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「食べるものこと」について街角から感じたこと その2

2017-09-18 00:02:01 | 考える

一昨日、母と買い物に行き、昼に飲食店に入りました。

ずいぶん前から、母の好きそうなランチメニューがあったので、一度一緒に行きたいと思っていました。

店舗に入ると、少し雰囲気が変わっているように感じました。内装、メニューはそのままだったのですが、注文方法は、自分でタブレットを操作するようになっていました。

雰囲気が変わったのは、威勢の良い声が、聞こえなくなったこと、明らかに接客の人が少なくなったからのようでした。

タブレットの画面の中、サービスのところには、お茶もありましたが、タイミングよく、声をかけてもらいおかわりを頂き、気持ちよく食事を終えることができました。

人件費と採用コスト(さらには「注文まちがい」など、人的ミスによる損失まで含まれているかもしれません)と、タブレットによる注文システムの導入・ランニングコストを秤にかけた結果、ということだと思いますが、明らかにサービス品質は向上しているように感じました。

その時、一度のことですが…

さて、

6次産業化に関わるようになって、15年ほどになります。当時は、農山漁村の起業活動と言われていました。

最初に、「手間をかけて」「手作り」が、美化されていることに違和感を覚えました。

これは農業分野に留まらず、「食ビジネス」の各段階で、そして、他の業界でも、比較的小さな組織を支援するときに感じることです。

もちろん、それは、差別化になり、消費者に向けたアピールになります。

けれども、その言葉が、結果として、自ら捨てられないこだわりを抱えてしまったり、採算度外視に繋がってしまっては、事業の継続性が危ぶまれます。

そして、必要なところに必要な器具や機械を導入しないと、不完全行動をとってしまい、思わぬ事故にもなりかねません。

先日、テレビを見ていたら、農作物を加工する施設が映っていました。瓶詰加工のため、鍋で瓶を煮て消毒していました。鍋に丁度入るような取っ手のついたざるを使い、瓶を引き上げているところが映りました。

なぜ、その方法を採用したのか、その経緯が分からないものが否定することはできませんが、底が丸い大きな鍋をみて、別の方法があるのにと思わずにはいられませんでした。

先の飲食店のタブレット導入にあたっては、コストの問題だけでなく、「仕事の仕組みをどのようにすると合理的か」ということが前提に考えられていると思います。

IoTや、AIなど新聞紙上をにぎわしていますが、他山の石ではなく、合理的な仕事をするために、楽に仕事をするために、危険な仕事をしないために、商品・サービスの完成度を上げるために、どんな技術や方法を導入するのが良いか、事業規模や組織の能力に合わせて組み立てていく必要があると思います。

ただ、前回危惧した「食ビジネス」に関する動きによって、一時の増産に対応した施設をあわてて整備したり、「こうしたらいいよ」のアドバイスをうのみにして器具や機械を導入したりすることは、避けなければなりません。

「売上」ではなく、「利益」を考えて…

組める相手なのか、戦える市場なのか考えて…

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写真は、5月に狭山市を歩いているときに通りかかった古い井戸です。飲料水を確保することが難しい武蔵野台地では、たてぼり井戸を掘る技術が発達する近世まで、漏斗状に掘り下げて井戸を作っていたそうです。この井戸は七曲井といって、平安時代中ごろに掘られ江戸時代まで使われていたそうです。現在の飲料水の仕組みを考えれば、ずいぶん変化してきました。目的のために、どのような技術を使うのか、豊かな時代、知恵を合わせれば、合理的な進め方ができるはずです。


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