あまりに字ばかり続くと、目が疲れるので、最も初期の頃病院で描いた百合の絵を
目休めに見て下さい。不思議なことに絵が描けたのでした。
薬害スモンとはなにか
さて薬害スモンとはいったいどの様な病気かという事を説明しましょう。
1955年頃から日本全国各地で今まで誰も経験した事のない病気が現れ始めました。あるひ突然猛烈な腹痛に襲われて、やがて足の先からしびれていくのです。しびれは鋭い痛みや、ひどい冷えの感じー冷感と言いますが、それをともないながら足から腹へ、胸へとあがってくるのです。
人によっては視神経をおかされて目が見えなくなってしまう人もいました。重度の場合は全身麻痺に、失明という場合、またそのまま死亡してしまう場合もあったのです。この病気の患者は病名も原因もわからなくてしだいに増えていくようになりました。
1965年頃にこの病気は亜急性脊髄視神経末梢神経症と名付けられました。
英語では Subacute Myelo-Optico Neuropathy と表され、その頭文字をとってのちにSMONとよばれるようになりました。
原因究明はなかなか進みませんでした。はじめは同じ地域でたくさんの人々がsmonになったので感染症が疑われたのです、または同じ水を飲んでいる為ではないかとして地域の水道や、井戸水なども疑われました。
1970年初めにスモンの原因はウイルスであると言う事が突然新聞で断定的に報道されました。このことは全国のスモン患者に深刻な影響を与えました。ウイルスだといわれたことで村八分にされた人、家族にもこわがられて一室に閉じこめられた人もいました。病院でもかくりされたりして、その苦しみから自殺する人もたくさん出ました。
スモンウイルス説がもし本当だったなら隔離もしかたがなかったでしょう、けれども実際にはこれを主張した唯一人の学者のみがウイルスの分離ができたと発表しただけで、だれが追試しても発見出来ない間違った結論でした。で、このウイルス説はその後学会で完全に虚構であるということが証明され、ピリオドを打たれました。
また一方私を始め、多くのスモン患者の尿や便,それから舌にはえている苔が緑色を帯びているのを不思議に思った研究者が、その緑色の物質を分析しました。それは患者に投与され続けてきた薬「キノホルムと鉄のキレート結合」と言ってましたけども、要するにキノホルムの変化したものであるいうことがわかったのです。
このことから疫学調査を行ってキノホルムの使用量とスモンの発生率には明らかな相関関係があったということがわかったんですね。それですぐに厚生省に報告され、1970年8月にはスモンの原因はキノホルムであるということが発表されました。
この年の九月にはキノホルム剤の販売中止がすぐに決定されたわけです。これによって新しいスモン患者の発生はほぼゼロとなって動物実験でも犬にスモンと同じ病変が現れて、ここにやっとスモンは薬害であるということが判明したわけです。
キノホルムというのは販売されていた名前はにはエンテロビオフォルムとか、エマフォルム、などという名前です。それを売っていたのは日本の大企業です。大きな製薬会社、武田薬品、田辺製薬、日本チバガイギーなどの会社でした。
そのほかにも、富山の置き薬「あかだま」とか、複合ワカ末など、身近な売薬にもキノホルムが入っていた事がわかったのです。
このスモン病は日本中に二万人から三万人ともいわれる多くの患者がいたのです。そして結局このひどい病気の原因が厚生省が認可した薬による薬害だったという恐ろしい結論になったわけです。
また感染症と間違えられたもとになった地域的な大量発病の原因は、後になってわかったのですが、例えば非常に多くの患者が出た埼玉県の戸田市というところがあります。
戸田病と言われていました。これは戸田市が東京オリンピックのボートコースになったんですね、そのために市内に病人を出してはいけないという保健所の配慮ですべての家庭に下痢止めとしてキノホルムが配られて予防的にたくさんの量を飲むようにと言われたことが原因だったのです。
そのほかには岡山県の山奥井原市でまたたくさんの人が発症したんですね。それは植樹祭とか言って皇族とか政治家が森の木を見に来ることが非常に多かった。
そのために、戸田市と同じように保健所や役場から薬が配られて予防薬として飲むようにといわれていたという事実が判明したわけです。
行政側が下痢を予防しようとして配った薬によって市民が重い病気になるという皮肉というよりもあまりに残酷な結果を招いてしまったわけですね。このようにスモンの原因が疫学的に高い確度で判明したいうことで薬の販売中止によって新しい患者が全く発生しなくなったということから感染説も完全に否定されました。