定年退職からの楽しき日々♪♪

六十歳で定年退職し、テニス・ピアノ・料理などの趣味にいそしんでいます。折にふれてエッセイを書いています。

エッセイ集『67歳、いまが旬』を出版しました。

2018-02-25 15:03:34 | 読書
この度、アマゾンのキンドル ダイレクト パブリッシングで

『67歳、いまが旬 -気負わず、心地よい日々-』

というエッセイ集を出版しました。

このブログで発表してきたエッセイを中心にまとめたものです。

ご笑覧いただき、ご批判、ご感想をいただければ幸いです。


なお、私がこれまでにアマゾンで出版した書籍は以下3点です。

大鐘稔彦『大鐘稔彦短編抄』(2014)

村上 好『五年早い定年退職 -それからの楽しき日々-』第1集(2014)及び第2集(2016)








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本は生きている

2018-02-08 12:03:37 | 趣味
 私は定年退職した八年前の2010年4月、フェリス女学院大学オープン・カレッジの「エッセイ入門」講座に初めて参加した。受講生は全部で十一名だった。受講生の内九名前後は不動のメンバーで、毎期数名が新規参加するらしい。講義では、受講生が書いたエッセイに、他の受講生と講師の川西芙沙先生がコメントを述べるやり方をしていた。それぞれの受講生のコメントの仕方は、漢字や言葉遣いの正否を指摘する人、エピソードについて自分も同じような体験をしたと同調する人、効果的な文章の構成について理論的に意見を述べる人など様々だった。

 私の真後ろの席に滝上和子さんという女性が座っていた。私が生まれた1950年に東京女子大学を卒業されたときいたので、当時八十二、三歳だったと思われる。滝上さんのコメントは、まずエッセイのよい点をきちんと評価し、その後で実に適切な意見を述べるのが通例であった。辛口の意見も多く、何を言われるか冷や冷やしたこともあった。品のよい女性で、教養が深く、頭のよい人だなという印象を受けていた。

 一年間の講義の最終日、滝上さんから声をかけられた。
「私のエッセイ集です。お読みになるのなら差し上げます」
と著書『石垣の上の家から ロマンチストのつぶやき』(2007、三修社)を手渡された。

 さっそくページを開いた。含蓄が深く、さわやかな風が流れるようなエッセイ集で、実に面白かった。著者は明晰な思考の持ち主で、即断実行タイプ。様々なひととの出会い、ゆたかな交友、そして別れが胸を打つ。いつも自分の明確な意見と座標軸を持っていて、それを基準に行動方針を決めていく。様々な事柄をゆたかな知性と繊細な感性で観察しており、ユーモアに溢れ、磨き抜かれた文章をじっくり味わいながら読み終えた。歯切れがよく、読みやすい日本語の魅力にも惹かれた。
 
 滝上さんは述懐している。
「傘寿を迎えようとするシニアにも勉強の場が与えられ、願いさえすれば、古い革袋に新酒を満たして生きていくことが出来る。何と有難い世の中になったことか!」

 滝上さんのエッセイ集を読んで、私もエッセイ原稿がたまったら、このようなエッセイ集を出版したいと思うようになった。

 2011年3月11日、東日本大震災が起こる直前、滝上さんにエッセイ集を読んだ感想をしたため、本を頂いたことのお礼を書いて投函した。一週間ほどして、滝上さんからカリメラス ヨメナ草の絵が添えられた手紙を受け取った。私が丁寧にエッセイ集を読んでくれたことが嬉しかったこと、このエッセイ集がご自分のお葬式用の記念品にするために作ったことなどが書かれていた。四月からの新学期にまたお会いしましょう、と閉じてあった。

 四月からの新学期には、教室では私の後ろの席はいつも空席だった。腰が痛いと言っておられたので腰痛がひどいのだろうなと思っていた。十月になって後期の講義が始まった。そして十月下旬の講義で滝上さんが十月十五日に卵巣癌のため逝去されたことを知った。享年八十三歳。

 滝上さんは十年近くこのエッセイ講義に出席されていた。その最後の一年、私は初めてこの講義に出席した。僅かな時間といえば確かに短い時間だった。しかし、最後にエッセイ集を頂き、その感想を書き、心のこもったお返事をいただいた。まさに一期一会そのものの出会いだった。人生は、このような出会いと別れを繰り返していく。

 滝上さんが他界されてからもエッセイ教室に通い続けた。教室ではいろいろなテーマでエッセイを書くことが要求され、一年間に十篇余りのエッセイになる。これが三年間で三十篇ほどになり、教室参加以前に書いたものを合わせると五十篇程度になったので、思い切って出版する気になった。2007年に邂逅した医師・作家の大鐘稔彦先生から度々出版の勧めを頂いたこともその気になった理由の一つである。

 インターネットで自費出版を手掛けている出版社を調べ、原稿を持って東京恵比寿のパレードという出版社を訪問した。担当の深田さんという女性と二時間ほど話をした。パレード社は既に何百冊もの自費出版を請け負っており、何冊か見せてもらうととても立派な出来栄えだった。最後に私が負担する費用の話になり、確か百万円から百五十万円の間だったように記憶している。

 中高生の頃から生涯に一冊は本を書きたいと思っていたので、費用はそんなものだろうと納得できた。しかし五百冊作って友人・知人に五十冊差し上げたとして、残り四百五十冊は本棚に並べておくことになる。無名の人間が書いたエッセイが売れることなどは考えられない。それを思うと出版の決意がにぶった。

 ちょうどそのころ、インターネットで、アマゾン キンドル ダイレクト パブリッシングというものができたことを知った。アマゾンのサイトで出版し、アマゾンが全世界で販売するという。しかも費用はゼロ。
「これだ!」
即刻出版に向けて行動を開始した。

 しかし世の中はそれほど甘くない。アマゾンは出版サイトを用意して、出版の方法を説明しているが、質問や相談は受けつけず、アマゾンの設定通りに作業しなければならない。作業を始めた途端に問題が発生してそれ以上進めない。パソコンに詳しくない私にはとてつもなく高いハードルだ。やはり出版は無理かな、と何度も考えた。

 ところが東京に住んでいる、パソコン・インターネットに詳しい吉川さんという友人に相談してみたところ、全面的なサポートをしてくださり、2014年2月にアマゾンサイトで出版することができた。タイトルは
『五年早い定年退職 -それからの楽しき日々-』
とした。思いもかけず、作家の大鐘稔彦先生が推薦の辞を書いて送ってくださった。本を出版したいという半世紀の私の夢がかない、天にも昇る気持ちだった。

 調べてみるとインターネットには「製本直送.com」というサイトがあり、電子書籍を紙の本に印刷製本してくれることを知った。一冊千二百円で製本してくれる。五十部ほど製本して友人・知人に送った。電子書籍の方は一冊三百円で販売しており、これまでの四年間で千部ほど販売された。出版前は想像もしなかった販売部数である。一冊二百十円の印税がアマゾンから私の三井住友銀行の口座に毎月振り込まれている。

 本はエッセイ教室の先生と受講生の皆さんにも差し上げた。出版後もフェリス女学院大学のエッセイ教室に出席し続けた。教室では年に一、二度みんなで懇親会を開いており、それはそれは和やかで楽しいうたげだった。

 受講生の中に野口昭子さんという小柄な女性がいた。東京地裁の書記官をされていて定年退職して十年ほど経っているとおっしゃっていた。一昨年、野口さんに何度かエッセイ集出版の相談を受けた。フェリス付近のスーパーマーケットで偶然お会いした際
「人生はそんなに長くないですから、出版されるなら、今すぐアクションするのがいいですよ」
と野口さんに申し上げた。野口さんの依頼で、次の日に恵比寿の出版社「パレード」の深田さんに電話をして上げると、野口さんは翌日出版社に出かけて行った。その後はとんとん拍子に出版作業が進み、2016年6月に自費出版の本が出来上がった。本の表紙は野口さんが書いたパリの教会のすばらしい絵で『レモン・イエロー』というタイトルだった。野口さんは実に満足そうなお顔をしていた。私も署名入りの本を頂いた。その後教室で発表されるエッセイはますます洗練されたものになり、ご本人も一段と創作意欲を燃やしておられた。

