに、古色蒼然たるモノトーンのミラノの雪景色からはじまる。リズム感溢れる打楽器の旋律、それでいてノスタルジックな音楽は、まるで映像で表現したオペラのような印象だ。これまでオープニングで一気にひきこまれた作品にはずれがなかった経験値から、これはいかにも女性好みのハイソなよろめきものという想定をこえてお気に入りの映画になるかも、と期待する。重厚で一族の歴史を感じさせるインテリア、壁を飾る名門にふさわしい絵画、磨きこまれた床、忠実な召使たち。それらを背景に、エンマの内省をドラマチックに奏でる音楽が、最後まで心をひきつけて離さない。そもそもオペラのドラマは、人間の根源にせまりつつ、意外に単純なものである。女として目覚めたエンマのなるふりかまわない直情径行なふるまいは、オペラとして鑑賞するとすんなり受け容れられる。映画『愛の勝利を』でも、映像と音楽が見事に融合していて重厚なオペラのようだったが、今後、イタリア映画音楽はクラシック系に回帰していくのかもしれない。

2.ファッション
話題となったエンマ役、ティルダ・スウィントンが着こなすのがジル・サンダーの衣装。彼女自身もジル・サンダーのデザイナー、ラフ・シモンズがお気に入りだそうで、私生活でも好きなデザイナーか友人が選んだ服しか着ないそうだ。ジル・サンダーはイタリアではなくドイツのブランドで、シンプルだが微妙なカッティングと高級素材でおしゃれ上級生でないとわからないデザインと価格設定のブランドである。とがってはいないが知的な辛口ファッションでもある。ジル・サンダーを着こなすには、それ相応の肉体を求められるのだが、金髪、白い肌に長身のティルダ・スウィントンにはおそろしく似合っている。立っているだけで、上流階級のマダムオーラを放っているのはりっぱ。自分を表現するファッションとしてイタリアらしい華やかなブランドではなく、ジル・サンダーを選んだところがポイント。おおらかなで華やかなイタリアには、心の底では同化していなかったのではないだろうか。

3.現代版「チャタレイー夫人の恋人」
経済力があり、イタリア男にしては珍しく誠実な夫、それぞれに母を慕う3人のこどもたち、問題なくうまくやっている舅や姑、働き者の召使たちに囲まれ、なに不自由のない豪邸暮らしのエンマ。それにも関わらず、分別のあるマダムが、息子の友人というのは兎も角、男としてそれほど素敵とは思えない料理人にすべてを捨ててまで情熱のままに走れるのだろうか。本作についての賛否両論があるとしたら、エンマの最後の行動への共感性でわかれるだろう。使い古された”何不自由のない生活”は、そんなに手離したくないものなのだろうか。異国の街でロシア名を捨ててイタリア人として生きてきたエンマ。彼女は、自分の人生を生きていなかった。夫が言い放つ「君は存在していない」という痛烈な罵倒は、夫やレッキ家にとってではなく、彼女自身の自分の人生に、エンマは存在していなかった事実にかえってくる。それは、女性として最高の生活を捨ててまで取り戻したい自分の人生ではないだろうか。それを目覚めさせたのは、アントニオとの”性愛”だった。私の目からは"只野お兄ちゃん”だが、彼女にとっては、初めて恋というものを教えてくれた相手なのだ。その点で、この映画は「チャタレー夫人の恋人」を映画化した『レディ・チャタレー』に通じるものがある。

恋というものは突然はじまる。理屈も理由も、言葉すらもいらない。「つきあってください」「好きです」そんな会話の成り立ちが私にはわからない。男性群には、かなり不評なこの映画。ヴィスコンティと比較できるかどうかは別として、私は最初から最後までかなり気に入って、大満足した。

ところで、余談だが、映画で気になるのがレッキ一族のブランド買収劇である。コニャックのヘネシー、ドン・ペリニヨン、ヴーヴ・クリコなどの高級酒業だったブランドグループLVMHは、次々とブランドを買収して一大コングロマリットを形成しつつある。昨年、あのブルガリもついに傘下に入った。伝統ある家内工業のブランドも大きな波にのみこまれていく、そんな時代の潮流も思い出した。

監督:ルカ・グアダニーノ
2009年イタリア

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