804年、弘法大師空海は、藤原葛野麻呂を
大使とする第17回目の遣唐使団に加わり
仏教を学ぶために長安(現・西安)に渡り
ました。
都についた弘法大師空海は、各寺を回って
名僧を尋ねたのです。
そして長安の名刹だった青竜寺の恵果阿闍梨を
師として学ぶことになりました。
しかし師はすでに病弱で恵果阿闍梨は・・・、
「私は、あなたの到来を前から知って待っていた。
早く灌頂壇に入り真言密教の教えを . . . 本文を読む
中国・西安に滞在中に中華料理の精進を頂きました。
こちらのお店のオーナーさんは、臨済宗の天龍寺派宝厳院の
ご住職だとか・・・。
日本の精進料理の技法を取り入れた中国素食、つまり精進の
名店なのです。
イカの炒め物はこんにゃくで、魚の唐揚げにみえるのも
パパイヤ、ミートボールも大豆でできています。
豚の角煮に見えるものも竹の子だったり・・・。
一番不思議だったのは、ソーセージサラミの炒め物。 . . . 本文を読む
7年ぶりの中国・西安は、驚くほどに変わっていました。
昔は城壁の外には何もなかったのですが、城外には
環状線道路ができて、高いマンションが建ち並びます。
市内でも建築ラッシュで霧とホコリと黄砂で建物が
ぼんやりとしています。安全の為か電飾を飾り付ける
ので、夜などはとても落ち着きのないカラフルな町に
なります。
大雁塔(だいがんとう)の東西南北は、ケンタッキーや
新しい商業施設が作られて、昔の . . . 本文を読む
和尚の寺の前に完成した高速道路が開通前に
地域の方々にご披露されました。
なにしろ車が通るところですから、歩くことは、
かなりのパワーがいります。何と言っても勾配が
10%ですから・・・・馬力がたりません~~
高僧道路に入りる入り口からお寺がどのように
みえるのか、気になって写真だけ取りにいきました。
この道路は、かなり前からの計画道路だったので
関係者の皆さんにとっては、いろいろと大変だっ . . . 本文を読む
ちょっと西安をお休みしてジョン・レノンの話。
昨日は彼の命日でしたね。
1980年12月8日、アメリカ・ニューヨークの自宅前で
凶弾に倒れたジョン・レノン。享年40歳。
孤独な少年時代から始まり衝撃的なビートルズ時代。
あまりにも人形化してしまった自分との葛藤・・・。
ヨーコとの出会いから「イマジン」の世界を中心に
したソロ活動から反戦・平和運動へ・・・。
アメリカ政府に危険人物として追放さ . . . 本文を読む
青竜寺は西安市内から3キロほど離れた高台にあります。
その昔には、寺院は隆盛を極め寺の経済力が大きくなった
ために、武宗皇帝は仏教寺院を壊し、僧侶を強制的に還俗
させたのです。
青竜寺もその影響を受けて、後に跡形もなく壊され、
その所在もわからなくなってしまいました。
1960年ごろから、中国の考古研究所西安唐城発掘隊が、
青竜寺の遺跡を調査して、地下に埋もれた遺跡が発見され
たのです。
. . . 本文を読む
今回の西安訪問は、7年前にお檀家さんとともに西安の
青竜寺というお寺に参拝をしました。
この青竜寺というお寺は、弘法大師が真言密教の教えを
恵果和尚(けいかかしょう)から授かった伝法の場所です。
参拝記念として植樹をしましたが、あいにくその後の管理が
悪くて枯れてしまったのです。
諸行無常とはいえ、参拝した皆さまの思いを考えると、
記念碑的なものが建てれればと思い、青竜寺の寛旭住持と
お話し . . . 本文を読む
中国の西安(せいあん)へ行ってきました。
西安は東西を結ぶシルクロードの玄関口でも
あり、唐の時代に「長安」という都でした。
その当時には、数々の文化や仏教の教えが栄えて
いる時代で、その国際情勢や大陸文化を学ぶために、
日本から唐へ派遣された公式な使節団が遣唐使でした。
1回数隻に分乗し600人ほどの人が、荒波の海を
渡り、その後2ヶ月近く陸路を歩いて長安に入る、
まさに命がけの旅だったので . . . 本文を読む
東京都調布市仙川町にナビにも出てこない道が
ありました。キレイな道で両側にはスケルトンの
特徴的な建物が建っています。
どれも新しく不思議に思って車を止めてみました。
そして、そこにあった東京アートミュージアムに
入ってみると、このプロジェクトの背景に一人の
女性の並々ならぬ熱意があることがわかりました。
その人は伊藤容子さん。彼女の敷地に東京都が
計画した道路が、敷地を容赦なく縦断すること . . . 本文を読む
すべてが「求めない」で始まる詩約100篇を収録した
詩人・アメリカ文学者の加島祥造氏の本。
確かに、人はみんな欲張りだ。
それも自分のために・・・。
「愛」なんていう言葉も、自分の寂しさを
相手に「求める」ために使われることが多い。
「無償の愛」などともいうけれど、親のエゴを
価値観を無意識に子供に押しつけてはいないのか?
それを、「頭」ではなくて「体」で気づいたとき、
人は「求めること」 . . . 本文を読む