 2017年4月にエッセイ教室に行くと、川西先生から、野口さんが1月に亡くなられたことを知らされた。普段通りに生活しており、朝亡くなっていたという。七十代の後半だったと思う。今『レモン・イエロー』を手に取り、エッセイを読むと、目の前にもの静かな野口さんが立っている気がする。

 私は2017年7月まで7年半エッセイ教室に通っていた。年末になるとフェリスの費用負担で百ページ前後の文集を作っている。私が2010年4月に初めて参加するまでは他の人が文集の編集作業をしていたが、その人に事情があるそうで、先生と受講生から依頼を受け、この年から私が編集作業をするようになった。ワードの文集フォーマットは既にできていた。
 編集作業の中身はそれなりに神経を使うワークであり、作業量もある。
 ①まず、受講生十名余りからエッセイを2篇ずつ集める。ワードファイルで作ってもらうが、年配者で手書きで提出する人もいる。
 ②手元に来た原稿から順番に文章フォーマットに入力する。これはコピーアンドペーストでできるから楽である。手書き原稿は、私が文章フォーマットに打ち込むことになる。
 ③フォーマットに入力する段階で気が付いたミスは一覧表にして先生に提出する。
 ④先生が全文を読んで加筆訂正。これを受けて私が修正作業。
 ⑤先生から全エッセイの順番表をメールで受け取り、エッセイの順番を変更する。
 ⑥先生の「あとがき」を追加入力し、表紙、目次、あとづけを作成して
 ⑦フェリス女学院ドキュメントセンターにデジタルファイルで提出

 私は変に責任感が強く、完璧主義者なので、作業に手を抜けなかった。一年目、二年目は初めての文集編集作業であり、緊張感をもって楽しく作業ができた。ところが三年目、四年目になると作業としての新鮮さがなくなり、一方で結構な作業量があるので多少負担を感じるようになってきた。四年も編集作業を担当していると、エッセイ教室では「編集作業は村上さん」という雰囲気が醸成されていた。このようななりゆきで2015年、2016年も編集作業を担当した。編集時期が近づくと多少憂鬱な気分になった。

 2017年、93歳の母が直腸脱という病気になり東名厚木病院で手術を受けた。主治医の外科医から術前に「高齢なので手術しても再発する可能性が高いです」と言われていた通りで、母の直腸脱は一か月で再発した。母のケアのことがあり、エッセイ教室も7年通ったこともあって、2017年10月からの、後期授業から一旦教室をやめることにした。
先生からメールがきて、後任の編集者がいないのでやむなく七十代後半の先生自身がやることにしましたと書いてあった。しかしその後直ぐ、私と同年代の榎田さんという男性が名乗り出て、編集作業をすることになったときき、ほっとした。榎田さんはみるからに実直、誠実な性格で、2017年の12月にはそうとうの時間と労力をさいて編集作業をされたのではないだろうか。初めてで大変だったと思う。

 一方の私は編集作業から解放されて楽しい年末を過ごせる筈だった。ところが世の中は皮肉なもので、急に食欲不振でほとんど食べられず、体重が減り続け、何もやる気が起こらず、夜も余り眠れなくなってしまった。
近所のかかりつけ医の名医(相澤一喜先生)に
「先生、直していただけますか?死ぬことはないですか?」と問い
「大丈夫、元気になります。私を信じて、薬を飲んで下さい」という会話までした。

 12月は憂鬱で苦しい日々を過ごし、1月初めからようやく少し食欲が出てきた。その後は徐々によくなり、今はほぼ元に戻りつつある。原因は母の直腸脱の心配などのストレスでしょうと主治医から説明を受けた。

 榎田さんはがっちりした体格でみるからに健康そうだった。12月にしっかり編集作業をし、1月10日に立派な文集ができたときいた。ところがその直後、先生からメールが届いた。榎田さんが15日に急逝されたという。ご家族も驚くような急変だったらしいが、死因など詳しいことはメールには書かれていなかった。

 エッセイ教室の仲間の一人、服部さんから、榎田さんは2018年の5月にエッセイ集を出版したいと考えており、先生からサポートの約束を得ていたときいた。榎田さんは1月10日にできあがった文集を見て、5月に出来上がるエッセイ集を頭の中に描いていたに違いない。

 榎田さんは日本の歴史が好きで、北条時宗などの歴史上の人物の生涯をトレースしようといろいろな史跡を訪ね歩いていた。その探訪記を格調高い文章で綴っていた。
「瑞鹿山円覚寺は、鎌倉幕府の八代執権北条時宗により創建されたお寺であり、文永の役(一二七四年)の後、弘安元年(一二七八年)から文永の役の戦没者の菩提を弔うために創建が始められ、弘安の役(一二八一年)の翌年の弘安五年(一二八二年)に完成した。これにより、二度の元寇の戦いで戦没した敵味方の殉死者が弔われた」
私が2017年に編集した文集に所収されている榎田さんのエッセイである。

 榎田さんは十分な量の原稿を用意されていたものと思われる。エッセイ集出版を目前にして急病に倒れられ、さぞかし残念であったであろう。

 昨年の十二月、精力的に文集編集作業に活躍された榎田さんが世を去り、同じ十二月は体調不良でほんのわずかしか食べることができず、やる気もまったく失い、このまま重篤化して死ぬのかとさえ思った私がまだ生きている。一歩先の人生はわからないものだ。

 手元にあるエッセイ集『石垣の上の家から』、『レモン・イエロー』と文集『おぱーる』を紐解くと、滝上和子さん、野口昭子さん、榎田純一さんが生前の姿で完全によみがえる。三人の笑顔が浮かび声までが聞こえてくる。書籍というものの再現力の強さを初めて経験している。そして滝上さんから私へ、私から野口さんへ、私から榎田さんへの縁、不思議なめぐりあわせに運命的なものを感じている。

 本というものは著者とともに生き続けるのだ。生前かかわりのあったお三方が全身全霊を上げて書かれたエッセイを折に触れて読もうと思う。
(2018年2月)












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おっかけ

2018-01-18 18:17:19 | 趣味
 妻は56の時にヴァイオリンを習い始め、途中3年のブランクがあるので丸7年練習をしていることになる。ヴァイオリンは難しい楽器でなかなか上達せず身が入らない様子だ。

 昨年の6月のことだった。妻が一枚のコンサートチラシを持ってきた。隣町の横浜市二俣川に住んでいるヴァイオリニスト、辻本雲母(きらら)さんが東京芸大の同窓生4人で二俣川サンハート(旭区民文化センター)で7月に室内楽演奏会をするという。演奏曲目がよく、辻本さんが「高嶋ちさ子12人のヴァオリニスト」のメンバーで美人であることもあって、コンサートのチケットを購入した。

 サンハートは定員70名ほどで満席である。演奏者は辻本さん、對馬哲男さん(読売日響ヴァイオリン奏者)、中村翔太郎さん(N響ヴィオラ次席奏者)、小畠幸法(東フィルチェロ奏者)というそうそうたる顔ぶれで、いずれも30歳前後のようだ。

 モーツァルトの弦楽四重奏「狩り」はすっきりしたメロディで明るく、楽しめる。辻本さんが第一ヴァイオリンを演奏した。次にシューベルトの「ロザムンデ」が演奏された。同名の劇音楽第3幕の間奏曲と同じ主題がこの弦楽四重奏でも使われている。シューベルトは実に美しいメロディを書く作曲家で、きいていて気分がよくなる。

 ロザムンデでは辻本さんが第二ヴァイオリンを担当し、第一ヴァイオリンが對馬さんに交代した。辻本さんは弦に弓を強く当てる演奏だが、對馬さんは弓を弦にやさしく当てる演奏をしている。それでいて音量はさほど小さくならず、むしろなめらかな音になって届いてくる。
「對馬さんの演奏は、姿勢がよく軽いタッチで、その分弓の動きがなめらかになり、実によかったね」
演奏会の後、近所のイタリアンで赤ワインをぐびっと飲み干して妻が興奮気味にのたまった。
「辻本さんも美人だったけど、對馬さんも感じのいい男だね」
私も白ワインを飲みほした。改めてプロフィールを見ると、2006年の全日本学生音楽コンクールで第1位になっている。やや細身で長身、知的な落ち着きを感じる29歳の好青年だ。

