「いい愛茶房」

あせらずいこうよ のんびりいこうよ 人生一度きり 楽しく過ごそうよ 明日は明日の風が吹くからさ

パソボ講座生の作品【1】

2005-10-23 16:07:48 | Weblog
パソコンボランティア講座が所属する市民センターでは、近く文化祭が開かれます。そこで、受講生の皆さんがポスターを作ってみました。作品の一部をご紹介いたします。作品は地域内の銀行や、スーパーに掲示されています。
1回目はSさんの力作です。



気分転換に江戸こばなしでも

2005-10-05 17:44:22 | Weblog
堅い本を読んでいると、どうも疲れます。気分転換に面白い本はないかな?と書棚を探すと、見つかりました。「古典落語~艶笑江戸こばなし~」
一話が、半ページから、せいぜい3頁程度。ちょい読みには適当な量です。読んでいて思わず噴出すものもあります。艶話ですから性に関するものが多いのですが、いやらしさは感じられません。江戸町民の「粋」さえ感じられます。ただ、万人の(いえいえ数人の)目に留まるかもしれないブログにその内容を書くのはちょっとね・・・
差障りのないのを一話だけ。
    「狸のお参り」
狸が十匹ばかり集まって、
「わたしらも一度大山参りをしましょうよ」
てんで、一列にならんで大山参りに出かけました。夕暮れになって、とある宿屋に立ち、
「まことに申し訳ありませんが十人いや十匹ばかりお泊め願えないでしょうか」
「とんでもございません、この忙しいのに。あんたたち○○だけでも一人十畳敷、百畳も使わなきゃいけません。他の客が迷惑します」
狸にっこり笑って、
「いいえ、わたしたちはみな女狸です」

落語奇談「大山参り」

「浮くっちゃボトル」

2005-10-03 16:23:02 | Weblog

市民センターには色々なパンフレットが置かれている。その中に「浮くっちゃボトル」というのがあった。
先月の「連絡調整会議」で、消防署の方が紹介していたものだ。
ペットボトルで作る応急用の救命代用具である。覚えておいて損はないだろう。
若松海上保安部ホームページに詳しい作り方が出ていますので、紹介しておきます。
若松海上保安部ホームページ
浮くっちゃボトルの作り方

年齢の節目

2005-09-20 17:29:19 | Weblog
 19日は『敬老の日』でした。地域でも年長者を招き、『年長者のおまつり』が開かれ、出演者、ボランティア支援者を含め、約300名が参加し、まつりを盛り上げました。
『敬老の日』の前日、総務省は(15日現在)の高齢者人口の推計値をまとめたものを発表しました。
それによると、65歳以上の高齢者は2,556万人で、前年比71万増、総人口の20.0%に達したとのこと。
長寿社会、大いに結構ですが、これを支える側の負担もますます大きくなります。
これらを含め、郵政民営化以外の諸問題にも国は確りとした施策を示して貰いたいものですね。
ところで、わが国では年齢の節目を祝う慣習があり、還暦とか古希とかの名称がありますが、いくつご存知でしょうか。
 私もちょっとあやふやなところがありましたので、調べてみました。備忘録として記載しておきます。

名称 年齢 由    来
還暦 60 干支は60年で生まれ年と同じ干支になるから
古稀 70 中国の杜甫の詩句「人生七十古来稀なり」から
喜寿 77 「喜」の字の草書体が「七十七」に読めるから
傘寿 80 「傘」の字を略すと「八十」と読めるから
半寿 81 「半」の字が「八」「十」「一」で成り立っているから
米寿 88 「米」の字を分解すると「八十八」になることから
卒寿 90 「卒」の字を略すと「卆」となり「九十」と読めるから
白寿 99 「百」から「一」を引くと「白」の字になるから
百寿 100 「百」という区切りのよさから(ももじゅ)と読む
茶寿 108 「茶」の字は「八十八」の上に「十」が二つあるから
珍寿 110 百十歳は珍しい長寿であるから
皇寿 111 「皇」の字を「白 (九十九)」「十」「一」が二つから成り足すと百十一になるから
大還暦 120 二度目の還暦から

