千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

きままなオイしゃんの独り言に
つきおうてつかぁさい。

福岡(黒田)藩考

2017-12-14 16:03:26 | 歴史・いにしえの大昔しの事
前回の続きです。

そのころ福岡博多「福岡(黒田)藩」はどげんやったっちゃろう?

関ヶ原の功績によって黒田長政が筑前ば与えられて福岡ができたとは
皆さんご存知ですね。
その前は官兵衛が豊前領主やったとが筑前にやってきました。
長政に家督ば譲った官兵衛は太宰府で余生ば過ごしたゲナです。

ばってんが、福岡ができたとはたかだか、ここ300年
博多はそれより大昔から栄えた商業都市です。
山笠行事で町人の結束の固うて新参の領主も扱いには気ばつかうたらしい。
始め前任者の小早川秀秋の名島城に入城したばってんがその地は博多の東はずれ
海に囲まれ立地条件も良うなかったけん
福崎の地に7年かけて城ば築城します。
その天守閣があったか否か?は未だ解明されとらんとです。
別名「舞鶴城」て言うて今もこの地に「舞鶴」て言う地名が残っとります。

長政は藩政に博多の町民ば取り込んで治めました。
途絶えとった松囃子(今のどんたく)も復活させ
焼失しとった東長寺も今の場所に建立しとります。
官兵衛に負けず劣らぬ文武に奏でた名君やったごたります。

当時の黒田家臣団は6~7000人ほどやったらしい。
主に備(そなえ)・組(くみ)ていう戦闘集団と
「役方(やくかた)」て呼ばれる行政官としての役職にわけられとったげな。
家老には黒田官兵衛の一の家来「栗山善助」の子「栗山大膳」がおりました。

島原の乱以後、外国船が入って来んごと長崎警護で参勤交代ば免除されたげな。
佐賀鍋島藩とは仲の良かったごたります。

黒田藩では馬廻組まで屋敷住まいやったげな。やっぱ規模の大きな藩やったとですね。

お江戸のごとお城が出来て町がでけあがったとと違い
博多は大昔から博多の町が存在したけん武士の町福岡と町人の町博多は
那珂川ば挟んで向こうとこっちにわかれとります。
福岡部が武家屋敷と下士の住む長屋です。

長政には三人の子供がおりまして
忠之は世継ぎ、弟の長興に筑前秋月藩5万石、高政に筑前直方藩4万石が与えられたけん
福岡藩(黒田藩)52万石て言うたっちゃ実質43万石であります。

長男忠之は長政の側室の子やばってんが長政はこの側室ば嫌うとって
遠く橋本(七隈線の終点)に住まわせ忠之も橋本で生れ育ちました。
長政はこの忠之に後ば継がせとう無かったばってんが後ろ盾の「栗山大膳」の
後押しで忠之は2代藩主になりますと。

ところが忠之は説教がましい大膳ば疎ましゅう思いここから黒田騒動の起こります。
お家取りつぶしの沙汰ほどの騒動やったばってん・・・

その昔、長政が信長の人質やった時、官兵衛が荒木村重に寝返ったて疑われ
長政の首ば跳ねよて信長が命令したばってんが長政は竹中半兵衛にかくまわれて生き残ります。
官兵衛が栗山善助らの手により有岡城から救い出された時、信長は
長政ば殺せて言うたとば涙流して官兵衛に謝ったげなです。

そげな縁もあり、官兵衛は半兵衛の子竹中重門の烏帽子親ば務めとります。
その重門の口利きで黒田家は領地取り上げやったばってん
その日のうちに再度52万石ば拝領、おとがめなしやったげな。

これはお上のお話・・・・

なら博多町人はどげんしよったとでしょう?

お上から博多の行事一切ば任された年行司(その前は月行事て言いよった)て言う人がおって
藩から博多の一切の差配ば任されとりました。
税金と別にジョウギリ銭て言うて博多の祭りごとの積立金ば納めよったとです。
博多はその頃はすでに「流」て言う町組で組織されとって
その長が「町年寄」です。
その配下で山笠行事やらの一切合財がとり仕切られますと。

年よりて言うたら今のおいしゃんんのごと
使いもんにならん人たちておもいますばってんが重要な仕事しよったとですね。

暮れも近いこの頃・・こげなと書きよったら足のがつった・・・

どげんかならんもんかいな


>あ痛たたや誰か助けてくれんやろうか・・
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久々歴史考・・江戸幕府って?

2017-12-14 14:42:54 | 歴史・いにしえの大昔しの事
ここんとこ読書の秋から引き続きまだまだお江戸小説読んでます。
江戸時代の古い言葉やら道具用具やら調べながら読むとも
楽しみの一つです。

例えば「チョキ船」やら「冷飯草履」なんかわからんでっしょう?

