KONASUKEの部屋

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生物のこと、笠間のこと、時々政治

民話の世界展④天狗たち

2018年02月25日 | 笠間
岩切天神天狗。
天井からの光。
この生き生きとした迫力はどうだ。

烏天狗。
元々は、こっちの方が天狗の本来の姿らしい。

これも烏天狗。

鋭い爪が、人外の者であることを物語る。

「天狗のかくれみの」

大日山の天狗の話(笠間市)

昔、上加賀田の仲谷津あたりに、こしん坊という息子と年老いた母が住んでいました。
母親は口ぐせのように「尾張国津島の祇園祭を一度見てみてえ。」と言っていました。

ある日、こしん坊が、
「おっかあ おらが津島につれて行ってやっぺ。」
と言いました。
驚く母親に
「いや、おらの言うこと聞けば行ける。
人には言わねえでこっそり行くべ。」
と言いました。
そして祇園祭の前日、こしん坊は
「おっかあ、目かくしをしておらにおんぶされや、だども途中で目かくしをとってはなんねえぞ。」
と言いました。

そして、何時が過ぎ、こしん坊に言われて目かくしをとるとそこは祇園祭のお飾りが町中に飾ってある津島でした。
楽しいひとときが過ぎ、祭が終わった夜、同じようにおんぶされて帰りました。
帰ると、こしん坊は
「おっかさん、おら、よくよく疲れたから明日は一日休ませてもらうぞ。
部屋は開けないでいてもらいてえ。」
と部屋に入ってしまいました。

夕方になっても起きてこないこしん坊を心配して母親はそっとふすまをあけてみました。
すると息子の姿はなく、大きな天狗がいびきをかいているではありませんか。
母親は気付かないふりをしましたが、二、三日すると
「おっかさん、姿を見られたからには一緒には暮らせねえ。
でも食べ物は心配すんな、大日山に来れば筍が出っからな。」
と言い残し去っていきました。

親孝行のこしん坊は大日山の天狗様だったということです。

寅吉と愛宕山の天狗(笠間市/小田喜商店蔵)

むかし、愛宕山が岩間山といわれていたころのことです。
そのころ愛宕山は筑波山、加波山と並んで天狗のすみかであり、一つの修験道場でした。

岩間山には数えることができないほどの大木が天を覆うように茂っていたので、いつも暗く、キツネ、タヌキ、ムジナ、イノシシなどの獣が山中をさまよい、闇の中では、ムササビやコウモリが奇声をあげて飛び回っていました。

そして、はじめは岩間山に五人の天狗が住んでいましたが、だんだんふえて十二天狗になり、その後、格打村の長楽寺から一天狗が加わって十三天狗になりました。
これは天狗童子寅吉が平田篤胤に語った話です。

寅吉が、ある日五条天神で遊んでいました。
すると五十歳ぐらいの薬売りが現われ寅吉はつぼの中に誘われ、気がついてみると南大丈(難台山)という山でした。
しばらくしてまたその薬売りに逢い、背中に背負われて飛んで行ったのが愛宕山でした。
ここで寅吉は天狗の行(断食、水火の行など)を教えられました。

この寅吉に天狗の行を教えたのは、愛宕山の天狗の首領の杉山僧正で、髪を腰までたらし緋のころもをまとい、身長は二メートルもあり、大小の剣を持ち年齢は三千歳でありました。

そのほか、火の神太郎坊、了知坊、長楽寺から加わった滝本坊などの正天狗がおり、それぞれ羽うちわを持って雲に乗り、大空を矢よりも早く飛行していました。
天狗には一人あて五人ほどの手下がおりました。

さらに篤胤は、次のようなことも寅吉に聞いています。

「天狗の羽うちわの使いみちは?」
「羽は十一枚、空を飛ぶときはもとより、座っているときでもこれで妖魔を打ち払います。」
「食べ物は。」
「松の新芽、若葉を湯に通し塩漬けにして食う。
松の下の苔を餅にして食う。
その他では、タニシの干物、カツオぶし、
アリ(甘い木の実で作ったアメ。これを食うと二百日間くらいは飢えを感じない)、
タラの芽の保存食は、不老長寿の薬で、大天狗でなければ食べるのを禁じられている。」
「女人はおらないか。」
「天狗の世界で女人は禁忌とされている。」

このほか天狗の術、修業、医学、武器の製造法などを、神童寅吉は詳しく語りました。

また愛宕神社の祭礼の奉納相撲では、よそからきた天狗たちを、愛宕山の天狗がかたっぱしから組み伏せ投げ飛ばしたといいます。

しかし、天狗の姿は人間には見えないといわれています。

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