少なくなった「山・川」

2005-09-15 07:54:29 | Weblog
大相撲秋場所が始まって5日目、きのうは直方出身の「魁皇」の休場などもあって興味半減だが、今朝、毎日新聞の4コマ漫画「アサッテ君」を見て、「アレッ!」と思った。
実は、きのう家族で全く同じ話をしていたのだった。
「近頃の力士の四股名(しこな)に、「山」や「川」が少なくなったね。とくに「川」は少ないよ。  女の子の名前に「子」が少なくなったように、時代かね・・・」・・と。
作者の「東海林さだお」さんも 同じおもいを抱かれたのだろう。
※「アサッテ君」の吹き出しから
テレビを見ながら・・「最近 川がめっきり減ったなぁ」
「そういえば山も減った」
「自然が めっきり減ったってこと?」 「いや」
「相撲のしこな」 「昔は男女ノ川とか、高見山」とか たくさんいたのになぁ」

アマチュア局の再免許申請

2005-08-24 15:46:14 | Weblog
友人のMさんから電話があった。Mさんもハム(アマチュア無線家)である。
近く無線局免許の有効期限(免許の日から起算して5年)がくるので、再免許申請をしたいが、「電波形式の表示方法が変わって、どうも判り難い」とのこと。
私も、(確かに判りにくくなったなと)と思っていた。しかし、有効期限が再来年なのでのんびりしていたが、これはいい機会だと、調べてみる事にした。
こんなときに便利なのが下のサイト。
TSS保証事業部     コールサインで一発検索
ここで、免許申請用紙のダウンロードや申請手順も調べることが出来る。Mさんの悩みの、判り難い新電波形式、また周波数帯ごとの一括表示コードも、周波数帯と旧電波形式を入力することによって検索できる。
A1,A3J,F3など、旧表示に慣れ親しんできた者には、少し取っ付き難いが、申請書を作成する場合に、使用電波形式を一括表示コードで記入すればよいので、手間が省けることがわかった。要は慣れの問題だ。
PS:この後、JH3YKV局から、情報を頂いた。
次のサイトから無線局免許情報検索、そしてコールサイン一発で当該局の免許情報が検索できますよ…とのこと。
これは便利です。有り難うございました。
Mさん、アクセスしてみては如何?
無線局免許情報検索   コールサインで一発検索

※ アマチュア局の「無線局免許状」の有効期間は5年です。引き続きアマチュア局を開設しようとするときは、免許の有効期限が切れる1ヵ月前までに、免許を受けている総合通信局(沖縄総合通信事務所を含む)へ直接、再免許申請書類が到着するように手続きをします。申請手数料は3,050円です。(電子申請も出来ますが、ちょっと面倒かな)
ついでに↓
都道府県・市区町村コード

さあ! きょうは「パソボ講座」だ

2005-08-22 14:24:52 | Weblog
盆期間の休みも終わって、今週から「いつもの日々」に戻った。
きょうは、「パソコンボランティア養成講座」A組の講習日。
休み期間が少し長かったので、「大丈夫かな?」と、少しばかりの不安を感じながら講習に臨んだが、杞憂に終わった。
皆さん、よく復習をされていて、次の課題に進むことができた。
ただ、「パソボ講座」では、将来、ボランティアとして活動していただくという前提条件があるため、実務につながるように、そして、且つ「楽しみながら」ということで・・・課題作成には苦労するところだ。
あすは、「ITサークル」の定例会。こちらの方は「講座」と異なり、サークル活動なので、また雰囲気も違ってくる。あれこれとメンバーの希望、要望も取り入れ、方向性をみんなで作り出していく。また、時には見学会や、小旅行も楽しむ。
メンバーの皆さん、いつまでも、元気で手をつないでいって欲しい。

60年前のこの日

2005-08-15 00:00:04 | Weblog
昭和20年8月15日、6年生の私は、台北市郊外の疎開先に居た。
近くに軍のアルコール製造所があった。
そこの兵隊さん(当時はそう呼んでいた)から、「今日、重大な放送(玉音放送といわれる)があるよ」と聞かされた。
しかし、疎開先のわが家ではラヂオは聴けない。電気がきていないのだ。

