千の天使がバスケットボールする

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「楽団長は短気ですけれど、何か?」金山茂人著

2011-02-09 23:01:34 | Book
そもそも楽団長って何?どんなオシゴトをしているの。。。

決してクラシック通というほどではないが、コンサートホールに通いはじめて○○年。それにも関わらず、今さらながらで申し訳ないのだが、この本を読むまで”楽団長”という肩書きすら知らなかった。オケにとっては要職だが、一般の観客にとっては指揮者、ソリスト、コンミスの陰に隠れて黒子のような存在。知らなくても当然か。大変、失礼しました、金山茂人、東京交響楽団の楽団長殿。

楽団長とは、企業で言えば社長のようなものらしいのだが、その中身は流行のCEOというよりも、従業員100人ほどを抱える中小企業の資金繰りに奔走する社長に近い。経理部からお金が足りないと訴えられれば、たとえ風、雨、雪や矢が降ろうが、街に飛び出し企業の社長、個人の篤志家などをずうずうしくも訪問し、決して物乞いにならずに日本の芸術文化の発展へのご協力をお願いする、しなければならない。口をパクパクあけてエサをせびるツバメの雛達に、エサ(給料)をせっせと運ぶ親ツバメの心境らしい。しかもどんなに尽くしても感謝されず、もっと寄こせと訴える雛達に、だ。そればかりではない、個性的な芸術家たちのそれぞれの勝手な言い分にも耳を傾け、プライドを傷つけずになだめなければならない。

できの悪い美人ソリストには、たとえ夫や老いたご両親がそばにいようと、はっきり「客をなめんなよ!」と一喝して凄みを利かせることもある。精神科医の香山リカさんが近著の「気立てのいい人 宣言!」のコメントで、自分が一歩下がっても人を立てようとする謙虚さや優しさがあるのだが、情に流されやすい気立ての良いひとは出世しないと語っていて、なるほど、私は出世できるタイプではないと考えさせられたのだが、楽団長の金山氏には、情に流されない厳しさや表紙の強面の似顔絵から想像されるような押しの強さがあるから楽団長が務まるのだ。そして何よりも演奏家と同じように音楽への情熱とエネルギッシュな行動力が伴って初めて人がついてくる。

金山さんはもともとはヴァイオリニストとして東京交響楽団に入団したはずなのに、1964年、某放送会社が突然スポンサーを降りてから、楽団の評判は落ち、財政も破綻してしまったことをきっかけに、後任の代表者として白羽の矢がたったのが、金山氏だった。1976年のことだった。それ以来、ヴァイオリンの弓のかわりにオケを運営する指揮棒をふってはや30年間、クラシック音楽業界の不景気な荒波もなんとか渡ってきたのだった。ユーモアたっぷりに綴られたオケにまつわるさまざまな話の裏には、実は語られていない多くの汗と涙が感じられるのは私だけか。(財政赤字、運営難、本番一発勝負の演奏会、いろいろあっただろうな・・・。)

本書を読んで感じたのは、金山さんの人となりはやはり芸術家よりもシャチョウの方が向いているということだ。現在、オケでたったひとつの空席がでると、100人の優秀な音楽家が殺到するほど、日本では優れた演奏家の人材がだぶつき気味にも関わらず、芸術を理解しながら資金繰りに奔走する泥臭い仕事ができるあつかましさと、著名人との社交もできるバランス感覚があり、他人に気配りができる一方、きついこともはっきり言える人はそれほどいないのではないだろうかということだ。演奏の質は圧倒的に向上しているのに、音楽に求められているのが、ともすれば質の高さではなく利益率の高さの追求になりがちなのもこの国の特徴。著者には、今後も引き続きその鬼瓦のような風貌の笑顔と短気さで東京交響楽団だけでなく、日本の音楽界全体に”もの申し”ながらその発展に貢献していただければというのが、楽団長のお仕事を読んだ読者として感想である。