あしたは「施餓鬼」という行事です。
読んで字のごとく「ガキに施しをする」法要です。
餓鬼とは、心があさましく見るからにゾッとする
恐ろしい形相をしています。
お寺では、大勢のお檀家さんが来られるので早朝から
準備も大変で、お弁当も用意します。
法要が始まるまで、和尚の法話や桜小路富士丸さんの
「似顔絵パフォーマンス」があります。
もともとお寺は、演芸を楽しむ場所でもあったので、
大いに笑って頂くのも健康に良いこと・・・。
そんなわけで、暑そうなので、うちわを作りました。
「せがき」が日本に伝えられたのは弘法大師が中国から
不空が翻訳した『施諸餓鬼飲食儀軌』などの関連経軌を
請来したのが始まりです。
誰からも供養もされずにいる餓鬼たちに、たくさんの
供物飲食と、大勢の僧侶が唱える真言念誦の加持力と、
お檀家さんが唱えるお経の力によって、餓鬼が救われる
のです。
餓鬼に施したことによって、我々に「功徳」が頂けます。
しかし、その「功徳」を自分で受けずに、向こうにおられる
それぞれのご先祖様に廻らし、冥福を祈るのです。
つまり「廻向」するわけです。
「施餓鬼」では、目に見えに餓鬼もさることながら、
自分自身の心底にひそむ「餓鬼性」を振り返ることも
大切なことなのかもしれません。
読んで字のごとく「ガキに施しをする」法要です。
餓鬼とは、心があさましく見るからにゾッとする
恐ろしい形相をしています。
お寺では、大勢のお檀家さんが来られるので早朝から
準備も大変で、お弁当も用意します。
法要が始まるまで、和尚の法話や桜小路富士丸さんの
「似顔絵パフォーマンス」があります。
もともとお寺は、演芸を楽しむ場所でもあったので、
大いに笑って頂くのも健康に良いこと・・・。
そんなわけで、暑そうなので、うちわを作りました。
「せがき」が日本に伝えられたのは弘法大師が中国から
不空が翻訳した『施諸餓鬼飲食儀軌』などの関連経軌を
請来したのが始まりです。
誰からも供養もされずにいる餓鬼たちに、たくさんの
供物飲食と、大勢の僧侶が唱える真言念誦の加持力と、
お檀家さんが唱えるお経の力によって、餓鬼が救われる
のです。
餓鬼に施したことによって、我々に「功徳」が頂けます。
しかし、その「功徳」を自分で受けずに、向こうにおられる
それぞれのご先祖様に廻らし、冥福を祈るのです。
つまり「廻向」するわけです。
「施餓鬼」では、目に見えに餓鬼もさることながら、
自分自身の心底にひそむ「餓鬼性」を振り返ることも
大切なことなのかもしれません。
お赤飯と煮物のお弁当は今年も美味しく頂きました。
今年の芸人さんの歌って踊る似顔絵は大変楽しめました。
以前は紙切りや声帯模写等ありましたが紙切り以上に
良かったと思います。
もっともご当人は初めてのお寺出演だとかで
最初はちいーっとやり難そうでしたがだんだんなれて
いつものペースに持って行ったのは流石でした。
ですから、品よく演じてもらわなければいけないし、
「笑わしていくら」の世界ですから、自分の我欲が
でてしまうと、演芸場と同じになってしまう・・・。
衣装も通常の洋服にしてもらうと派手なので
普段着でも良いかなと思うのですが、お坊さんが
衣をつけていないのと同じ感覚みたいです。