やがて、「戦争は終わったよ、日本は敗けたんだ・・・」と告げられた。
子供心にも、なんとも複雑な気持ち・・・
(街に帰られるんだ・・・もう爆弾や焼夷弾は降ってこないんだ・・・でも、どうなるの?)
ホッとした気持ちと、、不安が入り混じった・・・そんな気持ちだったと思う。

近くを流れる川の方向で銃声が聞こえる。  「何だろう?」

兵隊たちだった。川に向かって銃を撃っている。
魚を狙っているのか?  今にして思うと、どうにもやりきれない気持ちを発散していたのかもしれない。

見ていた私たちに若い将校が声をかけてきた。
「君たちも撃ってみるかい?」 今ならとんでもない話だ。

将校は、私にも拳銃を握らせてくれた。
「さあ しっかり持って・・・こうして引き金を引くんだよ」
大きな両手で支えてくれていた。
(パ~ン) ショック・・・初めての、そして最後の体験だった。

やがて、私たち家族も大空襲で痛めつけられた街に戻った。学友とも久々に再会した。

しかし、それは、この後しばらくは続く苦難の道の始まりでもあった。

機銃掃射

2005-08-08 11:54:58 | Weblog

T市への米軍の来襲も日増しに多くなった。ついに私たちは家を失い、疎開せざるを得なくなった。疎開先はT市の郊外、バスも通っていない山の中だ。最寄りの駅からは人力のトロッコだけ。周囲は現地の人ばかり。日本人は疎開した私たち数家族だ。
父の仕事の関係で、現地の人とはすぐに仲良くなれた。
近くに清らかな川が流れ、長閑な風景、私たちはしばしの安らぎを得ることが出来た。
しかし、その安らぎの日も長くは続かなかった。
ある日のことだった。小学生の私は、共に疎開した仲間数人とトロッコに乗って山を下っていた。
と、一人が叫んだ。「ア 飛行機だ!」
市内に居る時恐怖だった「双胴の悪魔」と呼ばれた米軍機ロッキードP38だ。
高度を下げて後ろから近付いてくる。
田舎では空襲警報のサイレンは聞こえない。
ダダダ と、機銃の音、トロッコは走っている。
「ワーッ…」 周囲の状況を考える間は無い。
私たちはとっさに両側に飛び降りた。
数人は横を流れる川の中、また数人は藪の中に。
米軍機は飛び去った。
子供であろうと、無抵抗な一般人であろうと、動いているものは無差別に機銃掃射してくる。ヤツ等は狩でもしている気分なのだろうか。
軽い切り傷やかすり傷、打ち傷は負ったが、全員、命に別状がなかったのは幸いだった。
あとから見ると、先のカーブでひっくり返っているトロッコの真ん中には貫通した弾丸の痕が残っていた。
昭和20年、初夏のことである。

水に浸かった防空壕

2005-08-05 13:37:12 | Weblog
昭和20年、当時住んでいたT市でも、頻繁に空襲警報が発令され、ロッキードP38や、重爆撃機B29が飛来するようになった。
ある日、近所の子供たちと遊んでいる最中に警戒警報。子供たちはそれぞれの家族と共に防空壕に避難した。
ところが、わが家の壕は前日の雨で水浸し。やむなく自宅のレンガで囲まれた風呂場に家族で身を寄せた。
空襲警報に変わり、B29の爆音。続いてヒュルヒュルヒュルという悪魔のような音が頭上から降ってくる。ド~ン!! ド~ン!! 爆発音、地が動き、建物が大きく揺れる。近い。『このまま死ぬ!』・・・・・子供心にそう感じた。
どれほどの時間が経過したのだろうか。恐怖の時間はとても長く感じられた。
やがて警報が解除された。静かだ、異常に静かだ。
外に出た。周囲の光景は変わっていた。A君のお父さんが肩から血を流し、それでも家族を抱えるようにして蹲っていた。
わが家の防空壕は、ほぼ直撃の状態。もし水が溜まっていなかったら・・・
今、この世に存在していなかっただろう。これは生と死を分ける神の業だろうか。