千の天使がバスケットボールする

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「椿の花に宇宙を見る」寺田寅彦著

2010-04-16 23:59:48 | Book
そうだった、そうだった。
先日読んだ瀬名秀明さんの著書「インフルエンザ21世紀」には、寺田寅彦氏のエッセイの文章の名言「ものをこわがらなすぎたり、こわがりすぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」が、象徴的に引用されていた。明治11年に生まれ、昭和10年に亡くなった地球物理学者の寺田寅彦氏の本をいつか読んでみたいと思いつつ、もう何年も経過してしまった。近頃、科学者が書いた本を読むことが多い。興味と関心が元々科学分野にあるのは自分の読書傾向でわかるのだが、それだけでなく科学者でありながら文章も達人の域の”作家”に出会える幸運もある。しかし、文章表現の巧みさだけでなく、いつも次の一冊を探している理由として、科学者たちの社会通念に流されることのないその発想の豊かさと本質を見抜く確かさにある。そんな彼らの先駆者、文豪でもなく、小説家でも作家でもない明治生まれのひとりの科学者、寺田寅彦の随筆は、現代でも愛読される。

まずは一冊と検索したら、わずか57歳で生涯を閉じた本業が研究者の著書が、出てくる出てくる、まさかこれほど多くあるとは思わなかった。近代国家への道を歩む明治の男の知の力の濃密さをみたり。しかも、著書には、筆名「牛頓(ニュートン)」で綴った俳句から、映画論、作家論、美術批評など広範囲にわたる。そこで考えたのが、”同じ物理学者”でもあり、高校時代から愛読していて”全集を読破している池内了先生が厳選した”という手っ取り早い信頼感で随筆集「椿の花に宇宙を見る」を手にとることにした。

「鼻は口の上に建てられた門衛小屋のようなものである。生命の親の大事な消火器の中へ侵入しようとするものをいちいち戸口で点検し、そうして少しでも胡散臭いものは、即座に嗅ぎつけて拒絶するのである。
人間の文化が進むにしたがって、この門衛の肝心な役目はどうかすると忘れ勝ちで、ただ小屋の建築の見てくれの美観だけが問題となるようであるが、それでもまだこの門衛の失職する心配はなさそうである。」(「試験官」より、昭和8年9月、改造)

・・・とはじまって、匂いの追憶の不思議さと私はほのかな官能すら感じられた短いエッセイが続く。確かに、現代でも鼻はその機能や役割よりも外観の美こそ問題になる。それにしてもこんなユーモラスな語り口のうまさに思わずうなり、匂いの記憶にまつわる事象は現代人の心にも時空をこえてフィットする。「透明人間」では、透明ではなく物理学的には”不可視”であることから、人間の寿命が100歳以上延長になることや男女の性転換という空想を否定できないが、不可視人間は不可能であることを物理学的に解説している。「蛆の効用」では自然界の平衡状態(イクイリブリアム)を論じ、笑う回虫博士の師匠のように現代の抗菌ブーム現象に一石を投じ、「沓掛より・草を覗く」では利己がすなわち利他である天の配剤ことから人を苦しめる行為は結局自己を殺すことにもつながると論じている。「花火」では人の思い込み、「金平糖」では統計的異動、「身長と時間」では生物時間、とここらあたりまでは自分でもわかる。さらに池田先生の解説によると「電車の混雑について」では物理学で重要な概念である<不安定>、「自然界の縞模様」ではプリゴジンが提唱した<散逸構造>という最先端の科学に通じるそうだ。「満員電車」では昭和の初期から満員電車があったのかと妙に感心したが、現代の通勤電車も同様に私たちはむしろ好んで混雑している電車に乗っている確率が高いことがわかる。また高速道路の渋滞の原因と緩和策などは、本書にあった寺田理論の延長でもあり、当時は科学者が本気で研究されなかった事象も、現代では有効な研究として注目されて生活に活かされていることからも、その先見性にあらためて驚かされた。

その一方で夏の温泉宿でこどもたちが見たという人魂を解明しながら、人魂を怖がらないこどもたちを少しかわいそうなような気がして「怖いものをたくさんもつ人を幸福だと思うからである。怖いもののない世の中を淋しく思うからである。」と、文明の発達がもたらす空想力の欠如を憂えているが然りである。そういえば、作家の横溝正史氏や漫画家の山岸凉子さんの作品から漂う妖しい気配は、近代的なヴィトンやエルメスのビルが林立する都会で生息している身では、あまりにも遠い日本の風景となってしまった。
寺田寅彦のエッセイの特徴は、日常の事象から物理の原理をやさしく解説したものから、現代科学にも通じるものの考え方や感じ方が、没後、75年たっても色あせないばかりか、益々その価値が伝わってくる。