 暑い夏が過ぎ秋風が吹くようになった頃、妻は自室のパソコンで熱心にインターネット検索をしていた。10月末、對馬さんの演奏会を見つけたので行かないかという。村上家の首相兼財務大臣の機嫌を損ねるほど私も馬鹿ではない。11月末の寒い日、東京駒込のソフィアザール・サロンに妻のお供をした。音楽好きの人が自宅の2階をコンサートサロンに改造したところで40人位の人が集まっていた。前から2列目に座っていると對馬さんからわずかに3mほどしか離れていない。2015年に日本音楽コンクールで第1位になったピアニスト黒岩航紀さんとのジョイントリサイタルである。ブラームスのヴァイオリンソナタ第2番とプーランクのヴァイオリンソナタが演奏された。私たち夫婦はアンコールで演奏されたバッハのシャコンヌが一番よかったと感じた。

 最近では妻は對馬さんのブログを毎日チェックしているようだ。
「12月8日に對馬さんのクリスマスコンサートがあるらしい。長野県の上田だけど遠すぎるかしら?」
財務大臣からのご下問である。
「今年はいろいろなことがあって旅行らしい旅行もしていない。日帰り旅行の積りでいったらどうだい?演奏会の費用と旅費は割り勘にしよう」
多少無理をして、ここは大臣に花を持たせることにした。

 チケットはペア券で9千円、交通費は一人分横浜、上田往復1万3千4百円がジパング俱楽部で3割引きとなって9千4百円。日帰り旅行としてはリーズナブルだ。朝早めに起きて朝食を作り、マグカップに温かいお茶を入れた。
「世間ではこういう行動をおっかけというのだな」
東京駅で長野新幹線「あさま」に座り、隣の気分が高揚している財務大臣を横目にしながら、そんなことを考えていたらいつの間にか寝入っていた。

 会場の上田東急REIホテルは上田駅改札を出てわずか2分のところにある。3階のシャンデリア付きの豪華な宴会場にテーブルが8卓配置されている。1卓に5名が着席しているので、聴衆はわずか40名だ。ちゃんとしたコースのランチを提供して、20万円のチケット代で、一体どのようにして採算を取るのだろうか?クラシックの音楽家は本当に経済的に大変だ。

 今回のコンサートは読売日本交響楽団のチェリスト、渡部玄一さんと對馬哲男さんのジョイントリサイタルである。コダーイの「ヴァイオリンとチェロの二重奏曲」を初めてきいた。コダーイは1967年に亡くなったハンガリーの作曲家で、なかなかききやすく、私は好んでいる。對馬さんはパガニーニのカプリースを弾いてくれた。超絶技巧を要する曲を對馬さんはやすやすと演奏した。妻は非常に感動していた。因みに渡部さんは上智大学の元教授で『知的生活の方法』など沢山のベストセラーを書いた渡部昇一さんの長男で、都内の池のある豪邸に住んでいるそうだ。

 演奏会の後、テーブルにランチが運ばれてきた。妻の隣の席が空席であったが、なんとそこに對馬哲男さんが着席するではないか!なんという偶然。約一時間のランチを頂きながら、對馬さんといろいろな話をなごやかに交わすことができた。声が俳優の向井理さんに似ており、テンポのよい話しぶりで誠実な人柄が伝わり、本当に楽しいひと時だった。

 妻が66歳にして29歳のイケメンのおっかけを始めて、ある変化が起こったことに気がついた。長らくスランプに陥っていたヴァイオリン熱に突如として火がついたのだ。それまでは一日2時間も練習すれば関の山だったのに、4時間も5時間も練習するようになった。私としては多少音楽騒音と感じることもあるのである。といっても、それはおくびにもだせない。それが我が家の権力構造である。驚いたことに、練習量が激増して以来、妻のヴァイオリンの音が滑らかになり、その上音量が大きくなっている。メロディも美しいな、と感じる部分が増えている。先生からもお褒めの言葉を貰ったそうだ。妻の余りの練習ぶりを見て、長年スランプ状態だった私もピアノの練習を増やすようになった。

 對馬さんは2015年から読売日本交響楽団で第一ヴァイオリンを弾いている。3か月ほどまえ、去年余った1枚の年賀はがきで妻が公開録画入場の申し込みをした。当たる見込みはもちろんない。夫婦とも送ったことも忘れている。3日前、「日テレ」というログマークが入った封書が郵便受けに入っていた。何だろうかと開けてみると、なんということか、東京オペラシティでの公開録画入場引換券が2枚入っているではないか。しかも、プログラムは私が一番好きなブルッフのヴァイオリン協奏曲を初めとして、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、ビゼー「カルメン」間奏曲、ヴェルディ「運命の力」序曲などの名曲揃い。しかも指揮者は巨匠、外山雄三さん。今から夫婦二人で1月31日を心待ちしている。

 歌手であれ、韓流スターであれ、心をときめかせておっかける情熱を持てることはいいことだ。私は残念ながら「おっかけさん」の荷物持ちだが、その内絶世の美女のおっかけを始めたいものだと思っている。      (2018年1月)








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イギリス、湖水地方

2017-11-29 20:24:07 | 日記
 半年ほど前、二階の書斎にいると、一階のダイニングルームでテレビを見ていた妻が呼びに来た。
「おもしろいドキュメンタリーを放送しているよ」
早速下に行くとイギリスの庭をテーマにした番組である。一目見て直感的にいい番組だと思い、二階に戻ってパソコンでテレビを立ち上げ録画を始めた。

 数百年の伝統を感じさせる風格のある屋敷、多種類の樹木、植栽、花と緑あふれる映像にみとれ、バックに流れるクラリネット、オーボエやフルートなどの音楽にもききほれる。広大な庭の持ち主で、気品にみちたジェーン・ヘーゼル夫人が愛情をこめて庭の手入れをする様子が克明に描かれている。庭で収穫し、料理に使ったりんごの残りは敷地の鹿たちのえさとして与えている。
「ジェーンさんは庭の恵みをすべて無駄なく使います」
庭で草をはむ、立派な角をもつ鹿たちの姿も美しい。

 クリスマスが近づくと、赤い実がついた庭のひいらぎやいちいなどで屋敷の飾り付けが始まる。毎年ジェーンさんは屋敷のスタッフをねぎらうためクリスマスパーティを開く。庭で収穫された食材を使い、伝統的な調理法で作った料理をスタッフ全員と和やかに楽しむ。大きな暖炉では庭で生育した太い木が炎をあげている。何というエコロジカルで豊かな暮らしだろうか。

 イギリスの庭園生活に浸っていると番組はエンディングを迎えた。全体で九十分の番組で、三十分足らずしか見ることができなかった。録画を繰り返し見るほどに、最初の六十分も是非見たかったとの念が強くなった。

 番組は「魔法の庭 ダルメイン」というタイトルである。とりあえずNHKのメールアドレスを探し、問い合わせた。
「『魔法の庭 ダルメイン』に感激しました。是非とも再放送をお願いしたいのですが、予定はないでしょうか?あるいはDVDにして販売する予定はないでしょうか?」
二、三日して返事が来た。実に素早い反応だ。
「現在のところ再放送の予定はありません。DVD化の計画もありません」
逃した魚は大きかった。果たして今後こんなすばらしいドキュメンタリーに出会えるのだろうか?しばらくの間、後悔の念にさいなまれた。

 二か月ほどたった頃、一昨年だったか、何かの折にNHKネットクラブというところに加入したことを思い出した。ネット上でNHKの番組を紹介するページである。登録してから一度もアクセスしていない。ダルメインにつながるヒントはないものかとページを開いてみた。あちこち眺めてみると、「番組表ウォッチ」というコーナーがあることに気がついた。クリックして読んでみると、キーワードを登録すれば、今後キーワードを含むタイトルの番組が放送されるときは、NHKが事前に私のアドレスにメールで連絡してくれることが分かった。こんなサービスがあるのか!早速「ダルメイン」をキーワードに登録した。再放送の予定はないらしいが、ダルメインに関係した他の番組が放送されるかもしれない。念のため「イギリス」、「庭」というキーワードも登録した。藁をもすがる思いである。

