千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「冬の伽藍」小池真理子著

2010-04-21 23:18:48 | Book
軽井沢の別荘地。麻布にある病院の分室である白い小さな診療所。妻に自殺されて心に闇を抱える彫刻のような端整な美しい青年医師、兵藤義彦が診療するこのしゃれた病院にやってきたのは、同じように夫を事故で亡くしたばかりの薬剤師の悠子だった。前任の薬剤師は、情にあつくて善人そのものの親友だった。彼女はその友人の摂子が内科医と結婚して退職したために、後任として冬の軽井沢にやってきた。

・・・とここまで書いたが、これ以上ないくらいの典型的な草食系女子好みの舞台と登場人物。最初から最後まで、悠子と摂子は義彦を「先生」と声をかける。前半は悠子の視点で書かれているためさほど具体的な容姿の記述はないが、勿論、悠子も美青年の義彦のお相手になるには充分な美貌を備えている。しかも、華奢な体型に豊満な胸。さすがに小池文学の特徴は、肉食系女子をも満足できる官能のスパイスとエロスの匂いも手抜きなし!彼らにからに重要な役割を演じるのは、現代の老いたカアノヴァかドン・ファンのような好色な義彦の義父・英二郎。(ここで英二郎について”スケベ爺ゐ”などという下品な表現は禁句。あくまでも資産家の医師が、愛嬌たっぷり、性愛を知り尽くしたフェロモンの衰えないおとなの男性として登場。)大先生の英二郎は若い愛人を携えて、手練手管で悠子にせまるのだが、作家が小池さんなら単純なよくある三角関係とあなどってはいけない。

優れた男性の小説家の中でも、女という生き物を上手に書ける作家はそれほどいない。吉行淳之介は別格である。それと同じように、女性作家で男の生態をリアルに書ける人もあまりいない。かくして、少女漫画の延長のような義彦のような女子好みの男が文学の中で氾濫していて、それも日本の小説をつまらなくしている原因でもあるのだが、本書で圧倒されるのが性欲のかたまりのような、ある種、中年男性の羨望を集めそうな英二郎の描写である。ユーモラスで言葉が巧み、甘いものも酒も好み、鷹揚で余裕綽々年の割には精悍で若々しく、瀟洒な別荘を所有する英二郎。しかも、ただの金満家ではなく教養もありそう。先日、鑑賞した映画『ドン・ジョヴァンニ』では、数え切れないくらいの女性遍歴を繰り返して老年の域に達したカサノヴァの姿に凄みを感じたように、小池さんの筆にかかった英二郎の存在や描写には、まるで逃れられない蜘蛛の糸にからめとられてゆるやかに餌食となっていくような恐怖と、むしろ自ら甘んじて身を投じて悪魔の餌食となって官能の嵐に翻弄されたいという欲望が混在していく。罪悪感をもちながらも、甘美な誘惑を待つ悠子の感情が無理なく自然に描写されている。

しかも、対する義彦との関係は、静謐で冷たい軽井沢の冬の気候のようにはじまる設定もよく描かれている。読書暦は殆どなかったが、小池真理子さんは文章も巧みでストリーテラーだと実感する。そして、この小説に音楽を伴奏としてつけるとしたら、やはりペルゴレージの《スターバト・マテル》もよいが、ヴィバルディの《四季》もリクエストしたい。中間では、それぞれの手紙形式にして義彦と悠子の距離感を表現し、後半、摂子の視点で第三者的にふたりの物語と状況を語らせることで、自己満足的な安易さと悲劇性から救われている。こんな構成も成功している。
哀しみの中に誰にも入り込めない厳しくも純粋な愛情の世界を描いた本書は、女子の恋愛小説の王道である。韓流ドラマよりもはまりそうだ。。。

■これまでの私の恋愛遍歴
『東京アクアリウム』