江戸東京博物館で寺子屋の企画展が開催中だ。
題して「江戸の学びー教育爆発の時代ー展」で、
結構楽しめる(3月26日まで)
江戸時代には寺子屋と呼ばれる学校が広く普及していた。
その数ローソンとファミリーマートを合わせた数くらい
というから15000くらい、大小のすべてを合わせれば
この何十倍の寺子屋があったみたいだ。
お寺の一角などで行っていた読み書きの教育現場を
さして寺子屋といわれているが、「手習所」「筆道稽古」
「手跡指南」などと呼ばれていて、文献上は「寺子屋」
という言葉ないそうだ。
お寺の師弟教育から始まった呼び方らしく、
和尚の寺も智観さんという尼僧さんが寺子屋を開いて
いた。その当時の寺子屋は、個別授業で一人一人に
合わせた教科書があったみたいだ。
写真の屏風のところに立って湯飲みと線香を持っている
のは罰だったらしい。厳しくもおおらかで、しかも与え
られた学びではなく、自らが欲して学ぶ場所であったらしい。
題して「江戸の学びー教育爆発の時代ー展」で、
結構楽しめる(3月26日まで)
江戸時代には寺子屋と呼ばれる学校が広く普及していた。
その数ローソンとファミリーマートを合わせた数くらい
というから15000くらい、大小のすべてを合わせれば
この何十倍の寺子屋があったみたいだ。
お寺の一角などで行っていた読み書きの教育現場を
さして寺子屋といわれているが、「手習所」「筆道稽古」
「手跡指南」などと呼ばれていて、文献上は「寺子屋」
という言葉ないそうだ。
お寺の師弟教育から始まった呼び方らしく、
和尚の寺も智観さんという尼僧さんが寺子屋を開いて
いた。その当時の寺子屋は、個別授業で一人一人に
合わせた教科書があったみたいだ。
写真の屏風のところに立って湯飲みと線香を持っている
のは罰だったらしい。厳しくもおおらかで、しかも与え
られた学びではなく、自らが欲して学ぶ場所であったらしい。
世界に類を見ないほどの高い水準だったと聞きます。
これは自ら「学びたい」と欲することがなければ
絶対に無理なことですよね。
ビックリしたという記録もあるとか。
「火札」の放火の脅迫文も達筆だし、読めないと
何の意味もないですよね~。
自ら学ぶ。教育のあり方を考えていただければと思います。