 二か月ほどたち、キーワードを登録したことも忘れかけていたころ、NHKからメールが届いた。何だろうと思い開けてみると、何と見たいみたいと切望していた「魔法の庭 ダルメイン」の再放送の知らせではないか。早速パソコンで録画予約を入れ、カレンダーに大きく書き込んだ。再放送までの一週間の何と長かったことか。

 再放送の日は、パソコンの前に待機し、自動録画がちゃんと作動するかどうかを見張っていた。再放送の時間になるとパソコンは忠実に録画を開始してくれた。
「イギリス中央部の西側にある湖水地方に十二世紀から歴史を紡いできたダルメインという屋敷があります。その敷地に作られたイギリス一美しいとされる庭…」
長らく待ち望んでいたドキュメンタリーが始まる。屋敷の裏に広がる庭は二万平方メートル。庭づくりは代々ヘーゼル家の女性たちが受け継いできた。花が咲き誇る春から夏は毎年一般公開され四万人の観光客が訪れる。

 秋の庭は色とりどり。ほおずきは鮮やかなオレンジ色に熟し、メキシコ原産のチトニアの花は明るい朱色で蜂を引き寄せる。

 ダルメインでは昔から五十種類のりんごを栽培してきた。今ではその内何種類かのりんごの木がない。ジェーンさんと庭師は雑草地になっている庭の一角に何世紀か前に植えられていたりんごの苗を移植する。やがてジェーンさんの子孫たちは先祖が食べていたのと同じりんごを味わうことになるだろう。こうして家族の伝統が代々受け継がれていく。

 人々がファーストフロストと呼ぶ初霜がおりると、木々が色づき始め、紅葉の季節を迎える。緑色を背景に樹々たちが赤や黄色の衣服に着替えていく。こうして半年前に視聴した部分に繋がっていく。

 何度繰り返しみても、どの部分をとっても目と耳の保養になり、心が癒される。私たち夫婦が湖水地方を訪れてからもう五年になる。あの時の感激がよみがえるとともに、湖水地方の別の側面がみてとれる。これからも、思いがけず確保できたDVDを繰り返し視聴し、ダルメインの人々の豊かな営みとイギリスという国の奥ゆかしさに触れたいと思う。
                           (2017年11月)







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救いの神

2017-11-09 13:41:02 | 日記
 2015年2月にソニーのラジオレコーダーを買ってからすでに二年半過ぎている。ラジオ放送を自動録音してくれるので、毎日NHKのラジオ深夜便などを録音している。都合のいい時に再生して聞いている。先日百五歳で亡くなった聖路加国際病院の日野原重明さんのインタビューのような放送はレコーダーに保存している。CDで気に入った曲もレコーダーに録音しており、ハイドンの交響曲は三十曲以上保存している。レコーダーはボタンを押すだけで簡単に録音できるので、孫との団らんやピアノレッスンなども記録に残している。小型ながらステレオ録音でとても音質がいい。購入して以来、朝、昼、晩と活用しており、寝るときも切りタイマーをセットして録音を楽しみながら入眠している。いまやラジオレコーダーは生活の中で重要な役割を果たしている。

 録音を保存しているSDカードをチェックしてみたら、ファイルは759本、情報量は9ギガバイトを越えている。録音時間は300時間以上になるだろう。それぞれのファイルにはきちんと名前を付け、フォルダーを作って内容によって分類もしており、いつの間にか音の図書館になっている。日に日にファイルが増え、充実度が高まっている。

 一か月ほど前のある朝、ファイル名を整理しようと思い、SDカードをレコーダーから取り出して、パソコンに挿入した。しかしどうしたことか、パソコンがカードを認識しない。おかしいなとSDカードを取り出したところ、カードから何かがはらりと下に落ちた。床をよく探してみると、記憶素子の小さなカードが落ちていた。SDカードが、表のカバー、記憶素子、裏のカバーの三つに分解したのだ。こんなことは初めての経験だ。三つのパーツはそれぞれ傷がなく、三枚を合わせて重ねるととりあえず一つになるので、再度パソコンに挿入したが、やはり読み込まない。急にあせりと不安に襲われる。

 インターネットでカードを製造したソニーのページを開き、相談のメールを送った。二日後返事が来た。さすがソニー、対応が早い。
「バラバラとは、物理的に破損しているという意味で相違ないでしょうか。
相違ない場合、誠に申し訳ございませんがデータ修復はできません」
やはりだめか。しかし、カードが三つに分解しているが、記憶素子はまったく破損していない。写真を添付して、もう一度問い合わせた。三日後返信があった。
「恐れ入りますが、物理的な破損の修理修復は承ることができません」
製造元のソニーから最後通牒をつきつけられてしまった。

 写真や文書ファイルはバックアップを取るようにしているが、レコーダーのファイルのバックアップは取っていなかった。つまりデータは完全に消失したということだ。データがなくなってみると、いろいろと貴重な音源があったことに今更ながら気づいた。歌手、小椋佳さんやエッセイスト、玉村豊男さんのすばらしいインタビューはもう再放送されるチャンスはない。私の母親との会話を録音した20本余りのファイルが消失したのは返す返す残念だ。クリアな音で録音されており、母がいろいろなことを力のある声で素直に語っていた。母が他界した後も折に触れて聞き返そうと思っていた。母は今年93歳で、もうあまり話ができなくなっており、同様な録音ができる可能性はきわめて薄い。

 たくさんの貴重な音源をなくした喪失感のなかで一週間ほど過ぎたとき、ふと「ココナラ」というインターネットサービスがあることを思い出した。世の中にはさまざまな能力を持った人がいて、ココナラサイト上でいろいろとユニークなサービスに応じてくれるのである。万に一つ糸口がみつかるかもしれない。十月末、早速リクエストを出した。
「SDカードがバラバラになりデータを読み込めません。データを復旧できないでしょうか?当方の予算は三千円~五千円です」

 二時間後、ココナラからメールが入り、ameyuというコードネームの人から提案があると伝えてきた。
「バラバラになったSDカードの写真を送ってください。各パーツの表側と裏側の両方の写真をお願いします」
直ぐ、バラバラになったSDカードの写真を撮り、先方に送った。数時間後返信が届いた。
「一見したところではケースの端子側の端が割れて欠けているだけで、真ん中のパーツの中に納められている電子素子は、損傷を受けていないように思われます。私の方でも対応できる可能性もあるなぁと思っています。その場合は、五千円で対応できます」
一筋の光明が見えた気がした。その後ameyuさんと何度かやりとりをし、とりあえず、分解したSDカードを大阪に郵送し、対応できなければ無償で返送して貰うことになった。

 大阪に、分解したSDカードを郵送して二日経った。果たしてデータを読み込むことができるだろうか?SDカードは小さな精密な品物だから、素人には与り知れない技術的ポイントがありそうで、そう簡単にいくとは到底思えない。うまくいくことを祈るしかない。

 三日後、連絡が入った。ameyuさんは、電子素子のそれぞれの端子に線を直接つないでデータにアクセスし、正常なSDカードにデータをそっくり移した上で返送してくれた。SDカードの代金と送料を含め総額九千円を支払った。

 届いたSDカードをラジオレコーダーに挿入すると、すべてのファイルが完璧によみがえっている。母の声も元気にきこえてくる。嬉しくてにわかには信じがたい思いだった。 貴重な音源が復旧したので、一ファイルずつ再生し、ファイル名の整理をしている。改めてきいてみると保存するほどの価値のないものも多いことに気がついた。そのようなファイルは削除し、ライブラリーの付加価値を高めている。そして、何よりも、別の新しいSDカードにバックアップコピーを取った。

 パソコンといい、記録媒体といい、これまで余りにもその耐久性を過信していた。これからは「必ず壊れる」ことを念頭におきたいと肝に銘じている。インターネットのお陰で、見知らぬ専門家が消えゆく運命にあった音源を復旧してくれた。まさに救いの神とはこのことである。やりとりを始めて十日間、終始懇切丁寧な対応をしてくれた救世主に心から感謝し、録音ファイルとともに楽しい日々を送りたい。インターネットにはハッカーのような悪魔が満ち溢れている印象だが、温かい心を持った神様もすんでいるようだ。
                  (2017年11月)