小説では幕府の役職がいっぱい出てきてなんやわけのわからん。
老中、家老、大目付、目付・・・
時代劇で言葉は聞くばってん深い内容はしらなんだ。
だんだん幕府の仕組み判ってきた。
幕府では一番偉か人が老中(何人かおります)でその下に
いろいろな役職、大目付、大番頭、町奉行、勘定奉行、城代、遠国奉行が
おります。
奉行でも「寺社奉行」は老中の配下やのうて「町奉行」より格上です。

そいけん神社や寺の敷地内での殺しやら賭場の事件に
町奉行は立ち入ることのでけんとです。
賭場の頭から寺社奉行に賄賂やらでうやむやにされて
町奉行は地団太踏んで悔しがるとですね。

この町奉行の配下におる同心の手下が「銭形平次」のごたあ親分
目明し、御用聞きても言います。
給金はでらんばってんが地域の治安ば守るけん縄張りの中の
大店からの付け届けで暮らしよります。
やくざの親分やったり、奥さんに商売させながら御用ばしよった
親分もおったらしかです。

大名でも将軍家直属の家臣(直臣)が旗本(はたもと)
将軍様にじかに謁見でける大名です。
黒田家はこのくちですね。

面白かとは家康の男系子孫は幕府の要職(いわば公務員)につけんかったらしい。
将軍家の転覆ばはかったらいかんて言う理由やそうです。

今読みよる小説に出てくる岡っ引きの宗吉親分は
町奉行の配下でありながら家康の幕府開闢いらいの目明しで
先祖が幕府の金座破りば召し取ったて言う手柄で
将軍家光直々に金流しの十手ば授かり将軍謁見もでける
特別な目明しなんですね。

「家光公から金流しの十手を拝借した金座裏の宗吉親分たぁ俺のことだ」

商人も幕府開闢以来の商人たちは「小町町人」て言うて
正月には特別にお城にあがって将軍様に謁見が許されたげなです。

松囃子が黒田のお殿様の場内に入ってお祝いしよったとと
一緒ですね。

江戸幕府には二つの奉行所、南町奉行所、北町奉行所のあって
月交代でお江戸八百八町の治安ば管理しよったとばってん
町奉行の数は少なかけんそれぞれ手下に同心やらその下に岡っ引き、下っぴきば配置して
江戸の治安ば守りよりました。



今の警察署みたいなとが「番屋」て言われ取り調べが行われます。
博多ではこの番屋は「会所」て言われ福岡と博多に二か所おかれました。

その博多部の会所があったところが今の古ノ一であります。

古ノ一へようこそ・・につながってきたでっしょうが、ぷぷぷ

次回はその辺のお話ば・・・・
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博多は麺文化・・な~る!

2017-12-14 00:37:57 | 博多今昔
今日のお昼の備忘録・・・・・
昨日の中華丼の残りで「チャうどん」お店によって色々
商品名はちがいますばってんが要はチャンポンの麺に
うどん玉使うた奴です。


これはね、おいしゃんあんまり奇をてらった料理はあんまり
好きや無かとばってん、八文字組のヨッシーに進められて食べたら
ハマってしもうたとです。
長崎チャンポンと博多うろんのコラボレーションです。
チャンポン麺より温もります・・なんでうどん麺って温まるとでしょう?

博多はうろんとラーメンの文化が競い合っとります。
夏でもラーメンは美味かばってんがたぃ冬場はやっぱうろんですね。
博多のうろんは鎌倉時代からの歴史のありますとよ。

博多はうろん発祥の地!どこかのうどん県のごと宣伝せんでちゃ
普通に食べよります。博多のうろんに腰は要らんです。
すめで食べますけん。入れ歯でも食えますばってん最近の博多うろん
ちょこっと腰のある方がこのまれますね。
美やけうどんさんは太麺柔麺の博多うろんの王道です。

博多は名物の一杯あるけん今更うろんば宣伝せんでもよございますと。
博多商人は週4日はお昼はうろんで過ごしよったほどです。
お江戸の場合はこれが「蕎麦」ですね。

チャンポン・・何でもかんでも混ぜこぜにするとばチャンポンて言いますね。
長崎が本場ばってん九州各地で食べられとります。

ところがこれが本州に入ったら全然別物になって出て来ます。
山口で食べたらラーメンの細麺で餡かけですやん。
大阪で食べてもおんなしような餡かけやった。

チャンポンはやっぱり「チャンポン麺」につきます。
あの麺やなからなチャンポンやあらしません。

長崎チャンポン
その製法の基本は鶏ガラスープです(博多では豚骨使うとこもありこれも美味い)
具は海鮮が主で蒲鉾、浅利、海老、イカ、それに野菜・・・
何でか豚肉ははずせません。
具材炒めた後、鶏ガラスープに九州独特の薄口醤油で味付けします。
具材の出汁と薄口の塩みにちょこっと砂糖入れたら究極の味です。
麺も具と一緒に炊きこんで麺が膨らんで来たら出来上がり。
チャンポンは煮込み料理であります。
煮込んで良かごと・・チャンポン麺でありますと。

その麺ば炒めて水分飛ばしてチャンポンスープで煮込んだとが
博多皿うどん、これもいけますったぃ・・

本当はねこの頃、時代小説読みよるけん今日は江戸時代の博多のこと
書こうかて思いよったばってんが・・

麺でページ割いてしまいましたヤネ。
周ちゃんからおいしゃんの文章は長すぎるていわれたけん
お江戸の博多は次回にコンテニューです・・・

いつか調べもんして博多のお江戸時代の小説書くとがおいしゃんの夢ですばってん
まだまだ生活に追われよりますったぃ

記念誌は間もなくです・・
コメント (3)
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