檀家さんが怒ってお寺にきました。
法事のための仏さまに差し上げる、お供物を買いに
果物屋さんにいったそうです。
すると、お店の方が、「仏前に供えるための果物は
ない・・・」と、言われたそうです。
理由を聞くと、お店に並んでいるものは、すべて高級な
果物で、「法事に使うような果物は当店では扱わない」と
言われたそうです。
その昔に法事で本堂にあがっていたお供物は、普段以上に
心がこもっていたように思います。
高級かどうかは別にして、目的が供物といえば、施主も売り手も
必要以上に気を配っていたように思うのです。
「物」を「供える」から「供物」。。。
「養ったもの」を供えるから「供養」。。。
何を「養う」のかと言えば、それは「自分の心」です。
お供物という、そんな小さな一つが、仏徳を積んでいく
のだと思います。
法事のための仏さまに差し上げる、お供物を買いに
果物屋さんにいったそうです。
すると、お店の方が、「仏前に供えるための果物は
ない・・・」と、言われたそうです。
理由を聞くと、お店に並んでいるものは、すべて高級な
果物で、「法事に使うような果物は当店では扱わない」と
言われたそうです。
その昔に法事で本堂にあがっていたお供物は、普段以上に
心がこもっていたように思います。
高級かどうかは別にして、目的が供物といえば、施主も売り手も
必要以上に気を配っていたように思うのです。
「物」を「供える」から「供物」。。。
「養ったもの」を供えるから「供養」。。。
何を「養う」のかと言えば、それは「自分の心」です。
お供物という、そんな小さな一つが、仏徳を積んでいく
のだと思います。