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ぶどう収穫作業の旅

2017-10-23 15:53:42 | 旅行
 若いころから酒が好きで、ビール、日本酒、焼酎、ワインを楽しんできた。暑いときは冷えたビールでのどを潤し、寒い日は熱燗や芋焼酎のお湯割りで温まる。ステーキやチーズ料理ならワインがうまい。

 六十五歳を過ぎて、ワインが次第においしく感じられるようになってきた。それまではワインといえば赤ワインと頑なに思っており、なかなかおいしいワインに出会えなかった。ところが、千葉の友人夫妻がいつもおいしそうに白ワインを飲むのを見て、時たま白ワインを飲むうちに白ワインのおいしさを発見したのだ。不思議なことに白ワインを楽しんでいると、赤ワインも飲んでみたくなり、それがまたおいしく感じられるのだ。私の場合、白、赤両方を飲むことがいいようだ。

 昨年、フェリス女学院大学の図書館でエッセイスト、玉村豊男さんの『千曲川ワインバレー』(2013年、集英社新書)という著作に巡り合った。玉村夫妻が信州の里山で農地を買い、ぶどうの苗木を植えてからワイナリーとレストランを経営するまでの二十年間が、味わい深い文章で綴られている。
「土を耕し、ブドウを育て、できたブドウを寝かせておく。
 ワインづくりは農業の仕事そのものです」(P7)
最初から最後まで慈しむように熟読し、一段とワインに魅力を感じるようになった。

 玉村さんのワイナリー&レストランに強い興味をもち、今年六月に夫婦で訪ねた。ワイン畑はゆるやかな南斜面に広がっていた。レストランは明るく、しゃれた雰囲気で、とれたての野菜が実においしかった。白ワインのソーヴィニィヨンブランは香りがすばらしく、口に含むとワインのうま味がはじけるような印象を受けた。これまで日本のワインはまずくて飲めないと思っていたが、こんなにうまいワインが製造されるのかと目からうろこが落ちた。食事の後、ワイナリーツァーがあり、ぶどう畑からワイン醸造工場、ワイン貯蔵倉庫まで見学をした。ツァーの最後に案内をしてくれた佐藤さんからこんな話があった。
「これからぶどうが生育し、九月下旬から十月下旬にかけてぶどうの収穫時期となります。とても忙しいので、収穫作業を手伝っていただけるボランティアを募集しています」

 玉村さんのワイナリーを訪ねてから一段とワインがおいしいと感じるようになっている。玉村さんのワイン畑、ワイナリーを思い出し、あの緑豊かな木でぶどうが育ち、収穫され、つぶされ、発酵してワインになるのだなと想像すると一段とおいしく感じられる。特に白ワインがおいしく、最近では白ワイン2に対し赤ワイン1という配分である。

 七月下旬、ワイングラスを傾けていて、一度ワイン醸造用のぶどうをこの手で収穫してみたいと考えるようになった。この思いは日を追って強くなっていった。八月上旬、佐藤さんにメールで相談すると、
「よろしくお願いします。九月下旬になったら収穫日を連絡します」
と折り返し返信が返ってきた。

 九月下旬、佐藤さんから三十日の土曜日に収穫作業をするとの連絡があった。二十九日の午後、作業用のトレーナー、帽子、軍手を持って家を出た。

 昨年夏、神戸の友人、林さんのアドヴァイスでJRのジパング倶楽部に入会したが、機会がなく、まだ使ったことがなかった。今回初めて、みどりの窓口でジパング俱楽部の会員手帳に所定事項を書き込んで切符を購入した。横浜から東京までは上野東京ライン、東京から上田までは長野新幹線である。新幹線を利用することと、距離もかなりあるので往復二万円位と思っていた。ところが「往復自由席で合計9、940円です」と言われて驚いてしまった。正規運賃が14、200円で30%の割引がきいてこの価格になったらしい。実に嬉しいサプライズだ。

 東京発14時4分の「あさま613号」に乗る。とても座り心地のよいシートだ。ペットボトルの日本茶を飲みながら大鐘稔彦『孤高のメス 最終巻』(幻冬舎文庫)を読んだ。今年八月に刊行されたとき、大鐘さんから贈呈された。ベストセラーになり、十年前、大鐘さんとの出会いのきっかけになったこの医療小説シリーズもこの第13巻で完結すると思うと感慨深い。小説を読みながらも、時々、明日のぶどう収穫作業は一体どんな感じなのだろうかと期待に胸が膨らむ。

 午後4時過ぎ上田駅の真ん前にあるサンルートホテル上田にチェックインし、風呂でゆっくりくつろいだ後、近くのFbar(エフバー)というレストランに行った。ミディアムレアのステーキに舌鼓を打ちながらイタリアの白ワインを飲んだ。ワインを味わいつつぶどうの房を想像するのも楽しい。代金は4、806円とリーズナブルな店だった。

 ぐっすり眠って目覚めると、ありがたいことに今日は快晴だ。ホテルの和朝食は、白米と味噌汁がとりわけおいしい。トレーナーに着替え、帽子をかぶって上田駅からしなの鉄道で田中駅に向かう。二両編成のローカル鉄道で、まさに長野の里山をゆっくり走っていく。二十分ほどして田中駅に着き、駅前で待っていると間もなく東御(とうみ)市の巡回バス「まるっと信州とうみ号」がやってきた。とうみ号は田舎の集落を抜け、やがて曲がりくねった農道を走り、十時前に玉村さんのワイナリー、「ヴィラデスト」に着いた。

 私の他に、東京から来たという五人組のグループが収穫作業にきていた。総勢六人のにわか農夫は二台の軽トラに分乗してワイン畑に向かった。畑はゆるやかな南斜面にあり、斜面の先に上田市の市街が認められ、その背後に蓼科山や八ヶ岳が連なっている。空は青く、稜線に沿って綿のような雲がいくつか浮かんでいる。さえぎるものは何もなく雄大な景色だ。ぶどうの木は高さ2メートル余りあり、整然と一列に並んでいる。木の根元は雑草が緑のじゅうたんをなしており、ぶどう畑は実に爽快で美しく、気分がいい。

 佐藤さんが収穫作業の要領を教えてくれた。
「今日収穫するのはピノ・グリというぶどうです。グリはグレーという意味で、白ワインになります。ぶどうの房を左手でもって、右手の剪定ばさみで梗(こう。ぶどうの軸)を切ります。ぶどうの房には健全なぶどうだけではなく、発育不全の小さなもの、枯れ乾したもの、腐ったものもあります。これらはワインにならないばかりか味を悪くします。これらの病果をはさみで丁寧に取り除きます。その後、収穫用のケースに入れます」
ぶどうの木から房を摘み取るだけではないのだ!病果をきちんと除去するのだ。収穫作業の段階で既に「おいしいワイン」を作る工程が始まっているのだ。

 少しくろうとの農夫になった気分で、慈しむようにぶどうの房を持ち、右手で梗をパチンと切る。房を見るとなるほど病果がある。健康な粒を傷めないように注意しながら病果を取り除き、バケツに入れる。目に入るのは緑色の葉っぱとはちきれるように実った薄紫色のぶどうの房だけである。すべての雑念が消え、一房、ひと房と収穫作業を進めていく。ワインをつくっているのだという満足感と充実感がこころよい。

 収穫ケースの中のぶどうの量が少しずつ増えていく。房の一粒を口に入れてみる。デラウェアや巨峰のような生食用のぶどうはさらさらした感じであるが、ピノ・グリは少しどろっとした舌ざわりである。甘みが強く、同時にかなりの酸味もある。ぶどう果汁というよりは、ワインのような味わいがある。そうか、ワインになるぶどうなのか、と当たり前のことに不思議な感動を覚える。

 昼食をはさんで午後も収穫作業にいそしんだ。病果の取り外し作業も少しずつ習熟していく。慣れない作業で、緊張し、一定の姿勢を続けるため腰が痛くなってくる。やはり新米農夫だ。一日七時間、八時間、しかも毎日続けることを思うと、農作業は厳しい仕事である。

 帰りの巡回バス運行時間の関係で午後三時に収穫作業は中止せざるを得なかった。秋晴れ、微風という絶好の天気に恵まれ、実に愉快な作業だった。

 収穫したぶどうは梗(軸)を取り除き、つぶし、タンクに入れて酵母発酵させることになる。来年の今頃「ピノ・グリ 2017」として発売される予定だときいた。一本3、600円というからなかなか上等なワインである。

 これからの一年間、収穫したぶどうが辿る製造工程を想像しながら発売の日を待ちたい。「ヴィラデストワイナリー ピノ・グリ 2017」をグラスに注ぐ日を楽しみに暮らしていきたい。                 (2017年10月)

 

 

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おいしい人生

2017-10-10 15:15:17 | グルメ
 わたしは1975年10月10日に結婚した。25歳だった。その頃、CBSソニー・ファミリークラブという会社があり、世界の名品を販売していた。カタログによる販売で、わが国における通信販売の走りだったのではないだろうか。

 カタログの中で「ラゴスティーナ」という圧力鍋にひどく関心を持った。ステンレス製でキラキラ輝き、蓋の開け閉めをする黒いハンドルが実にいい形をしていた。
「ラゴスティーナ社は、イタリア北部、ピエモンテ州で1901年に創設された。その圧力鍋は、イタリアでは結婚祝いとして手渡され、後に娘が嫁にいくときはそれを持たせる人も多い。
 その曲線を特徴とする美しいデザインは、1955年ニューヨーク近代美術館の永久収蔵品にも選ばれ、機能性とデザインの双方を高く評価された」
とカタログに書いてあった。自分が使った圧力鍋を娘の嫁入りの際に持たせる、というセリフが決めてになり、矢も楯もたまらずに購入した。当時の価格で3万円位だった。その頃の月給が7万円位だったので随分高価な品だった。

 その頃は料理はしていなかった。しかし、鍋を買った手前、説明書を読んで幾つかの料理を作った。最初は「ゆで鶏」である。鶏のもも肉にショウガ、葱、塩コショウを加えて15分加熱する。火を消し、更に10分ほど余熱で煮た後蓋を開けると出来ている。肉はほどよくゆであがっており、骨からぽろっとはずれる。歯ざわりがよく実に美味い。赤飯にも挑戦した。普通の鍋で調理すると、長時間もち米を水に漬けておいたりして、手間暇がかかるが、圧力鍋を使うと1時間ほどで出来上がる。炊き立ての赤飯は香り良く、ほどよい甘みがあり何杯もお替りしてしまう。

 圧力鍋は鍋と蓋を密封する構造になっており、加熱することで圧力がかかる。水の沸点は圧力が高くなるにつれて上昇するため、内部の温度は100℃以上となる。鍋によって差があるが、およそ2気圧で120℃前後になる。この高温や高圧の効果で、短時間で調理することが可能となり、調理時間は3分の1から4分の1になる。加熱する時、中の具材は踊らず、通常の鍋で煮るよりも動きが静かで少ない。これらの特徴によって、加熱時間が少なくて済むため、大きな食材によく火を通しても煮くずれがおきにくい利点がある。また、普通の鍋で煮るよりも少量の水で調理できるため、食材に含まれる水溶性の栄養成分を食材外に流出させにくいという利点もある。

 せっかく優れた特性を持つ圧力鍋を買ったのに、二、三ヶ月経つとすっかり圧力鍋を使わなくなった。その頃始めたテニスにすっかり夢中になったのである。一方、妻は圧力鍋の威力が分かったらしく、ゆで鶏をはじめ、いろいろな料理に使い始めた。それ以来二十年余り、ずっと妻だけがラゴスティーナを使っていた。

 わたしは五十前後から料理をするようになり、再びラゴスティーナを使うようになった。圧力保持のためのゴムパッキンや減圧弁などは高島屋で部品を交換できた。圧力鍋は高温・高圧になるため取り扱いには注意を要するが、通常の鍋に比べ一味も二味も違う料理ができ、重宝してきた。

 購入して四十年ほど経つと、ハンドルの一部が熱で変色するなど劣化の跡がみられるようになった。また鍋の深さが30センチほどあり、使ったあとの掃除に手間がかかり、ついついラゴスティーナを敬遠することが多くなった。

 そんなこともあり、二年前、思い切って買い替えることにした。横浜東急ハンズでワンダーシェフブランドの圧力鍋を購入した。一万二千円とお手頃な価格だ。ラゴスティーナは今でも三万円前後で売られている。

 ワンダーシェフの圧力鍋は直径18センチ、深さ17センチで、使用後の洗浄は非常に簡単だ。ラゴスティーナに比べると圧力保持構造もより単純で、とても使い勝手がいい。ワンダーシェフを買ってから圧力鍋を使う頻度が上がっている。圧力をかけず普通の鍋のように使うことも多い。

 最近では、昼食に私一人分のカレーを作ることが多い。じゃが芋一個、玉ねぎ二分の一個、人参少々にありあわせの肉を入れる。チューブ入りにんにく、オイスターソース、塩を加えて水一カップ半を入れ、しっかり蓋をして7分間加熱する。火を切ってそのままにしておくと余熱でさらに材料が処理され、10分位で圧力が下がる。蓋を開け、カレールウを加えて加熱しながらかき混ぜると、実に香り良くコクのあるカレーが出来上がる。

 ラゴスティーナを買ってから四十年余り、圧力鍋とのいい関係が続いている。まだまだたくさんの料理を作ることができるはずだ。買い替えたワンダーシェフを更に使いこなして、バラエティのある料理を作り、おいしい人生を送りたい。
      (2017年10月)



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化学教室

2017-08-05 17:08:31 | 日記
 昨年春、箪笥を整頓していたら紺色のショートパンツが出てきた。息子がはいていたものだ。着用してみるとM寸でサイズはちょうどいい。ポロ・ラルフローレンブランドで左足の下側についている赤いワンポイント刺繍もなかなかオシャレである。暑い時季、綿のショートパンツは実に爽やかで快適だ。テニスクラブに行くときも持参し、風呂上りに着用して帰路につく。

 最近、ショートパンツの色がかなり褪せてきていることに気が付いた。紺色というより、灰色というか、白っぽいというか、冴えない疲れた色なのだ。気になり始めると、頻繁に眺めるようになり、ますます気がかりになってきた。家の中ではくのは問題ないとしても、テニスクラブにはいていくのは相応しくないかもしれない。考えてみれば、息子のお古だから、購入して10年は経っているだろう。色が褪せる位だから十分に使用されたといえる。もう廃棄する時期なのかもしれない。しかし、ベルトのゴムは充分に弾力があり、何といっても形が良く、履き心地が抜群なのだ。妻に相談した。
「染めたらどうなの」
そうか。染めるという手があった。

 8月初め、コンサートをききに上野の東京文化会館へ行く前に、横浜駅前の東急ハンズを訪ねた。持参したショートパンツを見せて、店員さんに染料を選んで貰った。イギリスの商品で、
ダイロン プレミアムダイ ネービーブルー(702円)
である。果たして着古した愛しのショートパンツは甦るだろうか?期待と不安が交錯する。

 2日後、満を持して染色作業に着手した。染料の袋に書いてある手順を入念に読む。先ず500mlの湯を用意する。200mlの計量カップで分量を量り、やかんに入れて加熱し、温度計を入れて40℃に調整する。なかなか手間のかかる作業だ。染料一袋50gを器に入れ、500mlの湯を加える。たちまち、鮮やかな青色に変色する。割り箸でよくかき混ぜる。ポリバケツを用意する。2リットルのペットボトルに水を満たし、これまた40℃に調整してバケツに入れる。これを3回繰り返し、6リットル用意する。この湯に塩250gと500mlの溶いた染料を加え、よく混ぜる。

 塩250gはなかなかの分量である。家には食用の「真塩」という上等の塩しかないので、少しもったいない気がする。水500ml、6リットルの計量や、40℃の温度設定など結構手間がかかり、神経を使う。なんだか理科の実験をしているような気分になってきた。ここまで丁寧に作業して、うまく染まるのだろうか。不安感がつのる。

 タイマーを15分にセットし、ゴム手袋をはめ、いよいよショートパンツを液に漬ける。
「染めるものを広げて入れる。15分間しっかり混ぜます」
と指示されている。その通り、両手で丁寧に混ぜる。混ぜていると微かな匂いがする。余りいい匂いではなく、どちらかというと気分が悪くなる臭いだ。この状態で15分というのは結構長い。ショートパンツにネービーブルーの色が少しずつ移っているような気がする。

 15分混ぜたら、ショートパンツを液の中に広げ、時々かき混ぜて45分間放置する。タイマーを身に付けて、ピアノを練習し、時々割り箸でかき混ぜに行った。

 後は、洗濯機に入れてすすぎ、脱水後、陰干しである。ハンガーにかけて部屋の中に干してみると、色あせた感じはなく、何となく染色されている気がする。乾いた後、どんな風合いになるのだろうか。期待感が膨らむ。

 一昼夜じっくりと乾燥させた。なるほど色あせたところは消えている。全体が同じ色で染まっている。ベルトに付いている紐も灰色っぽかったが、この紐も見事にネービーブルーに染まっている。神妙な面持ちで着用し、鏡の前に立つ。
(なるほど。染まるのか)
満足感がじわじわと広がっていく。

 以来、起きている時は着用し、着心地のよさと、色合いのよさを楽しんでいる。捨てられ、都市ごみとして焼却される運命にあったものが、技術的処理によって甦る。何と心地よいことだろう。この復活的感覚は実に気持ちのよいものだ。

 一連の慎重な作業を振り返ると、化学の実験教室にいたような気持がする。中学の理科や高校の化学の授業では、貧しい学校だったのか紙の上の「仮想的思考実験」ばっかりだったが、67歳になって、初めてちゃんとした化学実験を経験したような気分である。

 このショートパンツはこの先5年位はもつだろう。大切に着用し、快適な生活を楽しみたい。
 (2017年8月)





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67歳、初リサイタル

2017-07-13 11:09:52 | 音楽
 6月初旬、神戸在住の友人、林さんからメールが到来した。7月初めに高校の同窓会で上京するので食事でもしませんかとのお誘いである。その日は先約がないので喜んでお会いしたいと返信した。

 2歳年長の林さんは私と同じ川崎重工のOBで、今から20年ほど前、仕事の関係で知り合った。会社時代は売上・利益を計画管理する業務連絡がほとんどで、さほど親しい関係ではなかった。7年前に会社を退職した後、1、2年に1回位食事をするようになり、最近になってメール交換をするに至った。

 夕刻東京での同窓会ならば、途中下車して貰って新横浜駅で昼食をするのがいいと思い、いきつけの「自然食レストラン はーべすと」を予約した。このレストランは新鮮野菜を素材にキャベツのごま酢和え、大根餅、野菜オムレツなど数十種類のメニューをバイキング形式で揃えており、ランチは1、402円とリーズナブルである。人気があるのも頷ける。林さんとは1年ぶりの再会で楽しみである。

 レストランを予約して2、3日経った頃、
(同窓会が夕刻だとすると、食事のあと3時間ほど余裕があるな。それなら横浜の自宅に立ち寄って貰い、近所の遊歩道を案内したらいいのではないか)
と思い至った。折角家にきて貰えるなら2年前に買ったドイツ製のピアノで私の演奏もきいて貰おう。林さんにメールで意向を訊ねると、
「差し支えなければ訪問します。村上さんのピアノ演奏はよろこんできかせて貰います」
との返事を貰った。

 さて、一ヶ月後、林さんにどんな曲をきいて貰おうか? といってもそんなにレパートリーがあるわけではない。過去1年間練習してきたモーツァルト「交響曲第40番第1楽章」とベートーヴェンの「交響曲 運命第1楽章」をきいて貰おう。3か月前から練習しているベートーヴェンの「交響曲 田園第1楽章」も弾いてみよう。ヴィヴァルディの「四季」(「春」)は易しい楽譜があるのでこれから練習しても間に合うだろう。クラシックだけでは偏るのでミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」にも挑戦してみたい。

 深く考えずに食事と自宅への招待を約束したが、改めて考えてみると、林さんにピアノをきいて貰うということはそれほど容易なことではない気がしてきた。これまで10年余りピアノを練習してきて、人前でピアノを弾くことの大変さを何度も経験しているからである。一人でなんとか弾けるようになっても、いざ人前でとなると、考えられないミスを犯し、しばしば立往生してしまうのである。

 しかし、もう後には引けない。練習するしかない。それからはいつもの2倍を超える時間を練習に注ぎ込んだ。モーツァルトの40番はみっちり練習したのでまず問題なく弾ける。「運命」も先生の指導を忠実に守りながら取り組んでいるので、ほぼ出来上がっている。ただ、最終部分は4オクターブという広い音域にわたって、右手と左手がそれぞれ素早く、複雑な動きをするので要注意である。「田園」は田舎に着いたときの愉快な気分を表しているだけあって、実にいい音楽なのだが、一番難易度が高く、中盤からのスタッカート(音を切って弾く)が難しい。

「シェルブールの雨傘」は53年前の映画である。映画をみたことはないが、音楽は実に素晴らしい。楽譜を頼りに一音、一音、音符を紡いでいった。右手が実に美しいメロディを奏で、そこに左手が雰囲気を盛り上げる和音を重ねる。

 林さんが来る日が近づく。少しずつ上達していることが分かる。それでも難所はまだまだ沢山ある。楽譜には色鉛筆の矢印、色塗りが増えていく。楽譜を見ながら練習していると、幼稚園・小学校で使った色鉛筆が実に便利なものであることに気づく。

 7月10日、午前11時、新横浜、新幹線東口のりかえ口で待っていると定刻通りに林さんが現れた。いつも通りの物静かな雰囲気である。駅ビル9階のレストランに案内し、林さんは生ビール、私は芋焼酎お湯割りで乾杯した。何よりも、林さんのお嬢さんが来月、軽井沢でご成婚されるのを祝した。

 林さんは平安時代以来、景勝地として名高い広島県福山市、鞆の浦のご出身である。ご実家はその昔醸造業を営んでおり、現在も実家の他に高台に別邸を所有している。10年ほど前、映画監督の宮崎駿さんがこの別邸を気に入り、貸してほしいと要請されたそうだ。宮崎監督はこの別邸に数ヶ月滞在し、『崖の上のポニョ』を構想した。林さんは名家の末裔である。

 新横浜からJR横浜線で横浜駅に行き、相模鉄道に乗り換えて私の家に来て貰った。妻は週2日、横浜市立保育園でパートタイマーとして働いており、この日は勤務日だった。お茶を飲んで貰い、ピアノの前に座った。林さんは10メートルほど離れてソファに座っている。聴衆が一人とは言え、とても緊張する。

 最初の曲はヴィヴァルディの「春」である。有名な「四季」の1曲目である。明るく陽気な曲で、弾いていて心が弾んでくる。2、3か所でミスがあったが、なんとか弾き終えた。次にシェルブールの雨傘の映画について、ネットで調べたことをしゃべった後、演奏を始めた。しかし、まだまだ練習不足であった。最初の10小節の辺りで指がもつれ、どうにも収拾がつかない。
「すみません。まだできていません」

 ベートーヴェンの田園は半分まできたところで、立往生してしまった。人前で演奏するためには、一人で練習しているときに完璧にできあがっていなければならない。田園は、まだ完璧に弾けたことがなかったのだ。ベートーヴェンの運命とモーツァルトの40番は何とか最後まで演奏することができた。それでも、練習ではさらりと弾けているところで何か所も躓いた。

 全5曲で、喋りも含めて15分足らずの演奏だった。林さんは暖かい笑顔できいてくれた。

 ピアノ演奏の後、近所の遊歩道「四季の径」を案内した。この遊歩道は約1キロにわたって、こなら、泰山木、桜などのゆたかな植栽が続き、今の時期はかぐわしいくちなしや、紫陽花などが妍を競っている。散策の後、林さんは東京に向かった。

 林さんのメールをきっかけにして、はからずも、生まれて初めてのリサイタルができたような気がする。「シェルブールの雨傘」と「田園」は準備不足で途中リタイア、他の3曲でも沢山の間違いをしてしまったが、演奏をきいてほしいと申し入れ、最後までやり遂げたことは評価できると思う。これまでの発表会では1年間練習して1曲を演奏するのがやっとだった。今回は一挙に5曲演奏できた。67歳にして、まったく新しいことに挑戦できたことが嬉しい。これからも、ピアノ演奏をきいてもらう機会を探っていこうと思う。林さんの訪問はわが人生に新しい世界を切り開いてくれた。

 朋有り、遠方より来る。また楽しからずや。 (2017年7月)









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プロフェッショナル ガイド

2017-06-24 10:45:09 | 旅行
 昨年の中頃からテニス肘や腰痛に悩まされ、今年は93歳の母が手術を受けたりして、1年ほど旅行ができなかった。母の体調が安定し、腰の痛みも和らいできたので、妻と日程を調整して、六月中旬、久しぶりの旅に出た。阪急交通社が企画した
「山陰山陽デラックス紀行 4つの世界遺産と5つの日本一 たっぷり4日間」
というツァーである。行く先を検討していた時、日経新聞の広告で知った。妻は梅雨の時期なので4日間の天候をしきりに心配していた。

 初日は新横浜、朝9時32分発ののぞみ215号に乗り込んだ。既に東京駅で乗車していた参加者を含めツァーは総勢22名である。60代後半から70代の人が中心で最高齢は87歳の男性だ。小柄だが元気溌溂とした添乗員の鎌田さんがあいさつに来てくれた。

 新大阪で下車し、ツァーバスに乗り込む。大阪、神戸を通過し午後1時半、最初の訪問スポット、姫路城に着いた。事前の勉強によると、1333年、赤松則村が姫山に砦を築いたのが起源という。青い空を背に映える白亜の天守閣を見上げる。壮大で美しい。実にいい気分だ。天守閣は6階建てで、その急階段を昇りながら戦国の世を偲んだ。

 姫路城で2時間ほど過ごし、一行を乗せたバスは一路、鳥取県の大山を目指す。兵庫県を通過したバスは岡山県に入り、中国横断自動車道をひた走る。中国山地を斜めに横切るハイウェイで車窓から山、川、森、谷が旅人の心を和ませてくれる。2時間近く走って、夕刻、田んぼと森の向こうに富士山に似た形をした優美な大山が姿を現した。

 大山ロイヤルホテルは近年、天皇陛下ご夫妻が宿泊したホテルだそうで、従業員の接客態度がよく、客室は広々している。窓からは右手に大山、真下に美保湾と弓ヶ浜が横たわる。弓ヶ浜は本当に弓なりに伸びている。夕食のバイキング料理も新鮮野菜、かつおのタタキ、ステーキなど、とてもおいしかった。芋焼酎と白ワインに心地よく酔った。翌朝は5時頃目覚め、1階ロビーに下りて、玉村豊男『エッセイスト』(朝日新聞社、1995)を読んだ。淡々とした筆致のなかに、驚くような自動車事故体験が語られ、また行間に鋭く快いエスプリが感じられる。旅先のホテルの誰もいないロビーでエッセイを読む。これぞ悦楽の時間だ。

 2日目はホテルから40分ほど西に走り、安来市の足立美術館を訪ねる。この美術館の庭園は、アメリカの日本庭園専門誌で14年間日本一と評価されているという。確かに植栽や築山の配置、色彩のコントラストなどが優れており、見とれてしまう。横山大観や平山郁夫といった画家の絵が展示されている。私は絵の素養がなく、いまひとつ楽しめないのが残念だ。妻は何枚かの絵に見入っていた。

 足立美術館を後にし、一行は更に西に走り、出雲市の出雲大社に参拝した。昔から音にきいていた出雲大社は確かに大きく、立派な神社であるが、言ってみればただそれだけのことであり、拍子抜けだった。われわれ夫婦の信心が足りないのであろう。

 大社前のレストランで出雲そばを食べた。そばの実を皮ごと石臼で挽くためそばの色は濃く黒く見え、香りが強くおいしい。昼食をとりバスに乗り込むと、向かうは島根県の西端、津和野である。2時間を超す長距離ドライブである。2日目の走行距離は大山から津和野まで350キロだと日程表に書いてある。

 ツァーバスがロングドライブになると、持参したラジオレコーダーを取り出し、ヘッドフォンで録音ファイルをきいた。ファイルの中にこれまできいたことがない、モーツァルトの交響曲へ長調 K76という曲があった。再生するとヴァイオリンとチェロによる、優美で軽快なメロディが流れ出した。山陰ののどかな風景を見ているせいもあろうが、たちまち心を鷲掴みされてしまった。3分半余りの短い曲を何度も繰り返し聴いた。モーツァルト幼少期の作品と思われるが、私には最高傑作と感じる。早速、ファイルを「お気に入り」ファイルに移動した。旅の途中ですばらしい音楽作品に出合い、録音ファイルまで整理できる。なんと凄い技術時代なのだろうか。

 2日目は小京都、津和野の散策で終わり、3日目は萩市に松下村塾を訪ね、美祢市の秋吉台・秋芳洞を経て広島の原爆ドームを見学した。4日目は広島の厳島神社、そして最後は倉敷の美観地区であった。実に盛沢山の旅程で、旅の楽しさを満喫できた。梅雨の時期にもかかわらず、4日間快晴というビッグプレゼントもありがたかった。

 今回のバスツアーで4日間案内してくれたのは大田由美子さんというバスガイドである。初日、添乗員の鎌田さんの後について、新大阪の改札口に近づくと満面の笑顔で待っている女性がいた。人垣の間にちらっと顔が見えたとき、感じのいい人だな、と思った。一行がバスに乗り込みシートベルトをして落ち着いた頃、大田さんがマイクを握った。
「みなさま、こんにちは!ようこそおいでくださいました」
大きな目に微笑を絶やさず、ゆっくりとした口調で、多少の大阪弁を交えて話す。

 姫路城が近づいてくると再びマイクを握った。城の歴史、城主の変遷、建物の構造、見どころなどを、詳しく分かりやすい言葉を選びながら説明してくれる。ゆっくりしたテンポで声がまたすばらしく、オペラのプリマドンナの歌を聴いている気分になった。姫路城の見学を終えて大山に向かっている時、
(このガイドさんの話は是非録音しておきたい)
と思い立ち、すかさずラジオレコーダーの録音ボタンを押した。

「本当に島根県って、松江に住んでいる島根県民は、津和野はあそこは島根県じゃないっていう位、とにかく横幅が広いんです」
ガイドさんの説明は快く、おしつけず、しかもツァー参加者が喜びそうな話題を上手に提供している。昨日今日のニュースをよく知っており、沿道の状況をつぶさに観察しており、時折アドリブを入れる。人柄がよく、長年の経験の蓄積があり、普段の準備と勉強を怠らないことがよくわかる。しかも美人ときている。まさにプロフェッショナルガイドである。

 結局4日間のツァーで11本、3時間20分の録音ファイルが残った。旅行から帰った後、写真を整理しながら録音をきいていると、再び旅行している気分になる。現地の位置関係が分からないときは旅行ガイドブックを開いてみるとよく理解でき、思い出が更にクリアに定着する。

 子供のころ、アーモンドグリコという大好きなキャラメルがあった。「一粒で二度おいしい」というキャッチコピーで、ミルクキャラメルとアーモンドの二つの味を楽しめた。ガイドさんの録音ファイルを残せたことで、山陰山陽ツァーを二度も三度もエンジョイできている。文字通り、一粒で二度おいしい旅行だった。

 てんこ盛りの内容に対して一人7万5千円と価格も非常にリーズナブルで、充実した楽しい時間を過ごすことができた。妻と、また秋になったら旅行にいこうと話している。
 ガイドさん、添乗員さん、運転手さん、ご苦労様、本当にありがとう。
                          (2017年6月)















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